なんぞの記念、冥途の土産にと書き始めた旅行記が、こんなに時間がかかるとは想像もしていなかった。
以前、primaveraさんという方の旅行記を、それはもうあこがれてあこがれて、夢見るように読ませていただいたことがある。例の閉鎖になってしまったブログサイトのお友達だった。
海外旅行が趣味という方で、地球の歩き方、楽しみ方を熟知しておられた。
面倒臭がりやの私が、何とか我慢して書いているこの旅行記・・・とてもあの方のような文章にはならない、そんな次元では勿論なくて、写真と場所の表記があっているかどうかが心配なぐらいだ。
写真もこうしてみると、いくら携帯で片手撮影とはいえ、もう少し考えて撮ればよいものを・・・お皿全体がおさまらないとか、額縁が欠けるとか、
もうどうしようもなく、撮影のセンスが無い。
まあ、後悔していても仕方が無い、自分なりに、このお話を終わらせなければ・・・と薄れ行く記憶を頼りに書いてきた。
それがもうどうやら今回で最後になりそうだ。
ということで・・前回「その14」に続くウイーンでの最後の1日のお話。
つかれきった父と私、1番悩んだ、最後の晩餐が終わり、(何を着るかで悩んだのだ。田舎から雪の降った山岳地帯、そしてまだ夏の都会へと移動し、例年とは全く違う気候で、気温が不順で、衣装に困ったのは私たちだけではなく、旅慣れた同行の皆さんも口をそろえて仰っていたのだから、この旅行を乗り切った私は今後どんなシーンにも適応できるような気がする。)
明日の帰国の用意を済ませて、すばらしいお部屋の寝心地の良いベッドに吸い込まれるように寝入った。
何時頃だったろう、
ふと、目が覚めると、父がベッドに座ってなにかしている。
携帯電話を触っているのだ。
「どうしたん~?」
と、寝ぼけ眼で声をかけると
「目覚ましをセットしといたのが今頃鳴って、止まらんのや」
と、いう。
「ん~?」
そういえばなんか鳴っている。
覚醒するに従い、その音ははっきりと警戒音に聞こえてきた。
「お父ちゃん、それ、携帯の音と違うわ」
私は、父に
「服を着替えて、貴重品を持って部屋で待機するように」
と言った。
そして、大急ぎで、翌日着る予定だったシャツとパンツに着替えて部屋を飛び出した。
エレベーターは止まっていた。
やばいぞやばいぞ・・・心臓がドキドキした。
私たちの部屋は2階だけれど、天井の高いお部屋のホテルだから、階段は3階分ぐらいある。ばたばたと転げるように降りていったら、ロビーやエントランスにたくさんの人が集まっていた。皆バスローブを羽織って貴重品らしいバッグを持っている。
心配そうに身を寄せ合っている白い人たち。
日本人は誰もいない。私だけ。しかも服を着替えているのも私だけ。
外を見ると、回転灯が見えた。消防車だとわかった。
近くにいた人に尋ねてみたが首をすくめて分からないのジェスチャー。
私の英語が通じなかったのか?
それでも、みんながただ不安そうにロビーに集まっているということは、それほど緊迫してはいないと感じた。
そのとき、外から私たちの添乗員さんが、服を着替えた姿で、ロビーに戻ってきた。
「火災探知機が作動したので、消防車が来ました。今点検を行っているところですが、どうやら誤作動だと思われるので、大丈夫だということです。」
2人で、
「日本人はこういうときの反応が違いますね、みなさん、バスローブ羽織って、とりあえず避難するのに、日本人は、まず誤作動だ・・と疑うようで誰もきませんでしたね・・・」
と、苦笑いして部屋に戻った。
階段で、一足遅く、服を着替えて様子を見にこられた同行の方に出会ったので、ことの次第をお話して、一緒にまた階段を上った。
部屋に戻ると、心配そうに父がいつでも避難できるように用意して待っていた。
もう警戒音も鳴り止んでいたし、大丈夫だと伝えて、さっさと眠ることにした。
まったくもお~~
夢のようなオーストリア旅行最後の夜に、避難訓練をさせられてしまった。
夜中のこんな騒ぎで、私たちは、朝、ちょっとテンション低め・・。
午前中自由行動だったので、皆さん、スペイン乗馬学校の見学や、ベルベデーレ宮殿にクリムトの絵を見に行ったり、ハプスブルク家の宝物館などの見学をされるようだった。
私と父は、朝食バイキングをゆっくり食べて、もうどこも観光しないでホテル近辺をぶらぶら歩いてみるだけにした。
ホテル近所のスーパーマーケットを覗いた。スーパーといっても、日本で言うならちょっと高級なスーパー。
フードコーナー。

お肉は基本キロ単位で販売。でもこんなのもあった。

ぺったんこの桃が流行だそうで、みなさん買っていた。

自分で計ってレジに持っていく。

かぼちゃ君。1ユーロしないのは飾り物用かな?


入ったは良いが、出口が違うらしい。バーがあがらなくて出られないのだ。
分からなくて、入ってくる人と入れ違いに隙をぬって出た。
この2階にブティックとか雑貨屋さんがあった。父が、思い出にネクタイを購入したいというので、「グロリエッテ」というお店に入って、綺麗なシルクのネクタイを選んだ。店員さんが親切にいろいろ出してくれた。
次は、私が冷やかしでもいいからといって、スワロフスキーのお店に入った。
ペンダントのトップで素敵なのがあったので、私の分と、娘の分と2個選んだ。
75ユーロ以上の買い物を1店舗ですると、免税の書類を書いてくれて、後で税金が戻ってくる仕組みになっている。
店員さんは忙しい中、ささっと包んで、書類も書いてくれた。でも、なんということか、
大体のお財布の中の残金を考えて選んだつもりが、2ユーロ足りなかった。
セントコインとかもじゃらじゃら動員したが・・・足りなかった。
朝、部屋を出るときに、枕銭を2ユーロ置くか4ユーロ置くかで悩み、4ユーロ置いたから、それが失敗の元となった。
恥ずかしながら、ソーリーソーリーと、片方をキャンセルした。・・・勿論娘の分をキャンセル・・その後、カードがあることを思い出して、カードを出したが、店員さんは他の客の応対で大忙し、もう相手をしてくれなかった。
50ユーロあっても52ユーロのものは買えない。2ユーロを馬鹿にしてはいけない。
身にしみた。
おまけに、空港で時間があったので箱を開けてみたらショック!!
私のではなく、娘に選んだのが入っていた。
あんなに、はっきり説明したのに。あ~あ
それがこれ。

こんなお嬢がつけるようなもの・・・。え~ん;;
そんなことしているうちにホテルを出発する時間になった。
ホテルからウイーン空港までのバスの運転手さんはマリオさん。
やっぱりハンサムだけどマレクさんにはかなわない。
オーストリア航空便でフランクフルトへ。
フランクフルトでは出国審査。
父がベルトをはずし忘れて、ビービーなった。
私は問題なく通過・・・。
入国審査の時にハンコをもらっていなかったことを思い出した。
パスポートを見て首をかしげる。
今日の日付けで、スタンプ2個。→と←のついたハンコ・・・。
結局、
日本→ドイツ→オーストリア→ドイツ→オーストリア→ドイツ→日本
と出入国繰り返したのに、ハンコは4個。
ちょっとパスポート全部のハンコの数を数えてみる。奇数だ。
なんで~奇数なの????
よくよく調べると、ハワイでハンコが1個足りない。
まあ、いいか~そのお国の事情なんだろう。
帰りの飛行機では見事に爆睡。
隣に座った男の子がえらくフレンドリーに流暢な日本語で話しかけてくる。
サンパウロ出身の日系3世で、技術屋さんらしい。
26歳だと言っていた。
そこまで話したことは覚えているが、眠りこけた。
目が覚めたら、目の前にメモが張ってあった。
「お目覚めですか?お食事をお持ちいたしますので、お声掛けしてくださいませ」
うわあ~ちょっと恥っ^^;若者に笑われた。
機内食は2回出た。食事以外はずっと眠っていたので、時差ぼけなし。
あっという間の12時間帰国便。
荷物を受け取るときにまた、先ほどの青年に会った。
「元気でね~」と手を振ったら、ニコニコ手を振ってくれた。
父も疲れてはいたが、元気に、新幹線で帰っていった。
東京駅まで見送ろうと思っていたが、ツアーで一緒だったご婦人が、ご親切にも、
「東京駅まで行きますからご一緒しますよ・・」
と声を掛けてくださったので、あつかましく甘えることにした。
成田エキスプレスの改札で父と別れた。私はリムジンバスで自宅近くまで直行・・。
父の許しを得たので、ウイーンでの夕食会のときの写真を1枚・・・。

娘からみても、85歳には見えないし、思えない。
いつも笑顔で好奇心一杯。
「今回の旅行で若者と同じだけ歩けたから、どこでも行けますよ!!」
と皆さんに言ってもらったね。
今度はどこに行きましょうか??
(長くて、つたない旅日記。まだまだ、書きたいエピソードはありますが、ここらでおしまいにして、後日また、ちょこちょこ書きたいと思います。気長に読んでくださった方、ありがとうございました。)
以前、primaveraさんという方の旅行記を、それはもうあこがれてあこがれて、夢見るように読ませていただいたことがある。例の閉鎖になってしまったブログサイトのお友達だった。
海外旅行が趣味という方で、地球の歩き方、楽しみ方を熟知しておられた。
面倒臭がりやの私が、何とか我慢して書いているこの旅行記・・・とてもあの方のような文章にはならない、そんな次元では勿論なくて、写真と場所の表記があっているかどうかが心配なぐらいだ。
写真もこうしてみると、いくら携帯で片手撮影とはいえ、もう少し考えて撮ればよいものを・・・お皿全体がおさまらないとか、額縁が欠けるとか、
もうどうしようもなく、撮影のセンスが無い。
まあ、後悔していても仕方が無い、自分なりに、このお話を終わらせなければ・・・と薄れ行く記憶を頼りに書いてきた。
それがもうどうやら今回で最後になりそうだ。
ということで・・前回「その14」に続くウイーンでの最後の1日のお話。
つかれきった父と私、1番悩んだ、最後の晩餐が終わり、(何を着るかで悩んだのだ。田舎から雪の降った山岳地帯、そしてまだ夏の都会へと移動し、例年とは全く違う気候で、気温が不順で、衣装に困ったのは私たちだけではなく、旅慣れた同行の皆さんも口をそろえて仰っていたのだから、この旅行を乗り切った私は今後どんなシーンにも適応できるような気がする。)
明日の帰国の用意を済ませて、すばらしいお部屋の寝心地の良いベッドに吸い込まれるように寝入った。
何時頃だったろう、
ふと、目が覚めると、父がベッドに座ってなにかしている。
携帯電話を触っているのだ。
「どうしたん~?」
と、寝ぼけ眼で声をかけると
「目覚ましをセットしといたのが今頃鳴って、止まらんのや」
と、いう。
「ん~?」
そういえばなんか鳴っている。
覚醒するに従い、その音ははっきりと警戒音に聞こえてきた。
「お父ちゃん、それ、携帯の音と違うわ」
私は、父に
「服を着替えて、貴重品を持って部屋で待機するように」
と言った。
そして、大急ぎで、翌日着る予定だったシャツとパンツに着替えて部屋を飛び出した。
エレベーターは止まっていた。
やばいぞやばいぞ・・・心臓がドキドキした。
私たちの部屋は2階だけれど、天井の高いお部屋のホテルだから、階段は3階分ぐらいある。ばたばたと転げるように降りていったら、ロビーやエントランスにたくさんの人が集まっていた。皆バスローブを羽織って貴重品らしいバッグを持っている。
心配そうに身を寄せ合っている白い人たち。
日本人は誰もいない。私だけ。しかも服を着替えているのも私だけ。
外を見ると、回転灯が見えた。消防車だとわかった。
近くにいた人に尋ねてみたが首をすくめて分からないのジェスチャー。
私の英語が通じなかったのか?
それでも、みんながただ不安そうにロビーに集まっているということは、それほど緊迫してはいないと感じた。
そのとき、外から私たちの添乗員さんが、服を着替えた姿で、ロビーに戻ってきた。
「火災探知機が作動したので、消防車が来ました。今点検を行っているところですが、どうやら誤作動だと思われるので、大丈夫だということです。」
2人で、
「日本人はこういうときの反応が違いますね、みなさん、バスローブ羽織って、とりあえず避難するのに、日本人は、まず誤作動だ・・と疑うようで誰もきませんでしたね・・・」
と、苦笑いして部屋に戻った。
階段で、一足遅く、服を着替えて様子を見にこられた同行の方に出会ったので、ことの次第をお話して、一緒にまた階段を上った。
部屋に戻ると、心配そうに父がいつでも避難できるように用意して待っていた。
もう警戒音も鳴り止んでいたし、大丈夫だと伝えて、さっさと眠ることにした。
まったくもお~~
夢のようなオーストリア旅行最後の夜に、避難訓練をさせられてしまった。
夜中のこんな騒ぎで、私たちは、朝、ちょっとテンション低め・・。
午前中自由行動だったので、皆さん、スペイン乗馬学校の見学や、ベルベデーレ宮殿にクリムトの絵を見に行ったり、ハプスブルク家の宝物館などの見学をされるようだった。
私と父は、朝食バイキングをゆっくり食べて、もうどこも観光しないでホテル近辺をぶらぶら歩いてみるだけにした。
ホテル近所のスーパーマーケットを覗いた。スーパーといっても、日本で言うならちょっと高級なスーパー。
フードコーナー。

お肉は基本キロ単位で販売。でもこんなのもあった。

ぺったんこの桃が流行だそうで、みなさん買っていた。

自分で計ってレジに持っていく。

かぼちゃ君。1ユーロしないのは飾り物用かな?


入ったは良いが、出口が違うらしい。バーがあがらなくて出られないのだ。
分からなくて、入ってくる人と入れ違いに隙をぬって出た。
この2階にブティックとか雑貨屋さんがあった。父が、思い出にネクタイを購入したいというので、「グロリエッテ」というお店に入って、綺麗なシルクのネクタイを選んだ。店員さんが親切にいろいろ出してくれた。
次は、私が冷やかしでもいいからといって、スワロフスキーのお店に入った。
ペンダントのトップで素敵なのがあったので、私の分と、娘の分と2個選んだ。
75ユーロ以上の買い物を1店舗ですると、免税の書類を書いてくれて、後で税金が戻ってくる仕組みになっている。
店員さんは忙しい中、ささっと包んで、書類も書いてくれた。でも、なんということか、
大体のお財布の中の残金を考えて選んだつもりが、2ユーロ足りなかった。
セントコインとかもじゃらじゃら動員したが・・・足りなかった。
朝、部屋を出るときに、枕銭を2ユーロ置くか4ユーロ置くかで悩み、4ユーロ置いたから、それが失敗の元となった。
恥ずかしながら、ソーリーソーリーと、片方をキャンセルした。・・・勿論娘の分をキャンセル・・その後、カードがあることを思い出して、カードを出したが、店員さんは他の客の応対で大忙し、もう相手をしてくれなかった。
50ユーロあっても52ユーロのものは買えない。2ユーロを馬鹿にしてはいけない。
身にしみた。
おまけに、空港で時間があったので箱を開けてみたらショック!!
私のではなく、娘に選んだのが入っていた。
あんなに、はっきり説明したのに。あ~あ
それがこれ。

こんなお嬢がつけるようなもの・・・。え~ん;;
そんなことしているうちにホテルを出発する時間になった。
ホテルからウイーン空港までのバスの運転手さんはマリオさん。
やっぱりハンサムだけどマレクさんにはかなわない。
オーストリア航空便でフランクフルトへ。
フランクフルトでは出国審査。
父がベルトをはずし忘れて、ビービーなった。
私は問題なく通過・・・。
入国審査の時にハンコをもらっていなかったことを思い出した。
パスポートを見て首をかしげる。
今日の日付けで、スタンプ2個。→と←のついたハンコ・・・。
結局、
日本→ドイツ→オーストリア→ドイツ→オーストリア→ドイツ→日本
と出入国繰り返したのに、ハンコは4個。
ちょっとパスポート全部のハンコの数を数えてみる。奇数だ。
なんで~奇数なの????
よくよく調べると、ハワイでハンコが1個足りない。
まあ、いいか~そのお国の事情なんだろう。
帰りの飛行機では見事に爆睡。
隣に座った男の子がえらくフレンドリーに流暢な日本語で話しかけてくる。
サンパウロ出身の日系3世で、技術屋さんらしい。
26歳だと言っていた。
そこまで話したことは覚えているが、眠りこけた。
目が覚めたら、目の前にメモが張ってあった。
「お目覚めですか?お食事をお持ちいたしますので、お声掛けしてくださいませ」
うわあ~ちょっと恥っ^^;若者に笑われた。
機内食は2回出た。食事以外はずっと眠っていたので、時差ぼけなし。
あっという間の12時間帰国便。
荷物を受け取るときにまた、先ほどの青年に会った。
「元気でね~」と手を振ったら、ニコニコ手を振ってくれた。
父も疲れてはいたが、元気に、新幹線で帰っていった。
東京駅まで見送ろうと思っていたが、ツアーで一緒だったご婦人が、ご親切にも、
「東京駅まで行きますからご一緒しますよ・・」
と声を掛けてくださったので、あつかましく甘えることにした。
成田エキスプレスの改札で父と別れた。私はリムジンバスで自宅近くまで直行・・。
父の許しを得たので、ウイーンでの夕食会のときの写真を1枚・・・。

娘からみても、85歳には見えないし、思えない。
いつも笑顔で好奇心一杯。
「今回の旅行で若者と同じだけ歩けたから、どこでも行けますよ!!」
と皆さんに言ってもらったね。
今度はどこに行きましょうか??
(長くて、つたない旅日記。まだまだ、書きたいエピソードはありますが、ここらでおしまいにして、後日また、ちょこちょこ書きたいと思います。気長に読んでくださった方、ありがとうございました。)