昨日ワンが老衰で死亡しました。16歳と4カ月でした。
クリニック開業間もない平成8年の3月に患者さんから2匹の仔犬をいただきました。
生後2カ月くらいのメス犬の姉妹でした。毎朝クリニックに連れて行き、院長室で室内犬として育てました。
毎日最低でも3回は散歩をさせました。朝と寝る前は近場ですが、昼休みや夕方は車に乗せて市内の様々な公園に連れて行きました。
ロングドライブにも必ずお伴させました。阿蘇、天草は数えきれず、中央町の3000段もクリアさせましたし、鞍岳にも登らせました。
クロは賢い犬で私の一挙手一投足を見のがさず、私が財布をポケットに入れただけで外出を悟り、ついていこうとドアに先回りしました。
私がタクシーを待っている時に2階の出窓を見上げると、必ずクロが鼻先でカーテンを押しのけて私を見送っていました。
私が、打ちっぱなしやボウリングや、飲み方から帰宅した時も、90%以上の確率で、出窓のカーテンの隙間には、
じっと私の帰宅を待つクロの姿がありました。
診察室の椅子からはアコーディオンカーテンの隙間から二階への階段が見えるのですが(患者さんからは見えません)、
その踊り場から私をじっと見詰めることも度々でした。
スタッフは私に、”クロが犬でよかったですよね。女だったらストーカーとして怖いですよ。”と言います。
私は、”いや、しゃべらない女なら楽だし怖くない。”と応えました。
驚いたことに、クロが死んでから、初めて、私とワンが、それほど仲よしでは無いという事に気付きました。
ボス犬のクロの陰に隠れた存在であったワンは、常にクロに遠慮する行動をとっていました。
いうなれば、ワンはクロのオマケのような存在だたのです。そのクロが居なくなっても、長年培われてきた習性は変わりません。
ワンと暮らしたこの一年は二重の意味で私にとってはつらいものでした。
次第に、しかし、確実に弱っていくワンを見つめていかねばならぬ事、そして、ワンの存在がクロの不在を強く思い起こさせるという意味で。
昨夜は不覚にも、飲み屋で泣いてしまいました。そして、酔っ払った頭で、また犬を飼おうかとも考えました。
今、この院長室に犬がいません。この30数年で私の部屋に犬がいなかった日は10日もないので、不思議な気持ちです。
しかし、今回は年齢の問題もあるので、少なくとも、49日にあたる8月15日までは犬を飼わないことにしました。