はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

禁煙成功体験記の続き

2011年11月29日 | 健康
過去の禁煙トライアルが、飲酒で失敗することが多かったので、禁酒も守っていたのですが、7日目に、どうしても欠席できない飲み方が待っていました。
不安を胸に参加しましたが、”もったいない”を呪文のように唱えることで何とかクリアーできました。
翌朝、酒を飲んでも煙草を吸わなかった自分がチョッピリ誇らしく思えました。
その後の経過は、失恋から立ち直る過程によく似ていました。
別れた直後は、毎日、何度もその女のことを思い出すのですが、次第にその回数は減っていきます。
3か月くらいで、自分が煙草を吸わないことさえ意識せずに済むようになりました。
煙草を吸っている人を見かけると、”まだ、あんな、性悪女と付き合っているのか。”と憐れむようになりました。

しかし油断はできません。
学生時代に100日間の禁酒禁煙に成功したことがありましたが、たったの一晩でもとのもくあみでした。
煙草の美味さは一生覚えているわけですから、10年間禁煙していても、また、”性悪女”に手を出す可能性はあるのです。
これはテレビでタモリが紹介した方法ですが、吸いたいと思ったら15秒間我慢することにしています。
15秒たつと気が変わります。なんてバカなことを思ったんだろうと反省します。

”長谷川先生は、煙草を吸ってない時は、煙を吐いている”とスタッフに言われていた昔が嘘のようです。

禁煙の成功体験記

2011年11月28日 | 健康
私は二十歳で煙草を吸い始めて以来、私よりもヘビーなスモーカーに出会ったことが有りませんでした。
基本的には、毎日4,5箱を吸い、飲み方や麻雀があれば10分ごとに1本づつ消費していました。
したがって、行きつけのスナックには、必ず私が吸う煙草数箱がストックされていました。
しかし医者として、そのままではCOPD(慢性閉塞性肺疾患)が避けられないということが分かっていたので禁煙を決意しました。
COPDとは慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫などの総称ですが、その末期には、陸地にいるのに、海で溺れるような残酷な死に方が待っています。
肺が硬くなるとともに、トラッピング現象が起きて、二酸化炭素を吐き出せなくなるのです。
酸素チューブを鼻に装着している老人は、殆んどがCOPDです。
酸素を吸うことはできても二酸化炭素を吐き出せないのですから治療の方法がありません。

さて、私は長年、キャスターという煙草の6mgを吸っていました。
それを49歳の誕生日に3mgに切り替えました。
当初は、ひどく物足らなかったのですが、無いよりはましです。やがて慣れました。
そして半年後に1mgに切り替えました。
これは辛かったです。吸っても空気しか入ってこない様な感じで、吸えば吸うほど苦しくなりました。
それでも無いよりはましだろうと、自分に言い聞かせて辛抱しました。
すると、しばらくして不思議な現象が起きたのです。
以前は会議の終了後などで2時間振りに煙草を吸うと、サーッと脳が解放されるような快感を味わえていたのですが、それが無くなりました。
1mgでは軽すぎて、十分なニコチニックアクションが起こらないせいでしょう。
さらに血中濃度もずっと低値ですので、禁断症状も軽減されてきました。

そして50歳の誕生日に禁煙に踏み切りました。
その日の晩はボウリングに行ったのですが、自分の投球順番を待つ間も何か落ち着かず、ピョンピョンと飛び跳ねていたのを記憶しています。
一番苦しかったのは二日目の晩でした。禁酒も同時にスタートさせたので、何もすることが無く、頭の中がシーンとしてくるのです。
そこで意味もなく愛犬2匹を車に乗せて、3号線を北に向かいました。南関のあたりで犬を散歩させながら、情けない自分に苦笑いをしました。
その夜中には、ドラム缶のように大きな煙草が自分に襲い掛かってくるという恐ろしい夢で眼が覚めるという経験もしました。
三日目も苦しいのは変わらないのですが、前の二日間を我慢したという実績があるので、今さら吸うのは”もったいない”という気持ちが芽生えてきました。
この”もったいない”という気持ちは日ごとに膨らんでいきました。(続く)

朝日のごとく爽やかに

2011年11月27日 | ジャズ


高校生の時に親が ”世界ポピュラー音楽全集”なるものを買い与えてくれました。
全十二巻で、それぞれにレコードが2枚付いているという仕様でした。
シャンソンやカンツォーネの巻もあったのですが、なんと4巻が Jazzで占められていました。
不思議さもあって聴き始めたのですが、定石どおり、コルトレーンのブルートレインや、マイルスの枯葉あたりから入って、抜けられなくなりました。
ジャズ喫茶に毎日のように通い詰めた時代もありました。
基本的に、ジャズ喫茶は”私語禁止”であり、煙草を燻らせながら、静かにジャズを聴くだけの場所でした。
しかも、当時はニュージャズ、フリージャズが全盛の頃で、スイングできるLPは3枚に1枚くらいしか,かかりませんでした。
高校の同級生に少しドラムを習っていたので、退屈な曲がかかった時はリズムセクション(ドラムとベース)の音に集中して、やり過ごしていました。
当時の普通の喫茶店のコーヒーは120円くらいでしたが、ジャズ喫茶では300円でした。
元を取る?ためにも、最低でも2時間くらいは、いりびたる必要?がありました。
LPレコードも1800円ぐらいと高価でしたので,そう簡単には買えませんでした。
しかも買う時に試聴などできませんので、コンテンツなど分かるはずもありません。
家に帰って、かけてみてがっかりすることもたびたびでした。
がっかりしないで済むように、皆、好きなプレイヤーに集中して、レコードを購入する傾向にありました。

ところが最近では、iーTuneが登場してジャズファンの悩みは一掃されました。
好きなミュージシャンの殆どすべての曲を試聴してバラ買いできるのですからたまりません。
また曲名で検索して、好きな曲を様々なプレイヤーの演奏で楽しむこともできます。
先日は ”Softly As In A Morning Sunrise" を25曲購入してUSBに収めました。

私がジャズを聴くのは車の運転中がほとんどです。
友達のT君は”今どき、カーナビもテレビも付いてないなんて考えられない!”と言いますが、熊本県内の地理は隅々まで知悉して
いますし、車内ではテレビよりもジャズの方が優先順位は上になります。

写真はフィル ウッズのLPで AND WHEN WE ARE YOUNG は名曲、名演奏です。


今週のボウリング

2011年11月25日 | ボウリング
昨日の午後にラウンドワン田崎店に行ってきました。
ガランとした、ほとんど貸切状態のなかで投げました。
久方ぶりに、ちゃんとオイルが入ったレーンでした。

7番、8番レーン
使用球:コロンビア社のギガベドラム15ポンド
177,246,259,180,199,194  total 1255  AVE 209.1  ストライク率 49%でした。

下半身が安定したのでスイングだけに集中できます。
握力も腕力もゼロにしてタイミングだけで投げることができるようになりました。
まだ一度も達成していない300点を目指して、頑張っていきます。

これまでの私のベストスコアを紹介します。

ハイゲーム  299
ハイ3ゲーム 768
ハイ4ゲーム 950
ハイ6ゲーム 1448 です。


シベールの日曜日

2011年11月23日 | 映画
昨日は光の森のシネマで”シベールの日曜日”を観てきました。
1962年のフランス映画で、同年のアカデミー賞で外国映画部門賞を獲得しています。
私は20代前半の頃NHKで初めて観た記憶があります。

話は跳びますが、下通りのメガネの大宝堂の2階に ”マジーノワール ”というワイン専門のバーがあります。
(magic noir) 黒魔術という意味だそうです。
そこのママが、何故かフランス語と英語がペラペラで、趣味は娘と一緒に行くフランス旅行です。
10年以上前に、その店で、フランス映画の話になった時に、私は”シベールの日曜日”を、もう一度観たいという話をしました。
するとママが ”インターネットでビデオをゲットしましょうか。”と提案してきたのです。
インターネットショッピングが今ほど盛んではなかった時代ですので私は全く期待しませんでした。
ところが数週後にママは約束通りに、それを私にプレゼントしてくれました。
ただし、そのビデオは、音声はフランス語で、字幕が英語でしたので、一度観ただけで、ひどく疲れてしまいました。

そして、今年の5月30日にスカパーで放送されたので、やっと日本語字幕版を録画することができたのです。
しかし一度は、ちゃんと映画館で観てみようと思い、出かけました。

この映画は、何と言っても主役の少女の名演技がすべてです。
パトリシア ゴッジという子役ですが、彼女が13歳の時の作品です。
1950年生まれですので、私より一つ年上でしょうか。
数年後にもう一作に出演しますが、映画界からは、その2作品だけで姿を消したようです。
泣いて、笑って、すねて、怒って、甘えてなど、大人の女の本質を、大人以上に表現しています。

ブルックリン横町、禁じられた遊戯、チャンプなど、子供が主役の作品には名画が多いような気がします。


赤い靴はいてた女の子

2011年11月22日 | 日記


先ほどRKKラジオを聴いていると、野口雨情作詞の”赤い靴”の由来について放送されていました。
面白かったので、赤い靴ウィキペディアを参考にしながら紹介します。

まず、日本の色々な場所に、赤い靴の女の子の像があることの謎から番組はスタートしました。
列記すると、横浜山下公園(写真)、静岡県日本平、東京都麻布十番、北海道留寿都村、北海道小樽市、北海道函館市、青森県鯵々沢町です。

赤い靴をはいた女の子のモデルは、静岡県で1902年7月15日に生まれた”岩崎きみ”だそうです。
きみの母親である”岩崎かよ”は未婚の母でした。
その後、かよは、きみを連れて北海道に渡り鈴木志郎と結婚します。
二人は当時の社会主義運動の一環として平民農場へ入植しました。
しかし、開拓生活の厳しさから、二人は、3歳になったきみを外国人宣教師夫婦に託します。
帰国することになった宣教師夫婦は、きみを連れて行くことになりました。
ところが、その時、きみは結核に罹っており、乗船許可が下りなかったのです。
結局、きみは麻布十番の孤児院に入れられ、そのまま、そこで9歳の時に死亡しました。

しかし、かよは死ぬまでその事実を知ることも無く、きみがアメリカで幸せに暮らしているものと思っていたそうです。

1907年頃、鈴木志郎は札幌新聞社に勤めており、そこで野口雨情と知り合いになり、きみのいきさつを雨情に話しました。
かよも、きみの話を雨情にしたようです。
雨情はその話を基に1921年に赤い靴を発表しました。

ところで、以上のことが明らかになったのはそんなに昔のことではありません。
1973年のことですが、鈴木志郎とかよの間に生まれた三女が、”私の姉は赤い靴の女の子のモデルです。”と新聞社に投稿したことに端を発します。
それに注目した、当時の北海道テレビ記者の菊池寛が5年がかりで、”ドキュメンタリー、赤い靴はいていた女の子”を製作し、
1978年に発表して、やっとブレイクしたようです。

私が小学生の頃は、”ひとさらいの歌”という人もいました。
私自身は、”赤い靴をはいたお人形さんを、ガイジンが買っていった歌”だと説明されていました。

読売新聞

2011年11月19日 | 業者


10年来読売新聞を取ってきたのですが、先月いっぱいで止めました。
民主党政権になってからの攻撃一辺倒の政治記事に辟易としていたからです。
そして、ナベツネさんの老害を駆除できない体質にも嫌気がさしていました。
すると、昨日、読売新聞の販売店員二人がクリニックに押し掛けてきました。
もちろん、再契約を狙っての、販促品キャンペーンです。
私は ” ナベツネさんが引退したら、また取ります。” と言いました。
すると、驚いたことに、彼らは ”私達もナベツネさんに死んでほしいのです。私達も困っているのです。”と言うのです。
結局、一番苦労するのは、末端の人間だということでしょう。
彼らは無理やり販促品の防寒コート(写真参照)を置いて帰っていきました。
しかし、このコートを私が着用するシテュエイションを、どうしても思い浮かべることができません。sigh。

水曜日のボウリング

2011年11月17日 | ボウリング
昨日もラウンドワン田崎店に行ってきました。
第9、第10番レーン
使用球:コロンビア社のギガベドラム、トラック社の607A

結果は189,183,193,211,215,161、total 1152、AVE 192 と悪かったのですが、内容は最近では最高の出来でした。
左の大腿四頭筋、大臀筋の痛みが無く、左足一本でのフィニッシュを久方ぶりに決めることができました。
6ゲーム合計で62回のトライアルがあったのですが(10フレームの一投目がストライクの場合はトライアルが一つ増える)
スペアミスは2回だけでした。
スプリットが3回で、合計5回のオープンフレームでした。
そしてストライクは22回しか無かったのです。
ストライク率は35.6%しかありません。
ストライク率とAVEには、はっきりとした相関関係があって、普通は40%を超えないと190AVEには届きません。
レーンコンディションは最悪でポケットが見つからない状態でしたので、ピンがたくさん残りまくったのですが、
37回スペアにトライして35回成功したことになります。
しかも難しい4本、3本残りに8回チャレンジして7回クリアーしています。
フォームが安定してきたので今後が楽しみです。
やっとボウリングらしくなってきました。

居酒屋二貝

2011年11月16日 | 飲み屋
以前からお世話になっている居酒屋で、マスターとは37年前からの知り合いです。
20年くらい前に、私がゴルフを始めた頃、マスターは時々は70台で回るような腕前でした。
しかし加齢によるものなのか、最近では時々90を打ちます。昔では考えられないことです。





場所は酒場通り(昔の東洋ショー通り)にある老舗 ”都寿司 ”の二階です。
特徴は、和食の店なのに刺身で勝負しない点です。
注文を受けて、その場で作る自家製の練り物や、干物が自慢です。
私は昔から刺身を好みません。
多くの店が ”どうだ、新鮮だろうが ”と威張って刺身を出すのが理解できません。
ただ切っただけの魚を味付けもせずに出して、わさび醤油で食べさせるのを料理と呼べるのでしょうか。
魚は焼いたり煮たりしたほうが遥かに美味いと思います。



ビルの二階ですが中庭が臨めます。




クリニックの背景

2011年11月15日 | 日記


クリニック裏には広大な空き地が広がっています。
例年ですと、遠くに見える山は、紅葉が始まっているのですが、今年は変化が見られません。
数年前のように、紅葉することも無く枯れてしまうのかも知れません。



右隣りは ”十徳や”さんです。駐車場はクリニックと共同です。
店の二階は、十徳やグループ全体の本部になっています。



左の遠くには、その地区には不自然な高層のマンションが見えます。
春日スカイマンションと書いてありますが、誰もそうは読みません。
皆 ”森高マンション”と呼びます。
タレントの森高千里が建てたからです。
隣には、森高千里の実家があります。 

三谷幸喜と吉本新喜劇

2011年11月12日 | 映画
最近の熊日新聞で読んだのですが、”笑い3年、泣き3日”という言い回しが、演劇界にはあるそうです。
コメディーで観客を笑わせるのは難しく、3年は修行しないと無理だが、
トラジディーで泣かせるのは簡単で、3日も練習すれば、すぐにできるという意味です。
”三谷ワールド”なる物は、コメディーにトラジディーを混ぜた作品でしょうが、根本はコメディーです。
コメディーだけでは勝負できないので、トラジディーを混ぜて観客を翻弄しているだけのように思われます。
昔から吉本新喜劇が、その手法を使っています。
”吉本新喜劇ワールド”と呼ぶべきではないでしょうか。
昔のチャップリンの映画に、一部その傾向があったのですが、笑いの完成度が違います。
まるで別物でしょう。
最近の洋画のコメディーでは、ありえない ”ワールド”です。

ステキな金縛り

2011年11月11日 | 映画


はせがわクリニックは毎週木曜日午後休診です。
それを利用して昨日はyoumeタウンに映画を観に行ってきました。
三谷幸喜監督作品の ”ステキな金縛り” です。
三谷ワールドとも呼ばれる、とぼけた笑いにペーソスとシリアスを混ぜ込んだストーリーですが、みなさんにはとても推薦できるような代物ではありません。
主役の深津絵里演ずる女性弁護士が、あまりにも不自然にオバカでドンクサすぎるため感情移入できません。
ニヤリとする場面はいくつかあったのですが、爆笑したことは一度もありませんでした。

私は昭和26年6月19日生まれです。今年の6月に60歳の還暦を迎えました。
みなさんは御存じないでしょうが、60歳以上は曜日に関係なく映画代は1000円です。
それまでは1800円払っていましたので、とても得をしたような気分になります。
しかし、半面、”お前はもうバリバリの現役じゃ無いぞ!” と認定されたような気もします。

水曜日のボウリング

2011年11月11日 | ボウリング


ラウンドワン田崎店
7番、8番レーン
使用ボール:トラック社の607A
結果:205,201,170,191,195,198 トータル1160 AVE 193.3 ストライク率48%

とにかくオイルが枯渇した激遅レーンで、最後までアジャストできませんでした。
ラウンドワン田崎店には3月までは専属プロボウラーがいて、毎週のリーグ戦を開催されていました。
私も3年間ほどそのリーグ戦に参加していました。
そのプロが4月に大劇ボウルに転出されて以来、プロボウラー不在で、リーグ戦もありません。
そのことが原因でボウリングから足が遠のいてしまいました。
半年ぶりに投げ始めたのですが、以前よりも全体的にオイル量が少ないようです。
以前はプロが毎日きちんとメンテナンスを行い、オイルパターンも時々変えて、私たちを楽しませてくれました。
最近は誰がメンテを行っているのか分かりませんが、少なくとも、その仕上がり具合を、
自分で投球して判断できるほどのボウリングの腕前では無いような気がします。
文句を言っても始まりませんので、しばらくは15枚目(右から3番目のスパット)を膨らませる練習だと割り切ってみます。

サプリメント

2011年11月08日 | 健康


大円筋断裂の経過が思わしくなく、圧痛どころか自発痛も消えないので、アボットジャパンのサプリメントを試してみることにしました。
褥創(床ずれ)の治療に使われるもので、成分はグルタミン、アルギニン、フェニルアラニン、クエン酸、カルシウムなどですが、
甘味料としてオレンジフレーバーも入っています。
したがって炭水化物が7.9gです。インスリン覚悟で一日に2回飲んでみます。
一週間で何キロ太るのか興味津津です。
国立医療センターとの連携で診ているおばあちゃんの、直径10cmくらいのクレーターのような難治性の褥創が、これを飲みだしてから明らかに改善しました。

数ヶ月間甘いものを絶ってきたせいで、オレンジの甘さで ”ウッ”となってしまいます。
あたかも、昔、脂っぽい物を食べた時のように。



にあんちゃん

2011年11月07日 | 映画


昨日は朝刊の広告を見て、急遽、天草市(本渡)の映画館へ ”にあんちゃん” を観に行ってきました。
小学生時代に観て感動したような、いくつかの、かすかな記憶があったからです。
昭和34年の今村昌平監督の作品で、佐賀県の不況にあえぐ炭住が舞台です。
両親を亡くした4人兄弟の苦闘を、にあんちゃん(末娘から見た二番目のあんちゃん)のたくましさにスポットライトをあてて描いた作品です。
にあんちゃん役の少年の顔は、すぐに思い出しましたが、ストーリーは完ぺきに記憶から欠落しており、最後まで楽しく観賞できました。
当時は役者の名前などに全く関心が有りませんでしたので覚えていませんでしたが、長男役を20歳の長門裕之が、長女役を松尾嘉代が演じていました。
その他にも北林谷栄、西村晃、小沢昭一、殿山泰司、山岡久乃、大滝秀司、芦田伸介、穂積隆信、吉行和子、二谷英明など、
そうそうたる顔ぶれのキャスティングでした。
他の作品でもそうなのですが、若い頃の長門裕之はサザンの桑田佳祐にそっくりで笑ってしまいます。

本渡第一映劇は定員数十名のミニシアターですが、かなり古い作品を上映することで生き残りを図っているようです。
次は ”にあんちゃん” と同じ頃の ”綴方教室” の上映にアンテナを張ってみます。
期待した、いくつかの、かすかな記憶は綴方教室との混同だったのかも知れません。