今夜はピアノのお稽古のことを思い出してみよう。
物心ついた時、我が家にはアップライトピアノがあった。
古い寺の庫裡に不思議な洋間があって、その奥には「奥座敷」と呼ばれる書院造りの二間とトイレがあった。そのトイレの不思議なこと。トイレとは言わなかった。お便所。
何が不思議かというと、微かにしか思い出せないのだけれど、上品な感じ。侘び寂びを感じるお便所だ。廊下は一面硝子張りで日本庭園の中庭を鑑賞できる。
お便所の入り口は硝子戸を開けると大きな石の手洗いがあり柄杓がおいてあった。
夏の忙しい時期には、蚊取り線香を焚いて中庭の草むしりとこの石の掃除をした。
その昔、「なんとかの宮様」がお泊まりになったことがあり、その時に新書院として増築された座敷のようにきいている。
ピアノのお稽古の話に奥座敷は関係ないようだが、私にはそうでもない。
寺の廊下とは客が迷子になるようにできている。
いつの間にかグランドピアノが入った洋間の前から奥座敷にと続く一本の廊下は若かった私には何かと思い出がある。
グランドピアノがきた頃、洋間に入る廊下に対してT字に走る廊下の反対側の部屋を子供部屋としてリフォームされた。
二つ机を並べて、背中側に母の嫁入り道具であったアップライトピアノが置かれた。
姉の机はぐっちゃぐっちゃ、私の机はスッキリ。姉は超読書家で私は超遊び人。机が必要なのは姉で、私には不要だったので置くものがなかったというわけだ。
グランドピアノは母の仕事用。毎日沢山の生徒さんが、半数は義務的に、廊下を叱られる為にパタパタ歩いていた。
ピアノの先生は熱が入るとめちゃくちゃ怖いものだ。
生徒さんのレッスンが早めに終わった日、姉か私かどちらが呼ばれるかドキドキしていた。大概姉が呼ばれていた。
姉はピアノも上手、絵も上手、身長も高くて口も達者。期待の長女だ。
私は叱られるのが怖くてビクビクしているのに、あまり叱られない。母はあきらめていたのか疲れていたのか、ほどほどのレッスンで終わる。
ある年の発表会で私より歳上の男の子の母親が、私の曲を変えさせた。
自分の息子が年下の私より進んでいないのは体裁が悪いからと、それもプログラムができてから。
私の名前の横の曲名に線が引かれて、私は簡単な曲を弾け!と命令された。
怠け者でぼんやりの私にもかすかな意地があった。
わざとつっかえつっかえ弾いてやった。どうでもよい、失敗すべき発表会だと思っていた。よほど面白くなかったのだ。今でも憶えているのだもの。
そしていつしか私は母のレッスンを受けないでバイエルの上下巻を自分で丸をつけて修了した。
その頃私はバレエに夢中だったこともある。
レニングラードバレエ団の「白鳥の湖」
を小学一年生の時に観せてもらった。
帰るなり私は土下座をして母に頼み込んだ。
「バレエ習わせて!」
さあ、母は困ったことだろう。
こんな田舎ではバレエ教室なんてありゃしない。ピアノ教室だって母が第一号。
色々調べて京都まで行かないとクラシックバレエの教室はないとわかった。毎週京都まで通うなんて流石にできない。それで母はモダンバレエ教室というのを見つけてきた。週二回、私はレオタードを着て踊れると思うと嬉しくてバレエの日は大急ぎて帰宅した。母は私のバレエ教室通いに合わせてその近くでもピアノ教室を始めた。学校から帰るとバスで教室に行き、レッスンが終わると母のピアノ教室まで歩いて行く。母の生徒さんのレッスンを聴きながら終わるのを待って一緒に帰るのだ。
姉は月に一度京都からやってくる偉い先生のレッスンを受けていた。
私はピアノは適当に弾いては自分で丸をつけるということをしていた。練習曲はほとんど耳で覚えていたから。
でも、それはやはりまずいと母は思ったらしく、教え子の所に私を通わせた。でもお姉さん先生は優しいし、ほとんど遊びに行っていたようなものだ。三人姉妹のお姉さん先生、姉妹が愛読?していた「少女フレンド」という漫画目当てで通っていた。
だからピアノはいつまでたっても私にはどうでもよいものだった。
今夜はここまでお休みなさい。