大阪水曜ほっと集談会一世です。
仕事柄毎日様々な人と出会う。
多い時は30人くらいの人間と話をしている。
仕事以外にも二つのグループに所属をしている。
自分で望まなくても何となく世話人を引き受けることになる。
その一つは発見会である。
コロナのお陰で、全国の会員の皆様とお話が出来て楽しい。
20歳の女子もいれば60代、70代のオジサン・オバサンもいる。
未だ100歳以上の仲間には出会っていない。
肩書のある人もいれば、私のように何の肩書のない人間もいる。
以前はスタンプのように人間を平面で見ていたように思う。
森田を学んで一番良かったと思うのは人間を立体的に観るようになったことである。
肩書があってもずるい人間もいれば、何の肩書が無くても徳のある人もいる。
優しい人もいれば、自分勝手な人間もいる。
お人好しの人もいれば、老獪な人もいる。
それらを良い悪いではなくて、世の中の事実として認識できた。
ただ残念なことは、やはり嫌な人間には腹が立つ。
嫌な人間は好きになることができないがその人間もまた何かしら苦しみを背負っていることは想像できた。
差別観から平等観に心が流転するときに見えて来る心の風景を感じたい。
その人間の背景を観るというか、立体的に人間を観るというか、そのような感じである。
私たちは常日頃、自分に都合が悪い人間が悪で、自分に都合の良い人間が善としていないか点検する必要がある。
それでもやっぱり腹が立つ凡人の私です。
今日の森田博士の言葉
われわれは、人と交際するときにそれが性格が違おうが何であろうが、自分の直接の感じのままに、好きは好き、面憎いは面憎いで、そのままに交際していけばよい。
それで面憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを自然の感じのままに服従すると称します。
2022.12.11 一世