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かげろう忍法帖 山田風太郎

2024年11月08日 | 
 人間臨終図鑑がおもしろくて、山田風太郎なんて他のはひとつも読んでない。代表作はあやしい忍者小説だというので借りてみた。おもしろい。
 解説に「これからも長く読みつがれていくだろう」と書いてあるが、そうか?これからもなにも、今だってこんなの読む人いるの?歴史に埋もれてしまうだろう。おもしろいんだよ。おもしろいが傑作ではない。そうとう荒唐無稽で、切った腕や首(!)までまた生えてくる忍法とかなんのタネもなく、忍法ではなくホラーだよ。でもゲラゲラ笑いながら楽しめる。

 読みながら今の古楽ブームのことを思っていた。
 クラシック音楽もずーっと作曲され、演奏されたとき、現代音楽だった。バッハもヘンデルも次の日曜日、次の演奏会のためにあらたに作曲し、多くは一度きりのものだった。今のように200年300年もの昔の音楽をそれもベートーヴェンとかごくごく一部のものをくりかえしくりかえし飽きもせず聴くのが音楽ではない。音楽も今を生きるものなのだ。だからポップスなど全然傑作群ではないけれど今の音楽を聴く、演奏する、自分で作る、消費して忘れる、それが音楽の健全な姿でクラシック音楽は実に不健全だと思う。
 埋もれていた古楽(バロックやそれ以前)が発掘、再発見されて(ながいこと)ブームだけど、これは実はクラシックではなく現代に再生した今の音楽なのだ。多くは(もう一度)消費されるだけで埋もれ、いくつかは(また)再発見されるだろう。それは新鮮なもので今、生きるのだ。
 山田風太郎も、他も、ほとんどが埋もれ、でもごく一部はまた再発見されて楽しまれるかもしれない。それでいいのだ。


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