庭の外にある山川草木を
庭自体の背景として取り入れるというのは
日本の伝統的造園技法と聞いたことがある
景色を借りるとは言え
その技法によれば
庭の内と外の区別はほとんどなくなり
全体として一つの景色
風景となる
全部含めて
その庭の本質となる
そもそも区別というのは
人の頭が行うものであり
庭の内も外もないのかもしれない
個々の人生における風景にも
様々な人やものや出来事が映りこんでくる
そういう事象は
自分の外に存在するものと感じがちだが
実は自分の人生そのものとも言えるのかもしれない
すべての出会いが
自分の人生そのものと考えれば
一つ一つの出会いを
もっと大切にできるのだろう