大昔には医師が、人間も動物も両方診るという時代がありました。
しかし、医学が発展してきて、ビッグビジネスになるにつれ、両者は分離されました。
その当時は、人間と動物は違う生き物であるという、願望にも似た常識が主流になっていたのです。
日本では坂本龍馬が活躍していた時代に、英国ではダーウィンが種の起源で進化論を発表して学会に一石を投じましたが不評でした。
動物にも感情や、それに付随する行動があるという考え方が受け入れられなかったのです。
デカルトは、肉体と心を完全に二分して、以下のように述べています。
人間だけが ( 特に男性が ) 心を持つ。
心を持たない動物は、物質的領域にすっかり押しやられている。
人間は、「我思う、ゆえに我あり」だが、動物は 「考えることができない」
まあ、この、( 特に男性が ) という付注には、異論もあるでしょうが、当時のデカルトの意見です。
一瞬、ニヤリとしてしまった私には何の罪もありません。
さて、10年前までは、人間を診る医師と、人間以外の動物を診る獣医師との交流は稀でした。
しかし、この本の著者は、応援に行った獣医師たちの間では数十年も以前から常識とされてきた、" 捕獲性筋疾患 " という病名を初めて耳にします。
そして、その疾患は、最近日本人医師たちによって発表された、" たこつぼ心筋症 " という人間の病気に似ていることに気づきます。
ごく最近に発表された人間の疾患が、動物の世界では昔からの常識であったことに驚き、獣医学が人間に応用できる可能性を見出します。
この本は、医師、獣医師にとっては、素晴らしく有用です。必読書かもしれません。
しかし、400ページに迫るようなボリュームですので、すべての方々に推薦するわけにはいきません。
そこで、私にとってユースフルだと思われた内容を、個別にアップしておきます。
捕獲性筋疾患
獣医学の教科書では数十年前から掲載されている疾患です。
捕食者につかまえられた動物は血中のアドレナリン濃度が危機的なまでに急上昇することがあり、筋肉に障害が起きます。
心臓の筋肉がやられた場合は、過剰なストレスホルモンによって、血液を送り出す心室の動きが妨げられ、うまく機能しなくなります。
特にシカ、齧歯類、鳥類、小型の霊長類など、捕食者の獲物にされる、ひどく神経質で臆病な動物の場合は死に至ることがあります。
捕食者が獲物に対して最初に起こすアクションは、" 見つめる " ということですから、彼らと目を合わせるという行動は避けるべきです。
そういえば、高崎山でも、" 猿と目を合わせないように " という注意書きが掲示されていますよね。
動物にとって捕まるというのは、何かが自分を食べようとしている時以外にはありえないのです。
実際に人間が動物を捕獲する際には、何割かの個体は、外傷も無く死亡します。
キリン、バッファロー、ヘラジカ、鹿、インコ、アメリカシロヅル、イルカ、クジラ、ロブスター、マスタング、などは
追いかけられるとカテコールアミンが大量に分泌され、横紋筋融解症を引き起こします。
その溶け出した血中のプロテインが腎臓での処理能力を上回り腎不全からのショック死を招くのです。
この死に方は、人間が、建て物の下敷きになって、かなりの時間が経過した後に助け出された時の死に方に似ています。
つまり、当初は意識もあって、会話も可能なのに、下敷きになって壊死した患部からの血流が再開されたために
同じようなメカニズムで死亡するパターンです。
たこつぼ心筋症
1990年代の半ばに日本の心臓専門医のチームが発表した病名です。
英語では broken heart syndrome と名付けられました。
極端な感情的ストレスを体験した人が、押しつぶされるような強い胸痛を自覚して救急病院を受診します。
心電図の波形は心臓発作の発生を示しています。
ところが、冠状動脈の造影では、閉塞や狭窄が、どこにも認められないのです。
しかし、通常はレモン型で血液を駆出し続ける心室が、たこつぼ型(裸電球型)に変形して、機能不全を起こしているのです。
さて、追いかけられた動物の何割かは捕獲性筋障害で死ぬのですが、追いかけられること無く捕獲された動物はどうでしょうか?
著者はゲームオーバーと表現しますが、やはり高い確率で死亡します。
アイルランドユキウサギ、オジロジカ、ワタボシタマリン、アンテロープ、ナキウサギ、ヒグマ、オオヤマネコ、ハイイロオオカミなどで確認されています。
捕獲された状態に、大音量が追加されると、死亡率はさらに上がります。
コペンハーゲンの公園でタンホイザーが演奏された時に、その隣の動物園で飼育されていた6歳の雌のオカピが、
ストレスいっぱいの数分間を過ごした後に、ぱったり倒れて死んでしまいました。
獣医たちは大音量が引き起こした捕獲性筋障害による死亡と診断しました。
動物ではポピュラーな心因性の障害が肉体的な障害に即座に結びつく病態を、人間の医学ではネーミングしていません。
そこで著者は Fear/Restraint-Associated Death Events
FRADEと名付けました。
おそらくは、Afraid にこじつけて エフレイド と読ませたいのでしょう。
乳幼児突然死症候群
危険要因は3つのようです。
1.うつぶせ寝
うつぶせで寝ている時、心臓の上方の部屋(心房)は、大動脈から入り込んだ血液でいっぱいになる。
そして、心房内の圧受容器が容積の増加を感知し、圧受容体神経がそれを押しとどめるための一連の反応を自動的に起こす。
その結果、呼吸衝動が弱まる。
心臓の拍動も遅くなる。
2.大きな音
たとえば、ドアをがちゃんと閉める音、車のクラクション、口論の大声、電話の呼び出し音に子供は驚きおびえる。
心拍数は、突然のショック音に反応して、急激に低下する。
3.おくるみ
2004年にベルギーの医師たちは、厳重な監視のもとで、仰向け寝、うつぶせ寝、おくるみの有る無しに赤ん坊をグループ分けして
耳から2.5cm離れたスピーカーから90デシベルのホワイトノイズを3秒間流した。
結果は、うつぶせで寝ていようが、仰向けで寝ていようが、おくるみで拘束されている赤ん坊たちは心拍数の低下が著明であった。
つまり、おくるみを着せられた赤ん坊をうつぶせ寝にして大音量を与えることは、三重苦を与えることになるのです。
さて、私の右の側腹部痛ですが、経過は最悪でした。
骨折を疑って、何度もレントゲンを撮ったのですが、確認できませんでした。
バストバンドを厳重に巻いて生活しました。
負症後3日目に、痛みは、当初を10とするならば9に減ったような気もしましたが、冷静に考察すれば、これは痛みが減ったのではなく
痛みに慣れただけかも知れないと思いました。
そして、怪我というものは、日にちが経つにつれ、回復していくはずです。
ところが、わたしの痛みは逆に悪化していきました。
7日目には、車の運転に支障をきたすようになりました。
痛みのせいでウィンカーが出せないのです。
左手一本で運転していたのですが、左手で自分の右手を握って、ハンドルまで運びました。
ハンドルに乗せた右手から、かろうじて小指を引っ掛けてウィンカーを作動させるしかありませんでした。
もちろん曲がり角でも左手一本でハンドルを切っていきます。
車庫入れでも体をねじるのが苦痛でしたので、ミラーだけを頼りに実行しました。
そして、その晩ですが、精神的に切れてしまいました。
痛みは、控えめに評価しても12くらいに増強していました。
怒りの矛先はバストバンドに向かいました。
息苦しいのを我慢しながら着用し続けていたのです。
まあ、女性たちは、ブラジャーなる物で毎日我慢していることだろうから....などと自分を慰めながらです。
我慢が全く報われなかった時に人は切れます。
温厚な?私もワンノブゼムで、バストバンドを投げ捨てました。
投げ捨てて、今日で4日目ですが、不思議なことに痛みは急速に減り始めて、数字で表せば5くらいでしょうか。
骨折は誤診で、実際は捻挫(肉離れ)だったのかもしれません。
肉離れをバストバンドで厳重に圧迫固定することが、回復に対してマイナスに働いたのかもしれません。
やれやれと一息ついたのですが、今年の春は完全に諦めていたゴルフへの復帰がチョッピリですが、垣間見えてきました。