学生時代に味噌天神に住んでいた時代がありました。
近所に ” 水仙 ” という居酒屋があり、私はその店の常連でした。
ある日、その店に学生さんらしき男が一人で入ってきてマスターに尋ねました。
” 日本酒は一杯いくらでしょうか? ”
これが私と中川君との初めての出会いでした。
中川君も医学部の学生だったのですが、敬虔なクリスチャンで、飲み歩いた経験は無いとのことでした。
しかし、一緒に飲んでみると意外に強く、穏やかで優しい酔いっぷりを見せてくれました。
中川君には、やはりクリスチャンであるミホちゃんという彼女がおり、毎晩12時ごろになると飲み屋から彼女の部屋に必ず電話を入れていました。
内容は、いつも、” 大丈夫だ、飲みすぎないように気を付けて帰る。 ” というワンパターンなものでした。
(後年、私も水仙のマスターも、この二人の結婚披露宴に出席することになります。)
中川君にはパチンコの必勝法を教えてやり、よく二人で飲むようになりました。
ところが、ある日の朝方5時ごろに中川君から電話が入りました。
” 水仙にいるんだけど、メガネが見つからないので助けて欲しい。 ” という内容でした。
水仙に駆けつけて店の戸をガラリと開けたのですが、店内はたくさんのテーブルや椅子や植木鉢が倒れて、箸や灰皿やコップなどが散乱していました。
畳敷きの部分に中川君と、酔いつぶれかけたマスターが座っていました。
どうしたんだ?と尋ねると、” 相撲を取った。 ” とのことでした。
マスターは骨太で、大きなゲンコツの持ち主でした。
中川君も柔道部出身のがっちりした体格ですので、この二人が相撲を取ると、ただでは済まないことが容易に想像できました。
相撲を取った理由については最後まで分からずじまいでしたので、泥酔していたのでしょう。
中川君が卒業して大阪へ行ったことは知っていたのですが、それからは連絡を取り合うこともなく、35年が経過しました。
ところが最近熊本に顔を出すとの連絡が水仙のマスター入り、飲み方がセッティングされたのです。
街の料理屋に中川君とマスターと私、それに、やはり水仙の常連であった熊日新聞関係の方が集まって乾杯となりました。
中川君は髪の毛に白いものが混じりチョッピリ太っていましたが、昔の面影は十分残っていました。
そして何よりもその穏やかで優しい話し方に全く変わりがないことに感動させられてしまいました。
近畿大学で腫瘍学の教授をしているそうですが、偉そうなそぶりは皆無でした。
2次会まで痛飲したのですが、中川君は最後は寝落ちしそうになりました。
酒だけは弱くなったのかな?
それとも、こちらが強くなりすぎたのでしょうか?
近所に ” 水仙 ” という居酒屋があり、私はその店の常連でした。
ある日、その店に学生さんらしき男が一人で入ってきてマスターに尋ねました。
” 日本酒は一杯いくらでしょうか? ”
これが私と中川君との初めての出会いでした。
中川君も医学部の学生だったのですが、敬虔なクリスチャンで、飲み歩いた経験は無いとのことでした。
しかし、一緒に飲んでみると意外に強く、穏やかで優しい酔いっぷりを見せてくれました。
中川君には、やはりクリスチャンであるミホちゃんという彼女がおり、毎晩12時ごろになると飲み屋から彼女の部屋に必ず電話を入れていました。
内容は、いつも、” 大丈夫だ、飲みすぎないように気を付けて帰る。 ” というワンパターンなものでした。
(後年、私も水仙のマスターも、この二人の結婚披露宴に出席することになります。)
中川君にはパチンコの必勝法を教えてやり、よく二人で飲むようになりました。
ところが、ある日の朝方5時ごろに中川君から電話が入りました。
” 水仙にいるんだけど、メガネが見つからないので助けて欲しい。 ” という内容でした。
水仙に駆けつけて店の戸をガラリと開けたのですが、店内はたくさんのテーブルや椅子や植木鉢が倒れて、箸や灰皿やコップなどが散乱していました。
畳敷きの部分に中川君と、酔いつぶれかけたマスターが座っていました。
どうしたんだ?と尋ねると、” 相撲を取った。 ” とのことでした。
マスターは骨太で、大きなゲンコツの持ち主でした。
中川君も柔道部出身のがっちりした体格ですので、この二人が相撲を取ると、ただでは済まないことが容易に想像できました。
相撲を取った理由については最後まで分からずじまいでしたので、泥酔していたのでしょう。
中川君が卒業して大阪へ行ったことは知っていたのですが、それからは連絡を取り合うこともなく、35年が経過しました。
ところが最近熊本に顔を出すとの連絡が水仙のマスター入り、飲み方がセッティングされたのです。
街の料理屋に中川君とマスターと私、それに、やはり水仙の常連であった熊日新聞関係の方が集まって乾杯となりました。
中川君は髪の毛に白いものが混じりチョッピリ太っていましたが、昔の面影は十分残っていました。
そして何よりもその穏やかで優しい話し方に全く変わりがないことに感動させられてしまいました。
近畿大学で腫瘍学の教授をしているそうですが、偉そうなそぶりは皆無でした。
2次会まで痛飲したのですが、中川君は最後は寝落ちしそうになりました。
酒だけは弱くなったのかな?
それとも、こちらが強くなりすぎたのでしょうか?
35年ぶりの再開、きっと話が盛り上がったのではないかと思います。