Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

ほたる 儚く強い光

2008-06-07 | 想い・雑感
ほとんど何も考えることなく
外で遊びまわっていた幼少の頃が過ぎ
大人に近づくにつれ
また大人になってからも
人は様々なものをその身に 心に
纏うようになる
自分を飾るようになる

自分を大きく よりよく見せるためか
自分自身の弱きところを守るためか
意識せずとも
二重三重に防護服を着るようになる

蛍を見に行った
暮れた小川に沿って
明滅する淡き光

そのひかり自体は儚く見えるが
抑えがたき生への衝動を外に向け爆発させる如き
強いつよい光にも見える

何かを身に纏って輝いているわけではなく
己自身の力で輝いている 生きている

できることなら
だれでもこのように
自分自身を輝かせて生きたいと思うのではないだろうか

心の鎧を脱ぎ捨て
自由に やわらかく ありのままに

微妙な無秩序

2008-06-06 | 想い・雑感
秩序が保たれている状態というのは安心できる
何が起こるか
どこに何があるか
予想を立てやすいから

ただ完全な無秩序は困るが
あまり秩序立ち過ぎても
人は息が詰まる

最近ブックオフに行き始めた
ゲームと買取の店という認識しかなかったのだが
古本屋として面白いと聞いたから

そこは秩序と乱雑さが混在していた
必ずしもありそうなところに予想した本がないというのは少し戸惑うが
並んでいるそれぞれの本が歴史を背負っているし
思わぬ出会いがある
この微妙な無秩序が面白いし
面白がる精神を大切にしたい

秩序からちょっぴりはずれていることにも
やわらかく対応できる
そんな柔軟性があると素敵だし
生きることも少し楽になってたのしいだろうね

様々な出会いだって
決して秩序だってはいませんからね

自在

2008-06-04 | 想い・雑感
自在という言葉がある
多くは自由自在という熟語で使われるので
自分の思うように
物事を進めていくことができる様子をイメージする

「自在」に注目すると
みずから在る
おのずから在る

つまり
ありのままの自分でいる
今の自分をそのまま見つめそのまま受け入れる
というような自分のありように主眼を置いているように思う

目標に到達できない
病に倒れる
人との関係がうまくいかない
仕事がおもしろくない
時間がない
などなど自分の思うようにことが進まないことはたくさんありますが
そんな自分の在り様を
全部ひっくるめてそのままうけいれる
 自在になる

きっとそうすることで
そこから新たなスタートを切ることができ
軽やかな飛翔が可能となり
自由自在の境地に到達できるのかもしれないと思う

Seize the day!

2008-06-02 | 想い・雑感

“Seize the day!”

先日見たDVDでこのような表現が出てきた

英単語の語感がぴんとくるほどの英語力はないが
私なりのイメージだと

Grasp 鷲づかみにする 獲物を捕らえる やや大雑把かな
Scoop この単語をここに並べること自体
英単語がわかっていない証明かもしれませんが
その辺にあるものを一緒くたに掬い上げるイメージ
そういえばスクープ記事なんていうのも
情報をエイヤッと拾い上げ
事実関係の裏を取るなんてことは二の次三の次・・・蛇足
Seize  しっかりと掴み取り 
それを自分のものにする
上記二つの単語に比べて
掴み取る対象がはっきりしているイメージ

さて “Seize the day!”
その日を
今日という日を
今という時間を
しっかりと
自分の意思で
掴み取れ!
という感じなのでしょうか

ついていた日本語訳は
「今を生きろ!」

う~ん そうか
実にいいですね
なんとすっきりする訳でしょう

今という時は
瞬く間に過ぎ行く(だから瞬間)
その時を
しっかり捕まえろ

丁寧に
大胆に
繊細に
しっかりと
今ある時間を掴み取り
自分の人生を
自分の頭で考え 
自分の足でしっかり歩め

実に言わんとすることはわかるのですが
実際にどう掴んだらいいのか
迷う毎日ですね

まあ掴み方はひとそれぞれでしょうが

心の闇

2008-06-01 | 想い・雑感
心の闇
という表現があります

犯罪者の深層を探っても
理解しがたい面があるとき
この表現を用いることが多いように感じますが
こころの闇は特定の人ではなく
すべての人にあるものでしょう

この闇は
深層心理
無意識
アラヤ識
などと呼ばれているものかもしれません

闇という字は
音を門の奥深くに閉じこめているように見えます
きっと私たちの心の奥底で
様々な「音」がなっているはず
それを聞こうとしないのか
閉じこめようとしているのか
聞くことが叶わないのか
よく分かりませんが
きっと鳴っているはず

自分を見つめるというのは
そのような音にじっと耳を澄ますことなのでしょう

そこには
社会生活を営むために抑圧したものがあるのか
母の子宮に守られていた胎児の記憶があるのか
前生の思い出があるのか
太古の海で揺られていた時代までも反映しているのか
それは分かりませんが

時には耳を傾けて
そのままの自分を
少しでも見つめてあげたいものです