「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

4月15日(火)20時~・4月16日(水)14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

安全な場所と魂の家族!

2022年12月15日 07時48分11秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日NHKの番組でギャンブル依存の特集が組まれていました。

本人は当然ですが、家族の苦しみは想像を絶するものがあります。

依存症研究の第一人者で斎藤学医師の「自分のために生きていけるということ」という著書を時々読み返しております。

精神科医であり家族機能研究所の代表を務める斎藤学先生は、アルコール依存症などの「依存症」という用語を世の中に定着させ依存症の家族に代表される、温かさや安心感などを与えられない機能不全家族で育った「アダルトチルドレン」という概念を、日本中に広めたことでも知られています。 

その都度新しい発見と共感を感じています。

その中で自助グループについて書かれた箇所がとても心にストンと落ちたのでご紹介します。

※安全な場所とは、みんながあなたに関心を持ってくれ、あなたがそこにくるのを待ってくれている場所、あなたがいないと不思議がられて、いて当たり前と思われる場所です。

集談会はそのような場所に成り得ているでしょうか?

さらに魂の家族についてこう書かれています。

※同じ体験をした者どうしが、それを分かち合い、癒し合うための「心の家族」のことです。

集談会がそのような場所であることを心から願う一世です。



2022.12.15 一世

※斎藤学氏著「自分のために生きていけるということ」大和書房より抜粋


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すばらしい仲間にあやかる!

2022年12月14日 07時34分12秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今から約320年前の今日は赤穂浪士の討ち入りの日とされている。

1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)のことであった。 

事の是非は別にして、お家再興を成し遂げたいという志を持った若い同士が固い絆で結ばれた。

いつの時代も何かを成し遂げようとするのは、常に若者である。

ところで昨日生活の発見会の若い仲間の皆さんとZOOMで運営について懇談した。

この試みは2年間続いている。

発見会への一途な思いにあふれ、高い志を持った人たちである。

この懇談会から新しい着想を得て、オンラインを通じての様々な取り組みが生まれた。

全国オンライン代表幹事交流会、全国版オンライン初心者懇談会などである。

このような優秀なメンバーに出会たことを心底幸せに思う私です。

それらにほとんど参加させていただき、正直もう10年若ければと思った。

以前の私であれば、優れた友人には劣等感から距離を置いていた。

最近人をうらやむことが減った。

若い頃は、常に人と比べていたと思う。

才能があったり社交的な同級生には、常にジェラシーを感じていた。

このようなねたむという行為について森田博士は手厳しい。

※結局このような悪知恵の思想が、働けば働くほど、ますます修養向上は出来なくなり、自縄自縛、独りで動けなくなり苦悩に陥るのである。

今は純粋に、自分より遥かに優秀な若者や同世代の仲間から色々なことを学びたい。

先日もあやかるということについて森田博士の言葉を紹介させていただいたが今日はその続きである。

今日の森田博士の言葉

治った人は、治らぬ人を見て、何とか治してあげたいと思い、じれったくてたまらない。

会長、副会長、幹事とかいう人は、皆この心持に溢れた人で、この形外会が盛んになるのは、皆この人々のお陰である。

これに反して治らぬ人は、親の心知らずで、割合に気のないものである。


2022.12・14 一世

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がんばれない自分と日々是好日!

2022年12月13日 10時16分49秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日仕事で、色々問題があり疲れ切っている私です。

些細な行き違いが大きな事に発展することがあります。

ただ大切なことは事実を事実として受け止め不注意であったとか、あの時ああしていれば良かったと過剰に膨らませない。

心の二次災害を起こさないようにしています。

とは言え、気になるとまたいつもの堂々巡りが始まります。

今日は休日で仕事のことを考えるのを強制終了します。

知らず知らずのうちにがんばりすぎている神経質者です。

外部に働けば気配りや心配りにつながるすばらしい資質ですが、自分に向けば常に自分の足らない部分に目がいく。

結果心の内部緊張が高まり何もしていないのに疲労することがあります。

まだ足らない、まだ足らないと常に心の中で叫んでいる感じです。

ところで森田博士の言葉の中には、禅語が随分出てきますね。

当時は森田療法を表現する適切な用語が無かったと思われます。

その一つが「日々是好日」です。

詳しい解説は文末に森田先生にお任せするとしましょう。

私の好きな禅語は、結果自然成(けっかじねんになる)です。

すべての物事はやるだけの事をやったら、あとは結果を待てば良い。

結果は自然についてくるものでやるだけのことをやったら思い悩むことはないというような意味だそうです。

そうわかっていても思い悩むのが私たちですね。

今日の森田博士の言葉

思い浮かぶままに、見入っておれば、そのときどきに、うまい考えが浮かんできてなんとかして助かると思うものである。

希望が必ずある。

それが藁をも掴む心であって、死ぬ際まで希望のあるものである。

それを認めれば「日々是好日」である

あらんかぎりの力で生き抜こうとする希望、その希望の閃(ひらめ)きこそ「日々是好日」なのである。



2022.12.13 一世

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混迷の時代に生きる森田を!

2022年12月12日 21時48分43秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

森田先生の言葉を読みすすめていく中で、現代に生きる私たちに何かしら誤って解釈されて伝わっているのではないかと思うことがあります。

その一つが恐怖突入です。

これは、必要に迫られて不安を抱きながら行動した結果として、そうなることがあるということで、恐怖突入することが治る早道でも目的でもありませんね。

更に言えば努力即幸福です。

これも生の欲望に導かれて、努力している自分を幸福と感じる感性を述べたもので人間は常に努力しなければならないとかいう教条主義的な意味ではありません。

他にも悩みには意味があるとか、症状の背後には強い欲求があるとか、あるがままには受動的側面と能動的側面があるとか、どうも森田博士の説かれた内容がいつのまにか行動する事やその成果にすり替えられていると感じるのです。

症状の背景には、逃げられない家族関係や職場での強迫観念を生みやすい過酷なノルマや過労、ギスギスした人間関係などのブラックな環境も側面としてあると感じています。

経験上抑鬱などの症状には、特に明確な原因が見つからないこともあります。

なぜ私がこのような事を申し上げるかというと今の10代~30代の若い人たちに今一つ森田療法の本質が、きちんと届いていない気がするのです。

為すべき行動や人のために尽くすが、逆に彼らを追い詰めているような気がするのです。

ほとんど現在の発見会を運営しているリーダーは、私も含め昭和の時代を果敢に生きてきた人たちです。

努力すればそれなりに給与やポストに反映された時代を生きていた人たちです。

今はどうでしょうか?

非正規社員の割合が増え、働き方も随分変わりました。

様々な理由によりシングルで生きることを選択する人も多く、家族の概念も変わりました。

更に個人情報やハラスメントへの過剰な配慮により、若者の心に踏み込むことに臆病なオジサン世代の葛藤も感じます。

混迷の時代に森田療法を通じて私たちは、これから若者に一体何をどう伝えていくべきなのでしょうか?



2022.12.12 一世

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人間を立体的に観る!

2022年12月11日 08時40分20秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

仕事柄毎日様々な人と出会う。

多い時は30人くらいの人間と話をしている。

仕事以外にも二つのグループに所属をしている。

自分で望まなくても何となく世話人を引き受けることになる。

その一つは発見会である。

コロナのお陰で、全国の会員の皆様とお話が出来て楽しい。

20歳の女子もいれば60代、70代のオジサン・オバサンもいる。

未だ100歳以上の仲間には出会っていない。

肩書のある人もいれば、私のように何の肩書のない人間もいる。

以前はスタンプのように人間を平面で見ていたように思う。

森田を学んで一番良かったと思うのは人間を立体的に観るようになったことである。

肩書があってもずるい人間もいれば、何の肩書が無くても徳のある人もいる。

優しい人もいれば、自分勝手な人間もいる。

お人好しの人もいれば、老獪な人もいる。

それらを良い悪いではなくて、世の中の事実として認識できた。

ただ残念なことは、やはり嫌な人間には腹が立つ。

嫌な人間は好きになることができないがその人間もまた何かしら苦しみを背負っていることは想像できた。

差別観から平等観に心が流転するときに見えて来る心の風景を感じたい。

その人間の背景を観るというか、立体的に人間を観るというか、そのような感じである。

私たちは常日頃、自分に都合が悪い人間が悪で、自分に都合の良い人間が善としていないか点検する必要がある。

それでもやっぱり腹が立つ凡人の私です。

今日の森田博士の言葉

われわれは、人と交際するときにそれが性格が違おうが何であろうが、自分の直接の感じのままに、好きは好き、面憎いは面憎いで、そのままに交際していけばよい。

それで面憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを自然の感じのままに服従すると称します。



2022.12.11 一世



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