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長崎歴史文化博物館<孫文・梅屋庄吉と長崎展>フィナーレ!

2012年03月27日 | 日中友好
長崎歴史文化博物館<孫文と梅屋庄吉展>フィナーレ!




3月25日。

いよいよ半年間にわたって開催されていた
<孫文・梅屋庄吉と長崎>展がこの日、最終日を迎えた。


長崎市内を走るタクシーの窓には
ほとんどこのステッカーが貼られていたので
今度から
もぉこういうものが消えてしまうのはさびしい気がする。。。




タクシーに貼られている展示会のステッカー




最終日、
展示会場はもう1回、観ておきたいという方も訪れてくださっていた。








博物館の皆様、お世話になりました!!!





展示会には
私の家で保管されている史料のほか、
北京・上海・武漢などからお借りしている史料もあり
このような大規模の展示会はおそらくもう開催することはできないかも、しれない。




この展示会のために奔走してくださった
元長崎県参与の藤氏も最終日、駆けつけてくださった。


梅屋庄吉が80年前中国に4体送った銅像の
完全複製の前で多くの方が記念撮影をした。

最後に私も藤氏と。。。。



400名以上、国内外からVIPがかけつけた
開幕式であったが、
最終日はとても静かに幕を閉じた。


長崎歴史文化博物館の関係者、
湖北省武漢からいらした中国の関係者、
長崎県の孫文・梅屋プロジェクトの皆様と記念撮影。





そして、皆様から花束をいただき、感動。。。。






その後、
鍛冶屋町の炉ばた屋ゑびすにて
関係者の皆様が集まってくださり、慰労会を開いてくださった。








・・・当然のことながら、盛り上がり、飲みすぎて
酔っぱらいムード。。。

私が長崎市内にワンルームマンションを買うために
情報を集めよう!みたいな話題で・・・そろそろお開きに。


翌、26日の夜には
日本経済新聞社の杉田会長(長崎・大村ご出身)が
展示会が終了したので、
お疲れさま会を・・・ということで席を設けてくださった。



料亭 春海



静かな日本家屋。 ここを利用させていただくのも、はじめて。


本当にお世話になった
中村知事、李総領事、大堀館長さまと
杉田会長との会食の席は若輩の私にとって
大変貴重でありがたい機会。


冒頭、李総領事から

孫文と梅屋のこの歴史は
長崎の宝であると同時に
日本と中国にとっても、<宝物>である・・・とおっしゃっていただいた。


李総領事は
中国からVIPがいらっしゃると必ず博物館に出向き、
自ら1時間以上時間を割いて
館内の展示物を案内してくださった。 

中国からの銅像寄贈に関しても
さまざまな手続き上の難しい問題も積極的に関わって
スムーズに流れるようにしてくださった。

大変にお世話になりました。 非常感謝




長崎県中村知事、中華人民共和国駐長崎総領事 李先生、
日本経済新聞社 杉田会長さま、長崎歴史文化博物館 大堀館長さまと。




展示会の来場者数そのものは6万人弱。
10万に満たなかった、ということで
人数に関しては、少なかったかもしれないが

その間、展示会に足を運んだ方々は
日本を代表する政治家、経済界の皆様、
中国各地のVIP,歴史研究家、マスメディアの方々。。。。

ということを考えると

どれだけ重要な展示会であったか、ということがわかる。


2010年の今頃、
長崎で<梅屋庄吉>の名前を知っている人は
ほんの、数名であったと思う。

実際、県の関係者もまったく知らなかった、というのが実情である。


しかし、この2年間の取り組みで
長崎県全体のおよそ6~70%の方々が
梅屋庄吉のことを知るようになったという。


李総領事は続けられた。。。。


”これからです。。。”


そう、
長崎での展示会は終了したけれど
これから
<孫文・梅屋>の絆がこれからのアジアにとって宝物である、ということが
もっと多くの
日本人、中国人に伝わるようになるのは。。。。



本当にこの展示会に関して
多くの方々にお世話になったことに対して

適当な感謝の言葉がみつからない。。。





でもやはり、この言葉を。


ありがとうございました。。。



キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問

2012年03月27日 | 日中友好
キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問



長崎での展示会がいよいよ3月25日に閉幕、それまでに。。。ということで
ギリギリのタイミング、22日に
香港からキャリー・ヤウご夫妻が長崎入りされた。


キャリーは香港政府で重要ポストを務めた元高官。
ご主人のフランシスは
孫文の香港時代の親友、ヤウリーのひ孫。



キャリー・ヤウご夫妻




キャリーが香港政府の高官でいらっしゃった2008年当時、
美術館視察で日本に公的な訪問をされた時に
松本楼でVIPとのランチが設定され、
そこで初めて出会った。


同じ孫文の友人、という先祖をもつ
キャリーと私はその時からの友人。 

長崎での展示会に役立つ情報もキャリーは提供してくださったし、
上海万博開幕式にもわざわざいらしてくださり
スピーチもしてくださった。

そして今回、わざわざ
展示会を観に来るために、遠く香港から長崎に。。。。


なんと濃い友情の絆だろう。。(感動)


去年の震災後、とにかく
日本、というとAyanoを一番に思って
心配で心配で、どうして香港に逃げてこないのか、と何度もメールもくださった



今回、私も朝一で東京を発ち、
お昼に長崎駅に到着する二人を駅のホームで出迎えた。


ちゃんぽんと皿うどんのランチを終えた後、
まず、向かったのは

日本二十六聖人殉教地。






神父さまの案内で記念館にある
貴重な隠れキリシタンや
当時の宣教師の手紙などの史料を見せていただいた。










中学・高校時代は毎朝礼拝をしていた環境でもあり、
母はカトリック信者(ちなみに父は日蓮、寺の総代もやっている。バラバラやん)、
ということもあって、キリスト教に関して無知ではないつもり。

天草の隠れキリシタンの子孫、という方にも
お目にかかったことがあるので
非常に興味深い記念館のさまざまな史料だった。





続いて、長崎歴史文化博物館の
<孫文と梅屋庄吉展>を見学。


キャリーはもしかしたら、私より梅屋庄吉について詳しいかもしれない。
香港、マカオ、シンガポールなどで
梅屋情報をみつけると必ず、教えてくださる。







大浦天主堂を見学した後、県庁へ。。。。







中村長崎県知事が香港を訪問された時にも
キャリーの案内で
梅屋庄吉がみよりの無い人のために建てた香港の墓地を
一緒に探してお参りしてくださった、ということがあり
今回のキャリーの長崎入りでは
中村知事もお忙しい中、お時間を作って会談の席を設けてくださった。








キャリーは梅屋や孫文の生きていた頃の香港の写真集を知事に。。。




キャリー・ヤウご夫妻と中村知事と私



県庁の後は、出島へ。。。





FaceBookでお友達でもある馬見塚出島開発室長さまが
出迎えてくださり、出島を案内してくださった。











出島ではチューリップも咲き始めていました。。。




馬見塚さまと記念撮影
FaceBookでお友達の方々と最近こうして
実際にお会いする機会が多い。。。とても嬉しい



そして、福建会館では
長崎華僑の陳東華先生が出迎えてくださり
福建会館の歴史をご説明してくださった。







夕食は<料亭 一力>。





ここに伺うのははじめて。

建物も風情があり、中庭や壁にかかれた絵にも
ココロひかれる。。。







レトロな雰囲気の建物






私たちには椅子席が用意されていた。





ここで、料亭<一力>の卓袱料理をご紹介。















































一気にご紹介しましたが
卓袱料理はお品書きとかなくて、
最初におひれ(お吸い物)をいただいてからは
大皿に盛られた料理を自分の小皿に分けていただくスタイルなので
料理名がはっきりわからない。
で、
卓袱料理、といっても
それぞれの料亭で全然違うものが出てくる。 味も全然違う。


ここ、<料亭 一力>の卓袱料理、
今までいただいた中で一番、美味しかったかも。。。
お品が良いというか
味つけも、盛り付けも。。。。


まぁ、私の場合(レストラン経営者としては失格かもしれませんが)
料理の味が云々よりも
誰と食事をしたか、どんな楽しい時間であったか、によって
美味しさが変わってくる。。。

ので、この日は
本当にキャリーご夫妻と長崎県副知事他関係者の皆様との
会話が最高に楽しかった、ということでも、ある。















夕食の後は稲佐山に夜景を観に。。。






香港ほど派手な夜景ではないけれど
やはり長崎も夜景では世界で指折りの有名な場所。
キャリー・ヤウご夫妻も楽しんでおられました。







こうして、
今回、6か月にわたる長崎歴史文化博物館での展示会開催中、
香港、中国本土、シンガポール・・・
アジアのいろいろなところから
長崎入りされ、展示会をご覧になられた。

しかも、<VIP>ばかり。。。


孫文・梅屋については
まだまだ一般的には関心をよせる人も少ない。
(ので、映画化とかは儲からない、と言われてしまう。。。)

でも、
この近代史のもつ意味がどれほど重要なのか、を知っておられる方々が
わざわざ
長崎に駆けつけておられた、というのも事実。


国境を越えた友情は
今もなお、続いている。。。。

しかもそれは、100年前、自分たちの祖先が
孫文の友人であり
新しいアジアを夢みた同志であった、という深い大切なご縁をつむぎながら。。