
囲碁も音楽もその能力と人間性は何の関係もない。名人も人間はくずだったりする。もっとも特に囲碁将棋のほんとうのトッププロにはひどい人間はあまりいないようだ。それは勝負は絶対で、客観性が求められるからじゃないかと思う。ひとりよがりでは勝てないし、勝負は運の入る余地はなく、そして微妙なものなのだ。僕のレベルでもそれがわかる。だからトッププロは基本的に謙虚のようだ。政治の世界とは違う。政治屋は基本的に傲慢なのじゃあないか。
話が変な方向に行ってしまった。
囲碁クエストで最近何人か(っていうか3人)の僕より強い人に、負けが確定したらブチッと接続を切られた。二段、1800点ほどなら4万人もいる登録者の上位数%に位置するはずだ。それが負けると「投了」できず、スイッチをブチッと切る常習らしい。あきれかえるが、囲碁が強くても人間は下劣なのだ。切られてしまうと勝ちが確定するまで、数分だが待ってないといけない。実は待っている間、勝利を振り返ることができるので、この時間は嫌いではない。でも、なんとなく不快だし、あまつさえ、こんな記事を書いている。それがおもしろい。僕も心狭い人間なのだろう。
そういえば、昨日か、ゴミ捨てに行ったら近所の男に「おはようございます。」と言ったのだが、無視された。どういうつもりだろう。だからといって僕はなーんにも不利益は被っていない、それなのに、なんとなく不快だ。こんなことを書いてもしょうがないが、書こうという自分がおもしろい。心狭い人間だなあ。(-_-;)