大阪水曜ほっと集談会一世です。
今から約320年前の今日は赤穂浪士の討ち入りの日とされている。
1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)のことであった。
事の是非は別にして、お家再興を成し遂げたいという志を持った若い同士が固い絆で結ばれた。
いつの時代も何かを成し遂げようとするのは、常に若者である。
ところで昨日生活の発見会の若い仲間の皆さんとZOOMで運営について懇談した。
この試みは2年間続いている。
発見会への一途な思いにあふれ、高い志を持った人たちである。
この懇談会から新しい着想を得て、オンラインを通じての様々な取り組みが生まれた。
全国オンライン代表幹事交流会、全国版オンライン初心者懇談会などである。
このような優秀なメンバーに出会たことを心底幸せに思う私です。
それらにほとんど参加させていただき、正直もう10年若ければと思った。
以前の私であれば、優れた友人には劣等感から距離を置いていた。
最近人をうらやむことが減った。
若い頃は、常に人と比べていたと思う。
才能があったり社交的な同級生には、常にジェラシーを感じていた。
このようなねたむという行為について森田博士は手厳しい。
※結局このような悪知恵の思想が、働けば働くほど、ますます修養向上は出来なくなり、自縄自縛、独りで動けなくなり苦悩に陥るのである。
今は純粋に、自分より遥かに優秀な若者や同世代の仲間から色々なことを学びたい。
先日もあやかるということについて森田博士の言葉を紹介させていただいたが今日はその続きである。
今日の森田博士の言葉
治った人は、治らぬ人を見て、何とか治してあげたいと思い、じれったくてたまらない。
会長、副会長、幹事とかいう人は、皆この心持に溢れた人で、この形外会が盛んになるのは、皆この人々のお陰である。
これに反して治らぬ人は、親の心知らずで、割合に気のないものである。
2022.12・14 一世