うちの猫は1日に数回私の膝を求めて激しく付いて回り、気づかぬふりをして家事をしていると、元々のタレ目を更にタレ目にして、恨めしそうにわたしを見つめてくる。
その目を見たら仕方ない、家事をそこそこで切り上げて猫の床暖になってやる。
床暖になったら、まあ、ピンポンとか電話が鳴らぬ限り、半時間以上は動けない。
そんな時間にはブログでもカクベエ。
押し売り
子供の頃、定期的に我が家には押し売りのおじさんがやってきた。
別に強面でもない普通のおじさんが、風呂敷に何や彼やと細々した日用雑貨品を包んでやって来る。
玄関の上がり段に座り込んで、風呂敷を広げる。
母は、世間話をしながら、歯ブラシくらいを買っていた。
おじさんが帰ってから、
押し売りのおじさんや
と、母が教えてくれたから、
ああ押し売りさんか
と、私は押し売りという職業を知った。
寺にはいろんな人がやってくる。
近隣農家のお檀家さんは
阿弥陀さまにお供えしておくれやす
と、お米を重箱に入れて来られる。
私は、重箱からさんぼうに上手に山型に移せるようになった時は嬉しかったものだ。
空になった重箱にマッチ箱を
おためです
と、ふたつ入れて風呂敷に包んで返す。
そして
南無阿弥陀仏〜
と唱えながら本堂の阿弥陀様の前までしずしずと運んでお供えする。
ロウソクを灯して、所謂、私がガマゴンと呼んでいるお坊さんが読経の時に左手でゴンガン〜と鳴らす鐘のようなものを3回高らかに打ち鳴らす。
田舎の寺は大体こんな呑気さ。
ある日、私がひとりで留守番をしていると、
こんにちは〜
と、男の人の声がする。
出てみると知らない顔の大男が情けなさそうな姿で立っていた。
お腹が空いて……
と、その大男はモジモジしている。
私は、母がこんな時にいつもしているように、
ちょっと待ってて下さい
と告げて、台所に走り、ご飯やあり合わせのおかずを弁当箱に詰めた。
果たして大男は開けっ放しの玄関でおとなしく待っていた。
私は弁当箱を手渡し、更に、私の小遣いから二千円を半紙に包んで渡した。
これも母がやっていたことだ。
大男はニタニタ笑いながら何回もお辞儀していた。
暫くしてまた玄関で声が聞こえる。
出てみるとお巡りさんが先程の大男を連れて立っている。
誰かがお寺の階段を登っていくこの怪しげな見知らぬ大男を目撃して通報したらしい。
お寺が危ない‼️ってね。
お巡りさんが
お寺のお嬢さんに貰ったと言うてますが、ホンマですか?
と、尋ねる。
ホンマです。
お腹が空いたといわはるさかい、大変やと思って。
おっちゃんは何も盗ってはらへんですよ、
と、私は答える。
やはり、大男はヘラヘラニタニタしている。
お金もあげたんか?
はい。
おい、おまえ、ちゃんと礼いうたんか!
へぃ。
手にろくなおかずも入っていない弁当箱を大事そうにを持って大男はぺこりとお辞儀した。
お巡りさんは
大男の腕を捕まえて引き揚げて行った。
あのおっちゃんどうなるんやろ……
また、ある時は、本堂の縁側で寝っ転がってるおっちゃんがいた。
汚いおっちゃんや。
私は冷たいお茶を運んだ。どこから流れて来はったんやろ。
こんなおっちゃんらことは、呑気な時代だったなぁと思うくらい。
思い出して一番ムカつくのは詐欺師だ。
私の高校一年生の時。留守番していたら、
消防署から来ました。消化器の交換です。
と、パリッしたスーツ姿の男がやってきた。
一本五千円だという。お寺ですからね、何本もあるし、大事な事だと私は思った。
はいさようですかと、人を疑わないちょっとトロい私はお金を取りに奥へ行こうとした。
その時、廊下のガラス戸越しにもう一人の男が寺の門をくぐってくるのが見えて
課長!民家全部終了しました!
と、大きな声で報告するのを聴いた。
これで私はおかしいと気づいた。
もう直ぐ母が戻ってきますから、それまで待ってください。
そう言って、お茶と茶菓子を出した。
任務ですから。
と、男はお茶にもお菓子にも手を付けない。
私は玄関に男を待たせておいて奥に引っ込み、時々顔を出して
お待たせしてすみませんね。
と、声を掛けた。
いえいえ、任務ですから。
男は随分粘った。
私も粘った。
見抜いていることを悟られてはいけない。願わくば穏便に諦めて帰って欲しい。
警察に通報するにも電話は玄関脇にあるし。
逆恨みされるのも怖い。
何回か、挫けそうになりながらも私は頑張った。
1時間以上そんな我慢比べをして、男は突然
お姉さん、出直しますわ。
と、帰って行った。
よしっ、勝った‼️
さいなら〜👋
第2の男登場、決め台詞で駄目押し、そして詐欺成功という筋書きだったのだろうけれど
演技の勉強して出直して来なはい‼️
次は1分で追い返したげるわ‼️
あとでお檀家さんのおじさんから聞いた。
消防署は消化器売りつけたりせえへんで、騙されたらあかんで‼️
実はあの時、奥に私の友人がいた。
あんなん絶対嘘やんなぁ…
と、ふたりでうなづきあいながら様子を伺っていたのだ。
この友人がいなかったら、もしかしたら私は挫けていたかも知れない。
その目を見たら仕方ない、家事をそこそこで切り上げて猫の床暖になってやる。
床暖になったら、まあ、ピンポンとか電話が鳴らぬ限り、半時間以上は動けない。
そんな時間にはブログでもカクベエ。
押し売り
子供の頃、定期的に我が家には押し売りのおじさんがやってきた。
別に強面でもない普通のおじさんが、風呂敷に何や彼やと細々した日用雑貨品を包んでやって来る。
玄関の上がり段に座り込んで、風呂敷を広げる。
母は、世間話をしながら、歯ブラシくらいを買っていた。
おじさんが帰ってから、
押し売りのおじさんや
と、母が教えてくれたから、
ああ押し売りさんか
と、私は押し売りという職業を知った。
寺にはいろんな人がやってくる。
近隣農家のお檀家さんは
阿弥陀さまにお供えしておくれやす
と、お米を重箱に入れて来られる。
私は、重箱からさんぼうに上手に山型に移せるようになった時は嬉しかったものだ。
空になった重箱にマッチ箱を
おためです
と、ふたつ入れて風呂敷に包んで返す。
そして
南無阿弥陀仏〜
と唱えながら本堂の阿弥陀様の前までしずしずと運んでお供えする。
ロウソクを灯して、所謂、私がガマゴンと呼んでいるお坊さんが読経の時に左手でゴンガン〜と鳴らす鐘のようなものを3回高らかに打ち鳴らす。
田舎の寺は大体こんな呑気さ。
ある日、私がひとりで留守番をしていると、
こんにちは〜
と、男の人の声がする。
出てみると知らない顔の大男が情けなさそうな姿で立っていた。
お腹が空いて……
と、その大男はモジモジしている。
私は、母がこんな時にいつもしているように、
ちょっと待ってて下さい
と告げて、台所に走り、ご飯やあり合わせのおかずを弁当箱に詰めた。
果たして大男は開けっ放しの玄関でおとなしく待っていた。
私は弁当箱を手渡し、更に、私の小遣いから二千円を半紙に包んで渡した。
これも母がやっていたことだ。
大男はニタニタ笑いながら何回もお辞儀していた。
暫くしてまた玄関で声が聞こえる。
出てみるとお巡りさんが先程の大男を連れて立っている。
誰かがお寺の階段を登っていくこの怪しげな見知らぬ大男を目撃して通報したらしい。
お寺が危ない‼️ってね。
お巡りさんが
お寺のお嬢さんに貰ったと言うてますが、ホンマですか?
と、尋ねる。
ホンマです。
お腹が空いたといわはるさかい、大変やと思って。
おっちゃんは何も盗ってはらへんですよ、
と、私は答える。
やはり、大男はヘラヘラニタニタしている。
お金もあげたんか?
はい。
おい、おまえ、ちゃんと礼いうたんか!
へぃ。
手にろくなおかずも入っていない弁当箱を大事そうにを持って大男はぺこりとお辞儀した。
お巡りさんは
大男の腕を捕まえて引き揚げて行った。
あのおっちゃんどうなるんやろ……
また、ある時は、本堂の縁側で寝っ転がってるおっちゃんがいた。
汚いおっちゃんや。
私は冷たいお茶を運んだ。どこから流れて来はったんやろ。
こんなおっちゃんらことは、呑気な時代だったなぁと思うくらい。
思い出して一番ムカつくのは詐欺師だ。
私の高校一年生の時。留守番していたら、
消防署から来ました。消化器の交換です。
と、パリッしたスーツ姿の男がやってきた。
一本五千円だという。お寺ですからね、何本もあるし、大事な事だと私は思った。
はいさようですかと、人を疑わないちょっとトロい私はお金を取りに奥へ行こうとした。
その時、廊下のガラス戸越しにもう一人の男が寺の門をくぐってくるのが見えて
課長!民家全部終了しました!
と、大きな声で報告するのを聴いた。
これで私はおかしいと気づいた。
もう直ぐ母が戻ってきますから、それまで待ってください。
そう言って、お茶と茶菓子を出した。
任務ですから。
と、男はお茶にもお菓子にも手を付けない。
私は玄関に男を待たせておいて奥に引っ込み、時々顔を出して
お待たせしてすみませんね。
と、声を掛けた。
いえいえ、任務ですから。
男は随分粘った。
私も粘った。
見抜いていることを悟られてはいけない。願わくば穏便に諦めて帰って欲しい。
警察に通報するにも電話は玄関脇にあるし。
逆恨みされるのも怖い。
何回か、挫けそうになりながらも私は頑張った。
1時間以上そんな我慢比べをして、男は突然
お姉さん、出直しますわ。
と、帰って行った。
よしっ、勝った‼️
さいなら〜👋
第2の男登場、決め台詞で駄目押し、そして詐欺成功という筋書きだったのだろうけれど
演技の勉強して出直して来なはい‼️
次は1分で追い返したげるわ‼️
あとでお檀家さんのおじさんから聞いた。
消防署は消化器売りつけたりせえへんで、騙されたらあかんで‼️
実はあの時、奥に私の友人がいた。
あんなん絶対嘘やんなぁ…
と、ふたりでうなづきあいながら様子を伺っていたのだ。
この友人がいなかったら、もしかしたら私は挫けていたかも知れない。