はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

トリミング

2017年07月13日 | 
育ててきたミニチュア・シュナウザーのサラとランは、やがて生後6ヶ月になろうとしています。

これがサラです。誰にでもなついていく甘え上手な性格で、皆に可愛がられます。



これがランです。慎重な性格で、簡単には他人に近寄りません。しかしトラウマがあるのか独りぼっち恐怖症です。



ツーショットは



です。

体重はサラが6Kgちょうど、ランは6.7Kgで、少しずつ差が拡がってきました。

毎夕、車で10分の熊本市立谷尾崎梅林公園に散歩に連れて行きます。
昔はバスケットに入れたり、両手でかかえたりして車に乗せたのですが、1ヶ月くらい前から、自分たちで乗り降りできるようになりました。
梅林公園は基本的に無人で貸し切り状態ですので、ランサラは放し飼いです。
毎日2匹の激しいバトルが展開されます。
追い掛け合って、転がして噛み合うのですが、犬の全力疾走を見物するのは快感です。
体重差はありますが、小柄なサラの方がスピードと俊敏性に優ります。
フェイントや切り返し、そしてそれらの組み立て方がみごとでランを翻弄します。
最近では、ランは追跡をあきらめ気味で、逃げられると、伏せをして、サラの挑発的な接近を待つようになりました。
逆に、サラが追いかけてランが逃げるパターンでは必ず追いつかれて転がされてしまいます。
ランもフェイントや切り返しの技を使うのですが、そのデザインに問題があって、相手にショートカットを許してしまうのです。
そこで、逃げ切れないと悟ったときのランはビタッと伏せをします。
ラグビー用語で言えばテイキング・ザ・タックルでしょうか、転がされないように大地にしがみつくのです。

さて1週間前から、私は公園をゆっくりと歩きながら散歩させるのをやめました。
20分間全力で歩くことにしたのです。
公園内のあるルートを12周すれば、ちょうど20分になります。
もちろんランサラは私についてくるのですが、スタミナに難点があるようです。
最初の3周くらいは、バトルを繰り返しながら私に追いついてくるのですが、次第に全力疾走が減ってきます。
途中からは、ただただ私についてくるだけという状態になります。
さらには、引き離されたランはショートカットを利用し始めます。
あげくのはてに、ランは周回遅れにもなるというていたらくでした。

この二匹のキャラは、利口で甘え上手なサラと、鈍くさくて用心深いランという対称的なもののようです。

写真を見ておわかりのように、私がランサラの顔をカットしてやりました。
そうしないと上下からの毛によって両眼が隠されてしまうからです。
さらに、ランは頭、耳、頬もカットしました。
不細工に毛が伸びて、まるで落ち武者かプレデターかというようなルックスになったからです。

もともとシュナウザーカットなる物があって、こんなイメージのようです。



しかし、こんな犬を連れて歩くのはちょっと気が引けます。
熊本市内にシュナウザーカットの専門店も見つけてあるのですが、決断に踏み切れません。
しばらくは私がトリミングを続けていくつもりです。

それから、当然の話ですが、2匹とも糖質制限で育てています。
ペットフードも一切与えません。
ひたすら肉と魚とわたしのつまみのお裾分けです。
犬は離乳期に与えられた餌を一生好みます。
ランサラは鯛の刺身とピーナッツを死ぬまで欲しがることでしょう。


中学・高校の親友O

2017年07月10日 | 同窓会
昨夜博多の友人から連絡がありました。
6月18日に中学高校の同級生だったOが亡くなったそうです。
5年前から食道癌との戦いを強いられていたようです。

彼は精神科医として天神でビルクリニックを開業していました。
百道中学校3年生の時のクラスメイトだったのですが、そのクラスには後に眼科医となったRと、歯科クリニックを開業したSもいました。
私を含む、この四人で仲良しグループを形成していたのですが、リーダー格はOでした。
強面でゴリラのような体格でしたので、グループがトラブルに巻き込まれることは皆無でした。

4人とも修猷館に進学したのですが、そこでも時々集まっていました。
私たちが高校三年生だった夏休みにRの家に3人で泊まりに行きました。
そして、その夜は、みんなしてラーメン屋でテレビを観たのですが、画面にはアポロ11号による月面着陸の瞬間が映し出されていました。
その記憶は、青春の一シーンとして時折思い出されることになりました。

高校では4人とも水泳部に入りました。
一時期ではありますが、私と緒方は部活を終えて、一旦家に帰り、食事を摂った後に、修猷のプールに忍び込み、真っ暗なプールで400m泳ぐという特訓を続けたこともありました。
一方で、私とOは余りにもハードな練習に耐えかねて、逃げだしたこともありました。
逃げてはみたものの、翌日にはガられる(博多弁で怒られるの意)のを覚悟で練習に参加したのですが、意外にもお咎めなしでした。
喜んで、いつもよりも気合いを入れて練習し、整理運動を終え、シャワーを浴びていると、キャプテンが声をかけてきました。
”長谷川とOは昨日の分の5000を今から泳いでこい!”
疲れた体に鞭打って泳ぎ始めたのですが、次第に意識が朦朧としてきました。
考え事をしながら泳ぐのですが、それが考え事なのか夢なのか判然としなくなっていったのです。
ターンするときだけは先輩達の ” とばせっ! ” という怒声で目を覚ますのですが、再び、泳ぎながら夢を見始めます。
しかし、その時思わぬ僥倖に恵まれました。なんと、定時制の連中が体育の授業としてプールに入ってきたのです。
結局2200mで中止となりました。プールから引きずり上げられてOと目を合わせたのですが、お互いに喜びを隠せないような表情だったことでしょう。

昨夜はテレビも消して、一人で静かにOとのことを思い出しながら延々と飲みました。
当時の百道中学校の運動場は、その一端が海水浴場みたいなロケーションでした。
昼休みにはOと二人で、砂浜に座って毎日のように語り合いました。
最近で言うコイバナでしょうか。
お互いが思いを寄せる女性のことを延々と語るのです。
ある時、Oは思いを寄せる女性を待ち伏せして、手紙を渡そうと試みたのですが、直前でビビッてしまって実行できなかったとのことでした。
そこで、次回は私についてきて欲しいと頼んできたのです。
私は承諾して、Oと二人で待ち伏せ場所に隠れました。
私はOに言いました。” 今日、手紙を渡せなかったら、お前は卑怯者だ。 ”
実は、このセリフは私のオリジナルではありません。
ガキの頃読んだ児童文学全集の中にあった、同じような状況でのセリフを拝借したのです。
確かではありませんが、その小説はケストナーの ” 飛ぶ教室 ” だったと思います。
卑怯者と呼ばれるのを最も忌み嫌う年頃ですので、背中を押してやるのには最適なセリフです。
それが功を奏したのか、Oは手紙を渡すことに成功したのです。
その後、我々のコイバナがエスカレートしたことは言うまでもありません。

久し振りにSと連絡を取り合って、8月5日に私が博多に赴き、Rを交えた3人で飲むことにしました。
3人でOの通夜を執り行います。