はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

若山牧水と園田小枝子

2018年09月21日 | 読書



牧水は早稲田大学に通っていた21歳の時に、神戸で偶然にも園田小枝子と出会います。
同郷である友人日高園助の恋を成就すべく、牧水は神戸の赤坂家に乗り込んだのですが、そこに親戚である小枝子がいたのです。
小枝子は広島出身ですが当時は結核の療養のために須磨に来ていました。

この偶然の出会いが牧水の人生を悲惨なものにしますが、この出会いがなければ牧水の様々な恋愛の短歌は生まれなかったかもしれません。

小枝子はその後広島へは戻らずに、東京で勉学に勤しんでいた赤坂家の三男である3歳下のいとこの庸三と同じ下宿に住み始めます。
こうして牧水と小枝子の恋愛が始まりました。
その後二人の交際は5年にも及ぶことになるのですがその大半を牧水は寂しさと不安とジェラシーとで過ごしました。

当初小枝子はなかなか心を開こうとしません。
実は、小枝子は人妻で広島に夫と二人の子供までいたのです。
そのことを隠している後ろめたさが小枝子にブレーキをかけさせたのでしょうが、牧水ならずとも男は返ってのぼせ上りますよね。

このころに詠んだ歌ですが

幾山河越え去り行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅行く

白鳥は哀しからずや海の青そらのあおにも染まずただよふ


付き合い始めて一年以上になるのに肉体関係は無かったのですが、牧水にチャンスが訪れます。
明治41年の正月に房総半島の根本海岸へ泊りがけの旅行に行ったのです。
ただし、二人きりではなく、庸三も一緒の三人旅でした。
小枝子にしてみれば姦通罪もあったような時代ですので、庸三を伴ったのはアリバイ作りであったのかもしれません。
この旅行中に牧水と小枝子は初めて結ばれます。

そのことで牧水は有頂天となり多くの情熱的な歌を詠みます。

山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君

海哀し山また哀し酔い痴れし恋のひとみにあめつちもなし

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき恋の落人の国

ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ


さて牧水の有頂天ですが一か月も続かなかったようです。
小枝子をゲットした牧水は、彼女を奪われることを恐れ始めます。
庸三が敵のように思われてきたのです。
以後、結婚を求める牧水でしたが、叶うはずも無く、どろどろした三角関係が続きます。
後年牧水は酒と旅の詩人と称されますが、実態は苦しさから酒に走り、東京から逃げ出すような旅の繰り返しに過ぎなかったのです。
やがて、小枝子は妊娠し出産しますが、牧水の子か庸三の子かは当時では判定できません。
その子は幼くして命を落とすのですが、牧水も深く落ち込み哀切な歌をいくつか詠みます。

牧水の恋を振り返ってみれば、小枝子って性悪女ですよね。
故郷に夫と子供を残して出奔し、そのことを隠して牧水とつきあい、さらにはいとこともできてしまうのですから。



小枝子は美人だったようです。
牧水は性悪美人に翻弄されながら多くの歌を詠んだのです。

さて最後に私が好きな牧水の歌をアップしておきます。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ



俵万智・牧水の恋

2018年09月20日 | 読書


最近出版された俵万智の最新刊です。

俵万智といえば、『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 でブレイクしたのが1987年でした。
この作品では俵万智が牧水の影響を受けたとしか思えないような彼女の歌がいくつか紹介されています。


「おまえとは結婚できないよ」と言われやっぱり食べている朝ごはん
議論せし二時間をキスでしめくくる卑怯者なり君も私も
気づくのは何故か女の役目にて 愛だけでは人生きてゆけない


また、サラダ記念日の以前にプチブレイクした歌は

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

だそうです。


俵万智は40歳で長男を出産しシングルマザーになります。
子育てを両親に助けてもらいながら仙台に住みましたが、東北大震災で沖縄に逃れます。
石垣島の素晴らしい自然の中で息子は成長していきました。
しかし、小学校卒業が迫ってきた時に、息子のキャリアを考慮して本土?の一般的な中学校を目指して引っ越しを決断します。
行先はどこでもよかったのですが、俵万智は2006年に若山牧水賞を受賞していました。
牧水を研究するためには彼の故郷であり記念館もある宮崎を選ぶのがベストだと考えました。
息子と二人して彼女は2016年から宮崎市に住み始めました。

俵万智は以前から自分の息子の言動をツイッターにアップしていましたが、最近ブレイクしているようです。
一部を紹介します。

宿題を少しやっては「疲れた~」と投げ出す息子。
「遊んでるときは全然疲れないのにね」とイヤミを言ったら
「集中は疲れるけど、夢中は疲れないんだよ!」
と言い返されました。

「先生ってさあ」と息子。「よく前を見なさい!って言うよね」。
まあ、あんたがよそ見ばっかりしてるからじゃない?
「でもさあ、オレにとっては、見ているほうが前なんだよね」

母親の血を受け継いだような言語感覚ですよね。




昨日の答えです

2017年01月25日 | 読書
おこがましい(痴がましい)問題でしたが

櫛比の櫛はクシのことです。物が櫛の歯のように隙間無く並んでいる状態です。しっぴと読みます。

腥いは、なまぐさいです。

嗤笑は、ししょうと読み、あざ笑うことです。

甚くは、いたくと読みます。

は、はこと読み、箱の同義語です。

毟るは、むしると読みます。

抛擲は、ほうてきと読み、物を放り投げっぱなしにすることです。

廂間は、ひあわいと読みます。廂は家屋のひさしです。廂と隣の家屋の廂との間の狭くて陽がが当たらない空間のことです。

天鵞絨は、ビロードと読みます。三好達治の乳母車という詩で覚えました。

寝むは、やすむと読みます。

誑かすは、たぶらかすと読みます。

嫋々は、じょうじょうと読みます。嫋々たる美女は、たおやかな美女です。嫋々たる柳は、しなやかな柳です。

猥りは、みだりと読みます。猥らななどはよく使いますが、猥りがわしいという表現は初めて見ました。

縹渺は、ひょうびょうと読みます。広く果てしないさま、かすかではっきりとしないさまのことです。

坩堝はるつぼです。高温で液状化した鉄や銅を入れる壺です。アメリカは人種の坩堝だ、などと使います・

さて、明日からは飲み方の3連チャンが待っています。

南部医師会の新年会、某医薬品メーカーとの接待、木曜会です。

それに備えて、今夜は節酒します。

痴がましいようですが.....

2017年01月24日 | 読書
前回、漢字の読み方クイズをアップしましたが、昨夜妹夫婦から電話がありました。
まあ、慎ちゃんがついているので、ほとんど正解したようです。

ところで、”死神と呼ばれた女” には更に難しい漢字が使われています。
ふりがな付きでしたので、読めるのは読めるのですが、意味の分からないものもありました。

高難度ですので、ヒントになる文例をつけて出題します。

商家の櫛比する大通り



嗤笑する

く感動した





抛擲する

廂間の風が窓から流れ入って

天鵞絨



かす

嫋々たる美女

りがわしい

縹渺たる荒野

坩堝

どうでしょう?
慎ちゃんでも6割がやっとかな?
妹はトライするべきでは無いかも.....






死神と呼ばれた女

2017年01月21日 | 読書


読売新聞の書評を参考にしてネットで注文しました。

読み出してしばらくすると、何となく作者は女性だと勘違いしてしまいました。
登場人物は、ほとんどがあり得ないようなキャラのオンパレードで、全く深みがありません。
主人公は40歳の女性である斎(いつき)です。
古本屋で夫を助けながら中学生の娘を育てていますが、夫からDVを受け、姑からはいじめられています。

斎の両親は彼女が15歳の時に相次いで死亡しています。
斎と、その弟は、父親の開業医仲間で大親友であった海老原総合病院の院長に引き取られて育ちます。
院長には斎よりも1歳年下の娘である朔子と、数歳年上の長男がありました。
この朔子が古典的な手法を駆使して斎をさんざんいじめます。
院長夫人も斎を罵ります。
この、昔のちゃちな少女漫画のようなイジメストーリーがいつの間にか私に女流作家を連想させたようです。

斎の初恋の教師は不慮の事故(飛び降り自殺の巻き添え)で死にます。
母親は脳出血で死亡し、父親も水死します。
さらに小学生だった弟も交通事故で死にます。
斎は自分の愛する人たちが次々と死んでいくことから自分自身を死神のような女だと自覚します。

娘を置いて家を出た斎は、再び海老原家の昔の部屋に戻ります。

その後、一回り以上も若い、純朴な派遣社員である志田と肉体関係を結びます。
さらに、志田の推薦で、潮という薬学系のエンジニアとも寝ます。
3人は仲良く愛し合っていきます。

端折りますが、後半のストーリーは何故かファンタジーに様変わりしていきます。

読み終えた感想は最悪でした。
こんなお馬鹿な小説を出版することが許されるのだろうか?
出版してもらえるようなレベルには到底達していないと思いました。

この女は何者だと見てみると中島丈博!.....男でした。
しかもプロフィールを見ると、私よりも16年先輩の脚本家でした。81歳ですか....
NHKの大河ドラマ、”草燃える” ”炎立つ” ”元禄繚乱”
昼ドラ、”真珠婦人” ”牡丹と薔薇” などの台本を手がけたようです。

おどろおどろしいシーンの連続は脚本家の性なのでしょうか。
あるいは映像化を狙っているのかもしれません。
映像化されたならばチャチな視聴率がとれるのかもしれませんが、小説としては、お薦めできません。

ところで、この作品では、作者が高齢なためか、かなり難しい漢字が使用されています。

鐚一文、肩を聳やかして、目を瞠って、相好を崩して、渉猟する、夥しい、吃驚した、.....読めるかな、妹よ?

さて、先週の土曜日はT君とステーキの”島崎”に行きました。
まずは生ビールを1杯ずつ飲んで、私はウィスキーのボトルキープを頼みました。
もともとキープ制など無い店なのですが、私とT君が1杯売りで飲むと、天文学的な?料金が発生します。
特別に近所の酒屋さんからジョニ黒を配達してもらいました。
そして、当然ではありますが、きちんとそいつを飲み空けて、2次会の、”ガウディ”に向かいました。

今夜も7時から、”天草”で飲む予定です。
天草にはちゃんとサントリーの角がキープしてあるので安心?なのです。


藤沢周平・蝉しぐれ

2016年12月16日 | 読書


私が藤沢周平という名前を、他人の口から初めて聞いたのは平成7年の春でした。
当時の私は現在のクリニックを開業する準備段階として、前年の秋から菊陽台病院という救急病院に勤務しておりました。

その春に大阪からF先生が菊陽台病院に赴任して来ました。
年齢は私の2歳下でしたので、40をチョット越えたくらいだったでしょうか、おかっぱ頭に口髭をたくわえ、黒縁メガネというミュージシャン然とした風貌でした。

F先生は大阪で長年小児白血病の治療に携わってこられました。
最近とは違って、当時の白血病治療による寛解率は悲惨なものでした。
たくさんの子供たちの最期を看取っていく人生に疲れ果ててしまったのです。

F先生は私に、” 誰かがやらなければならない仕事だということは、ずっと承知していた。しかし、あまりにも消耗しきってしまった。
大阪から逃げ出すことを決意して、とりあえずは家内の出身地である宮崎県で就職を探したが見つからず、
隣県ということで熊本に来てしまった。 ” と事情を説明されました。

F先生はまじめで優秀なドクターでした。
菊陽台病院の診療は5時15分で終了するのですが、F先生は居残って10時近くまで研究をされていました。
私が、当時としては未だ珍しかったMRIの写真を医局のシャーカステンに貼り付けたところ、F先生は初めて目にするとのことで
昼休み中、それを注意深く眺めていました。
そして夕方になっても帰らずに、夜遅くまで、釘付けになっていました。

酒も飲まず、ゴルフなどの運動もせず、奥さんや子育ての話も聞いたことがありません。
私が、” じゃあ、先生の趣味は何ですか? ” と尋ねたところ、帰ってきた答えは、” 時々レーザーディスクを買うことと、藤沢周平を読むことです。 ” でした。

藤沢周平という名前はもちろん聞いたことがあったのですが、時代劇小説に興味のない私は、おかしな趣味だなと思っただけでした。

忘れてしまったエピソードだったのですが、今回蝉しぐれを読みながら、まざまざと思い出してしまいました。
F先生自体ががこの小説の主人公のような生き方を貫いていたからです。
F先生は、妥協するだとか、融通を利かせる、というようなことに背を向けて生きていました。
当然、患者さんやスタッフとの衝突も避けられず、時々問題が持ち上がっていました。

私が覚えているのは、ある患者の生活保護への診断書を毅然として断った事件です。
やくざ太りの中年男性が診察室でわめきちらしました。
” 前の先生には書いてもらってたのに、なんでダメなんだ! ”
F先生は一歩も引きません。” 前の先生は知らない。あなたには働けない病気など無い! ” と一喝しました。
結局、その男性は他の病院に流れたそうです。

F先生が医局の流しに立って水道水を飲む姿が懐かしく思い出されます。
お茶を勧めても、断って水道水を飲んでいました。
後で分かったことですが、F先生は熊本の水道水の美味しさに感動していたのだそうです。
” こんなに美味しい水を、お茶にするのはもったいない。 ” ということでした。
大阪では水道水のまずさにも消耗させられたのでしょう。

さて、” 蝉しぐれ ”ですが感動しました。
池波正太郎の痛快時代劇とは違って、深い文学性を感じさせられます。
主人公が少年から大人へと成長していくストーリーは、その内面的な成長も書き記さねばなりませんので、どうしても文学性が要求されるのかも知りません。
読後の満足感は半端じゃ無かったです。
若者風に言えば、” パネー! ” でしょうか。
100% お勧めの小説です。

池波正太郎・剣客商売

2016年12月09日 | 読書


先日、街中のTSUTAYAが規模を拡大してオープンしたので、ぶらりと立ち寄りました。
これまでは文庫本コーナーが出版社別だったのですが、今回は作家の、あいうえお順だけに統一されていました。
私自身は時代劇小説を読んだ経験はほとんど無かったのですが、その日の朝に読んだ新聞記事にチョッピリ刺激されていました。

とりあえず、記事推薦である藤沢周平の”蝉しぐれ”と池波正太郎の剣客商売の第一巻を購入しました。

剣客商売はテレビドラマ(藤田まこと主演) で何回か観ていましたので、容易にストーリーに入っていくことができました。
第一巻が面白かったので、即、全巻を中古でまとめ買いしました。

内容は痛快時代劇というのでしょうか、読み出すと止まらなくなり、漫画本を読むようなノリで16巻を6日で読んでしまいました。
主人公の小兵衛は第一巻に59歳で登場しますが、41歳も年下の女中と結婚するほど元気です。
その後、様々な事件を解決していくのですが、その間に、一人息子は田沼意次の妾腹の娘と結婚し孫ができたりして、
16巻で最後の活躍するときには67歳になっており、TIA(一過性脳虚血発作)らしき目まいにもみまわれます。
活躍はここまでで、93歳まで生きるのですが、75歳の時には34歳の妻である ”おはる”と静かに暮らしたようです。
そのおはるも48歳で主人公よりも早く死んでしまいます。

池波正太郎がこの小説を書き始めたのは48歳の頃でした。
巻がが進むにつれ、作者は徐々に主人公の年齢に近づきます。
そして16巻が刊行された翌年に亡くなられたのですが、年齢は奇しくも67歳でした。

剣客商売を私は65歳で初めて読みました。
レアなケースだと思います。
しかし、この小説を読むのにはベストな年齢であったような気がします。
勇気付けられもしますが、老いを受け入れていくことも覚悟するべきでしょう。

最近のことですが、テレビで遊園地の紹介があっていました。
そのジェットコースターには年齢制限がありました。
なんと、65歳以上はお断りなのだそうです!
受け入れるしかないでしょう.....

さて、8月29日にゴルフの練習を再開して100日が過ぎましたが、練習をさぼったのは2日間だけです。
ゴルフについてはあきらめるつもりはありません。
毎日練習できる体力があることに感謝して、老いを受け入れずに努力を続けます。

”私のゴルフスタイルが確立したのは奇しくも67歳の時だった。”なんて記事をアップしたいものですが....

内田樹と姜尚中の対談。

2016年09月13日 | 読書


まあ、私が尊敬する内田樹先生の対話ですので、読後感は痛快の一言に尽きます。
例によって素晴らしい日本語が展開されていきます。
浩瀚だの簇生だの読めない漢字も出てきます。(答えはコウカンとソウセイです。)
退屈することも無く、楽しく読み終えることができました。

内容ですが、私が新たに得た知見を一つだけ紹介します。

それは、内田樹はフランスを第二次世界大戦の敗戦国とみなしているということです。

内容を私なりに要約してみます。

1939年に大戦が始まって間もなく、フランスはマジノ線をドイツ軍に突破されて休戦協定を結んだ。
その結果、フランス北部はドイツの直接統括、
南半分が敗れたフランスのペタン元帥率いる対独協力のヴィシー政権の支配下となった。

ヴィシー政府は連合国に宣戦布告こそしなかったが、大量の労働者をドイツに送って軍事工場で働かせた。
また国内ではレジスタンスを迫害し、組織的にユダヤ人狩りをしてアウシュヴィッツに送り込んだ。
( 以前私がアップした映画 サラの鍵の背景です。)
事実上の枢軸国だったのです。

このヴィシー政権がどのようなことをしてきたのかは、戦後ほとんど検証されることはありませんでした。
そのような恥ずべき戦争犯罪に荷担してきた国には、戦勝国を詐称したり国連の常任理事国になったりする倫理的権利がないとも言われます。
戦後のフランスの迷走は自分たちの戦争犯罪と敗戦の事実を隠蔽して、
汚れた手を「 白い 」 と言い張って国民的欺瞞を演じたことに由来すると内田樹は考えているそうです。

さて、私の近況ですが、約束通り月曜と木曜を休肝日として、飲む日もウィスキーを250mlくらいに抑えています。
ゴルフの打ちっ放しも一日たりとも休まずに15日間継続しています。

順調ですが、一つだけ困った趣味に目覚めてしまいました。
それはパソコンに、あるゲームソフト購入してインストールしたことに端を発します。
毎日数時間を費やすという重症のゲームマニアになってしまったのです。
この件については次回アップします。

柴田翔・されどわれらが日々-

2016年08月03日 | 読書


庄司薫の、”赤頭巾ちゃん気をつけて ”よりも4年早い1964年に芥川賞を受賞した作品です。
私は高校時代に読んだのですが、今日、読み返してみました。

私の記憶ではヒロインは優子でした。

東大生である主人公の文夫は20歳のときに、仲間内のレクリエーションとして男女3人ずつで野尻湖畔にある東大寮に旅します。
その中の優子という20歳の東大生と交際を始めます。
しかし、やがてはデイトの回数も減っていき、二人は疎遠になっていきます。
そして優子は東大の教室で睡眠薬自殺をします。
病院に集まった友人達は優子を悼みます。
しかし、そのシーンで文夫は友人達を憎むのです。

私たちは蒸し暑い病院の中庭の日陰で、優子の両親の上京を待った。
みなよくしゃべった。
それは、殆ど快活とさえみえた。
私は彼らを憎んだ。
わたしは、彼らが優子の死を充分悼まなかったことを憎んだのではない。
彼らは充分悼んでいた。
だが、それにもかかわらず、いや、おそらくは、自分たちが友人である優子の死を悼まぬ訳はないと素直に信じられればこそ、
彼らは、自分が今人生の大事とかかわりあっているのだという意識に興奮し、無意識のうちに快活にさえなっていたのだ。
そして私は、彼らのそうした快活さを憎んだ。


この部分を初めて読んだ私は、柴田翔の観察力と表現力に舌を巻きました。
そして優子という名前とともに私の脳裏に深く刻み込まれたのです。
私にとっての、 ”されどわれらが日々ー”は、まさにこのくだりなのです。

ところが、実際のヒロインは文夫の遠い親戚でもある幼なじみの節子でした。
驚きました。
途中で挿入される優子のエピソードが強烈だったので、本筋がごっそりと記憶から抜け落ちていたのです。

優子も一筋縄ではいかないような性格だったのですが、節子になると、もはや手に負えません。
それでも前半から婚約するくらいまでは、なんとかついて行くことができました。
ところが、終盤の行動や手紙に至っては、もうお手上げです。

柴田翔がこの作品を書いたのは、計算すれば、20代の後半です。

私は節子という性格の女の存在は だと思います。
若かった柴田翔が観念として作り上げたモンスターでしょうが、ありえません。
鼻白んでしまうと表現すれば良いのでしょうか、まるで心に響きません。

私は、とんでもない悪人が正義の味方にやつけられた時に、いきなり改心して善人になるというストーリーを幼い頃から憎みました。
幼心にも を嗅ぎつけていたのでしょう。
そんなことを思い起こさせる作品でした。


田辺聖子・窓を開けますか?

2016年08月01日 | 読書


田辺聖子は1928年に大阪で生まれました。
1956年に、”虹 ” で大阪市民文芸賞を受賞して本格的な作家活動を始めます。
1964年に芥川賞を受賞するのですが、同年に文芸仲間であった川野彰子が急死します。
川野彰子は聖子と同い年で、直木賞の候補に2回選ばれており、早晩受賞するのは確実だろうと噂されていました。
聖子は川野彰子の追悼文を文芸誌に載せました。
それを読んだ彰子の夫が聖子のもとにお礼に訪れます。
この男こそ、後に聖子が結婚することになる皮膚科の開業医・川野純夫だったのです。
川野純夫は、” カモカのおっちゃん ” として聖子のエッセーにたびたび登場します。



1966年に結婚しますが、カモカのおっちゃんは40歳、聖子は36歳でした。
互いを、” カモカのおっちゃん ”、”お聖さん ”、と呼び合って仲良く暮らし、二人して、” おしゃべり夫婦 ”と呼ばれました。

窓を開けますか?は1972年の作ですので、お聖さんは44歳だったことになります。
お聖さんは自分の顔を、” オコゼ顔 ”と例えるくらいですから、不細工なオバチャンです。
しかし不細工でも不思議ともてる女性もいるようなのです。
この作品の主人公である亜希子は、” とんぼ目玉 ” で不細工な32歳のハイミス( オールドミスよりも響きがよろしいそうです )ですが
よくもてます。
OLなのですが、社内のイケメン若手社員をセフレにしていた時代があり、現在でも彼は時々秋波を送ってきます。
行きつけのバーで、初対面の男である桐生にくどかれます。
桐生は41歳で小さな機械工場のオーナーですが中学生の娘を持ち、妻とは離婚しようとしています。
この桐生とのやりとりが、この小説のメインストリームです。
さらに電車で亜希子をにらみつけてくる無骨な男が現れます。
この男も、後に亜希子に一目惚れした外科医としてストーリーにからんできます。
なんだか、もてもてOLの自慢話のようにも聞こえます。

私は、こっちの方がたくさん愛していて、相手の方が少ししか愛してくれない、なんてつまらないからいやである。
ずっと若い頃、そんな経験をしたことがあって、私はそれから、本気に惚れるのをおそれるようになった。
本気に惚れてるとき、女はみにくくなるからである。


情熱的に結婚を迫ってくる桐生を手玉にとりながら亜希子はこんなことを考えます。
私は何となく、物凄い人生のぜいたくをしている気がした。
人の心を湯水のように使って、こっちの心は少しも減らないなんて、バチ当たらないか、今に。


そして、自分がもてる原因は陽気さにあると考えています。
陰気になろうとしても、いうなら、抑えても抑えても水に浮く瓢箪のように、陽気になってしまうところがある。

かなりの長編ですが、楽しく読み切ることができました。



中村紘子・庄司薫

2016年07月31日 | 読書
中村紘子が7月26日に大腸癌で亡くなられました。72歳でした。
山梨生まれの世田谷育ちで慶應義塾中学を卒業しています。
1965年のショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞しブレークします。

庄司薫は1937年生まれで、全盛期?の日比谷高校から東大に進学し作家を目指します。
1968年に、”赤頭巾ちゃん気をつけて ” で芥川賞を受賞します。
この作品はベストセラーとなり、私も愛読しました。
私の妹は、この作品に出てくる、” 舌かんで死んじゃいたくなる ” という表現を今だに愛用しています。
今ではとてもナウいとは思われない表現ですが、妹の人生では重宝されるのでしょう....

さて、この作品中に、” 中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について....優雅にショパンなどを弾きながら暮らそうかなんて思ったりもするわけだ。 ”
というくだりがあります。
” あなたの名前が小説に出ているわよ。 ” と仲間から指摘されて、中村紘子はそれを読むことになります。
そして感動した彼女は、巻末の顔写真をみて、髭濃いくて泥棒みたいと思います。
しかし、その瞬間に、” 私、この人と結婚するわ。 ” とひらめいたそうなのです。

彼女は八方手をつくして、庄司薫が執筆のためにこもっていたホテルの部屋をつきとめて電話します。
” 中村紘子と申します。サインをいただきたいのですが.....”
ここから二人の交際が始まり、5年後に結婚したのです。

ところで、庄司薫って消えてしまいましたよね。
調べてみると、68年に赤頭巾、69年さよなら快傑黒頭巾、70年に白鳥の歌なんか聞こえない、75年僕の大好きな青髭と順調に小説を発表しました。
この、 ”赤、黒、白、青 ” は日比谷高校がらみの庄司薫を主人公とした四部作と呼ばれています。
中村紘子と知り合ってから結婚直後までですよね。
しかし、この後、庄司薫は雑文こそ書くものの小説は一作も書いていません。
つまり40年間も書いていないのです。

まあ、中年になっても青春文学を書き続けることに抵抗があったのかもしれないのではと勝手読みしたくもなります。
私は50年近くも以前に読んだそれらの作品を読み返してみようと思います。
赤頭巾で、私がかすかに覚えている内容は、横断歩道の安全な渡り方と、” ああ、その本なら読んだよ。 ”とさりげなく言うだけのために、
ひたすら読書量を増やすということぐらいですが....

田辺聖子・感傷旅行

2016年07月27日 | 読書


田辺聖子の1964年芥川賞受賞作です。

22歳のヒロシと37歳の有以子は二人ともライターとしてマスコミにしがみついていくような仕事を続けています。
有以子は若いときから男性遍歴を重ね続けていて、業界では誰にも相手にされないような存在です。

ある時有以子が共産党の若い党員と恋に落ちます。
ヒロシは有以子に協力するのですが、結局は捨てられてしまいます。

この小説をジャンル分けするならば、” わめきちらし物 ” になるでしょう。
捨てられた有以子が、ヒロシに対してわめきちらすシーンが延々と続きます。

女流作家が、女性のわめきちらしを書きつづるのですから、迫力があり、妙に信憑性も窺われます。
有以子がヒロシに男性遍歴を重ねた訳を尋ねられたときの答えをアップします。

「青春というものはお金といっしょよ。
残り少なくなると、むやみやたらと使いたくなるものよ.....」

宮下奈都・羊と鋼の森

2016年07月07日 | 読書


たった今、読み終わったのですが、久しぶりに小説を愉しむことが出来ました。

ジャンルとしてはヒーロー物でしょうか。
数年前に本屋大賞に選ばれた、” 舟を編む ” を思い出してしまいます。

主役は、森や羊牧場が近所にあるような、辺鄙な山村で育ちます。
聞き分けがよくおとなしい少年として、何に対してもこだわりを持たないフラットな性格を形成していきます。
その村では中学を卒業すると、町に出て、下宿しながら高校に通うのが恒例でした。
その高校2年のときに、学校のピアノの音色が調律師の手によって劇的に変化するのを聴撃します。(目撃をアレンジした私の造語です。)
ピアノの音色は、森の匂いを連想させたのです。
夜に近い危険な森の入り口を。
何一つこだわったことのなかった少年は、その瞬間に様変わりします。

調律師は少年にピアノの中身を説明します。
鋼のピアノ線を木のハンマーが叩くことを。
そしてハンマーの先には羊毛で作られたフェルトが貼り付けられていることを。

少年は故郷の森や羊牧場を思い出します。
その場で調律師に弟子入りを志願しますが、断られます。
その代わりに、調律師の養成学校を教えてもらいます。

以後、ひたすら調律の世界にどっぷりと、超人的に傾倒していくヒーローが誕生していきます。

舟を編むもそうだったのですが、この作品にも、悪人は一人も登場しません。
個人的な意見ですが、読後感の気持ちよさは保証されていると思います。

余談ですが、作品の中で、善という字も、美という字も、語源は羊なのだということが紹介されます。
最近、吉田羊という女優がブレイク中です。
オカシナ名前だなと思っていたのですが、これからは尊敬することにします。

三好達治・昼

2016年06月10日 | 読書
一昨日、飲みながらテレビを観ていると、三好達治の有名な詩、” 乳母車 ” が紹介されていました。
高校生の頃の私は三好達治の大ファンでした。
私が最も好きだった詩を紹介します。



別離の心は反つて不思議に恋の逢瀬に似てあわただしくほのかに苦い。

行くものはいそいそとして仮そめの勇気を整え、
とどまる者はせんなく煙草を燻らせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る。

彼女を乗せた乗合馬車が、風景の遠くの方へ一直線に、
彼女と彼女の小さな手提げ行季と二つの風呂敷包みを伴れてゆく。

それの浅葱のカーテンにさらさらと木洩れ日が流れて滑り
その中を蹄鉄がかはるがはる鮎のように光る。

ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。

そして、それはもうすぐ、あのここからは見えない白い橋を
その橋板を朗らかに轟かせて、風の中を渡って走るだらう。

すべてが青く澄み渡った正午だ。

そして私の前を矮鶏の一列が石垣にそつて歩いている。

ああ時間がこんなにはっきりと見える!

私は侘びしくて、紅い林檎を買った。


20代の頃に、私は6年間一緒に暮らした女性と別れました。
彼女は卒業して、郷里である福岡に帰ることになったのです。
彼女の荷造りを手伝いながら、ふと、この詩を思い出しました。

そして、当然ですが、ゆっくりと煙草を燻らせながら、文学的なカタルシスを味わいました。

恥じらい型の雌・尻軽型の雌・誠実型の雄・浮気型の雄たちのESS

2016年03月28日 | 読書
前回ハト派とタカ派のESSを紹介しましたが、さらに複雑な例題をアップします。

グループを4つに分けて、以下のように定義します。

恥じらい型の雌 : 雄が数週間にわたる長くて高価な求愛を完了しなければ彼と交尾しない。
尻軽型の雌 : だれとでもただちに交尾する。
誠実型の雄 : 長期間求愛を続ける忍耐力があり、交尾後も雌のもとに留まって子育てを助ける。
浮気型の雄 : 雌がただちに交尾に応じなければ、別の雌を探しに行く。交尾後は新しい雌を探しに行く。

スコアについては以下のように設定する。

子供が無事に育った場合、それぞれの親が得る遺伝的利得を+15点とする。
子供を育てるための食物や、時間や、親がおかさねばならない危険などをカウントしてマイナス20点とする。
長い求愛での時間のロスをマイナス3点とする。

恥じらい型の雌と誠実型の雄のカップルで子供を育てた場合を計算すれば
雌も雄も+15-10-3=+2点となります。

さて、この集団に尻軽型の雌が1頭入り込んできたとしてみると、彼女の成績は抜群です。
長い求愛での時間を省略しますので得点は+15-10=5となり恥じらい型の雌を3点も上回ります。
そこで尻軽型の雌の遺伝子は集団内に広がり始めます。

尻軽型の雌が多数になってくると、浮気型の雄が活躍を始めます。
浮気型の雄は+15点を簡単にゲットして次の雌に走ることができます。
一方、その相手の雌は悲惨です。
+15点はゲットしますが、独りで子育てのマイナスポイントである20点を背負い込むので、合計は-5点です。

そうなれば恥じらい型の雌が増えていくでしょう。
恥じらい型の雌が増えると、浮気型の雄は交尾のチャンスが少なくなります。
この場合ポイントは雌も雄も0点なのですが、雌にとってはマイナス5点よりはずっとマシなのです。

こういう振動が繰り返された時に収斂するESSを計算すると、雌の6分の1が尻軽型で、雄の8分の3が浮気型の状態ということになります。
この数字は人間社会での現実に近いような気もしますが、どうでしょう?

さて、上記のシュミレーションでの最悪なポイントを考えてみました。
それは、恥じらい型の雌と誠実型の雄が、長い求愛期間の末に子を作って分かれた場合です。
子育てを押し付けられた雌が得るポイントは-3+15-20=-8点となります。

交尾のチャンスを考えて見ると雄では誠実型が有利です。
恥じらい型、尻軽型のどちらとも交尾できるからです。
同じように雌では尻軽型が有利です。

結局、雌の場合は、子育てに協力してくれる雄を選ぶことこそが最も重要な作戦のようです。
しかし、うまくいく確立は8分の5しか無いことを覚悟しておく必要がありそうです。

私のタイプですか?
それは秘密です。

まあ、秘密とした瞬間にバレバレのような気もしますが.....