はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

ハワイの蒼い空 2

2016年06月22日 | 旅行
16日の夜7時に福岡国際空港を飛び立ちました。
8時間後に到着ですので、日本時間では深夜の3時です。
ところが時差が19時間ありますので、現地時間では16日の朝8時に着くことになります。
したがって、飛行機の中で睡眠をとっておく必要がありました。
乗り込む前からレストランでビールを飲み始め、機内でもウィスキーを飲みながらメラトニンを内服しました。
しかし、日本時間では夜の8時、9時ですし、ウィスキーの量も足りないので眠れませんでした。
結局、1時間くらいしか眠れずにハワイに到着しました。

10時半頃、ワイキキのプリンセス・シェラトン・カイウラニに着いたのですが、チェックインできるのは3時以降です。
荷物を預けてホテルのロビーで仮眠しようとするのですが、日本時間では朝の7時位ですのでなかなか眠れません。
3時に部屋のベッドにありついた私は、横たわると、もう起きる気力が残っていませんでした。
時差ボケのつらさを痛感しました。

夕食は海岸に面したレストランでのバーベキューでした。
そして、そこでたっぷりと飲み食いして、ホテルにもウィスキーを持ち込んで泥酔しました。
酔いつぶれて寝たことで、翌朝には時差ボケは払拭されていました。

ハワイでまず気づいたのは空の蒼さです。
日本のそれよりも暗い青なのです。
また、太陽が、日本の夏至よりも高い位置から日差しを注ぎますので、影が妙に短いのです。
日本ならばとんでもない炎天下になるところですが、ハワイは空気が乾いていて風も強いので、それほど暑さは感じません。
帽子とサングラスは必需品ですが、しのぎやすい暑さだと言えます。
写真は日本生命のCMで使われたアメリカンポッド、和名ではアメリカ合歓の木です。



ハワイの街並みですがですが、自動販売機が全くありません。これは不便です。
ケンタ、マック、スタバ、ローソンの数も日本の10分の1くらいでしょうか、滅多にありません。
あっても規模が小さく、古びていて清潔感がありません。
その代わりに、ABCストアという雑貨屋が多数ありました。
私も、そこでウィスキーや土産を買ったのですが、ハワイの勝ち組ストアかもしれません。

大きなデパートもありません。
ネットで調べて、” Macy’s ” というアメリカ全土でも有名なデパートに行ってみました。
店内は結構な広さで、デパートの1階らしいコスメの香りが漂っていました。
有名ブランドのファッショングッズが、日本と変わらず並べられていました。
で、ぐるっと一周して2階に上がろうとしたのですがエスカレーターが見あたりません。
階段やエレベーターも探したのですが見つけることができませんでした。
店側が、客を誘導しにくい設計にするはずは有りませんので、私は、” Macy’sハワイに2階は存在しない。 ” という結論に至りました。
間違っていたならご指摘下さい。

食べ物ですが、日本と変わらず炭水化物にまみれています。
魚がほとんど無く肉料理と蟹(大きなマツバガニ?)がメインでした。
とくにカニは日本ならば高価だろうなというものが食べ放題でした。
味付けはすべて日本よりも濃い目なのですが、酒飲みの私にとってはウェルカムでした。

物価はほとんどが高いようでした。
日本製の飲料水が高いのは理解できます。
しかし、日本では110円で売られているクリスタルカイザーが500円というのにはあきれてしまいました。
ジョニ黒は日本で2380円なのですが、3700円でした。
まあ観光地の物価として受け入れるしかありません。

オアフ島一周ツアー、パールハーバー、ダイヤモンドヘッド登頂、夜のクルーズ船でのディナーなどのイヴェントをこなして
19日の昼の飛行機で帰ってきました。
この19日は私の誕生日なのですが、日本に着くと日付は20日になっていました。
つまり、日付変更線のトリックで、今年の誕生日は半日で終わってしまったのです。
他人にはばかることなく泥酔できる誕生日の夜が消えてしまいました.....

博多駅に7時に着いたのですが、出発までに2時間半もありました。
そこで地下街のもつ焼きの店に入り、一杯目は生ビール、2杯目からはハイボールを重ねていきました。
店を出ると、もぎたてのチューハイ9%を買い込んで、ホームの待合室で飲み始めました。
列車の中でも延々と飲み続けました。
ふと気付くと他のメンバーは全員が熟睡していました。
私だけが酔っぱらってハイになっているせいか睡魔に襲われなかったようです。

今回のハワイ旅行で自分の性分をチョッピリですが窺い知ることができました。
所変われど酒変わらず.....



写真は、”アロハ ” と挨拶する時の手のポーズできめたものです。

ハワイの蒼い空

2016年06月21日 | 旅行
今年の2月にスタッフの要望でハワイ行きが決定されました。
当初は、” おまえ達だけで行って来いよ。 ” というノリだった私ですが、
” 私達だけでは英語が分かりません。 ” という懇願に屈して、私も同行することになりました。

ツアーの業者はスタッフの知り合いがいたようで、オプションが次々と決定されました。
そして、私のハワイ旅行はGWが明けてからのビザ取得でスタートしました。

私の海外渡航歴はたったの1回です。
大学生の頃に、妹と、オフクロと、私の彼女との4人で香港旅行をしたことがあったのです。
当時の健軍商店街で発行された歳末抽選券に当選したというラッキーな理由からです。

ところが、香港旅行を1週間後に控えた晩に、自宅で飲んでいた私は、理由は忘れましたが、
妹の座っていたソファーを思いっきり蹴っ飛ばしましたのです。
理由は完全に忘れましたが、おそらくは妹が余りにも理不尽な発言をしたからでしょう.....

翌朝、右足の痛みがひどいので、整形外科を受診したところ診断は、” 第2中足骨骨折 ” でした。
業界用語である、” アルフェンス固定 ” が施行されました。
アルミのような金属を、ソリのように曲げて足に装着して、包帯で固定するという手技です。
当然ながら、靴を履くことは不可能です。
しかし賢い私は、室内用のボアスリッパを履くというアイデアで問題をクリアーしました。

ところが、熊本空港での搭乗時に問題が発生しました。
アルフェンスがチェックインする時の金属探知機に反応してしまうのです。
警報音が鳴り響く中、私は必死で係員に弁明せねばなりませんでした。

香港の街を、ビッコを引きながら、ペッタンペッタンとボアスリッパで歩いたトホホな思い出があります。

今度こそは、五体満足でハワイを闊歩してやるとの意気込みで、旅行前は怪我に注意しました。

さて、直前になって私は全員のESTA ( アメリカ入国の際に要求される、やばいテロリストでは無いよという証明書。14ドル。 )取得をネットで完成させました。
さらに、福岡空港までの新幹線のチケットも往復で全員分を早割でゲットしました。

参加者のみんなが作ったルールは、”とにかく、長谷川先生について行く。 ” というシンプルなものでした。
私が先頭に立って新幹線に乗り込み、博多駅で降りて、地下鉄のチケットも全員分を私が買い、
福岡航空で降りて、国際線ターミナルまでのシャトルバスに乗り、デルタ航空のカウンターに行き、荷物を預けて、レストランに入るという一連の行動が、
トラブルも無く、つつがなく行われましたが、なんだかカルガモの母親になったような気分になりました。

.....酔っぱらってきたので続きは明日アップします。

写真はダイヤモンドヘッドの頂上です。


ハワイへ!

2016年06月14日 | ゴルフ
土曜日に妹夫婦が熊本に出てきました。
早速、その夜はT君も交えて和食の店、” 蔵 ” で飲みました。
その席での妹の失態をアップします。

妹が、” 東京オリンピックのゴロが気に入らない。 ”と発言しました。
私は即座に訂正しました。 ” あれはゴロでは無く、ロゴって言うんだよ。 ”

翌日曜日は、雨模様だったのですが、駄目元でコースに向かいました。

阿蘇グランヴィリオ西コースです。
ハーフだけでもいいやというノリで、強引にスタートしたのですが、やはりカッパを着る事態になりました。
それでも18ホール回れたし、最後の数ホールは、カッパも不要となりました。

結果ですが、妹が97打の33パット、私が100の39パット、慎ちゃんが101打の36パットでした。
妹の安定感が光りました。100ヤード以内は、確実に乗せてきます。
そしてこの日はパットもよく入ったので、ドライバーでのOBもあったのですが97にまとめました。

結局、このコースでの妹との勝負は、100を打ったら勝ち目は無いでしょう。
95を切ると勝ち目が出てきます。
90を切ると勝利は確実でしょう。

80台を目指して練習を続けます。

さて、はせがわクリニックは17日から20日までを休診とします。
スタッフと、その家族を引き連れて16日の午後からハワイ旅行に行ってきます。

これは私が企画した職場旅行ではありません。
スタッフが2年前から積み立てを始めたりして、私に希望してきたものなのです。

当初はGWに行く予定でしたが、混むし、旅行代も高いので不合理に思えました。
そこでやけくそ気分で冷静に考えて、平日にクリニックを休診して決行することになったのです。

開業して20年以上になりますが、私が診察を休んだのは、
急病で済生会のICUに入院した半日と、シルバーウィークの旅行を連泊にするための1日だけでした。

もう、10年以上も皆勤賞を続けているわけですから、患者さんたちにも許してもらえるでしょう。

三好達治・昼

2016年06月10日 | 読書
一昨日、飲みながらテレビを観ていると、三好達治の有名な詩、” 乳母車 ” が紹介されていました。
高校生の頃の私は三好達治の大ファンでした。
私が最も好きだった詩を紹介します。



別離の心は反つて不思議に恋の逢瀬に似てあわただしくほのかに苦い。

行くものはいそいそとして仮そめの勇気を整え、
とどまる者はせんなく煙草を燻らせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る。

彼女を乗せた乗合馬車が、風景の遠くの方へ一直線に、
彼女と彼女の小さな手提げ行季と二つの風呂敷包みを伴れてゆく。

それの浅葱のカーテンにさらさらと木洩れ日が流れて滑り
その中を蹄鉄がかはるがはる鮎のように光る。

ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。

そして、それはもうすぐ、あのここからは見えない白い橋を
その橋板を朗らかに轟かせて、風の中を渡って走るだらう。

すべてが青く澄み渡った正午だ。

そして私の前を矮鶏の一列が石垣にそつて歩いている。

ああ時間がこんなにはっきりと見える!

私は侘びしくて、紅い林檎を買った。


20代の頃に、私は6年間一緒に暮らした女性と別れました。
彼女は卒業して、郷里である福岡に帰ることになったのです。
彼女の荷造りを手伝いながら、ふと、この詩を思い出しました。

そして、当然ですが、ゆっくりと煙草を燻らせながら、文学的なカタルシスを味わいました。

形成外科医と湿潤療法

2016年06月08日 | 湿潤療法
開業医には時々このような雑誌が送られてきます。



今月号の特集は、わが国の形成外科とその進歩でした。

その中の最新の創傷治療というコーナーを担当したのは
神戸大学形成外科教授の寺師浩人先生でした。



雑誌の一文をそのままアップします。

痂皮はそれ自体が上皮化障害(表面角化細胞の遊走制限)を招き、乾燥状態では創表面0.2-0.3mmの深さまで壊死することもあり、
現在ではほどよいmoist状態が創傷治療に最も良いとされている。(moist wound healing)


さらりと、あたかも、ごく自然に、彼らの間で、湿潤療法がスタンダードなものになっているように書かれています。
これは、
現在では夏井睦らの提言である湿潤療法、すなわちほどよいmoist状態が創傷治癒に最も良いという考え方が普及しつつある。
と書くべきでしょう。

しかし、湿潤療法をスタンダードなものとして取り入れる形成外科医が出てきたことは、遅まきながら、ホッとしますよね。

さて、寺師浩人先生は糖尿病性足潰瘍がご専門のようで、準教授時代には神戸分類を提案されました。
タイプⅠ:神経障害主体
タイプⅡ:血行障害性
タイプⅢ:感染主体
タイプⅣ:混合型

その中のタイプⅢで以下のように述べておられます。

急性軟部組織感染症が確認されればデブリードマンを徹底し、開放創として毎日流水で洗浄する。
通常消毒は必要ない。


これって、夏井先生の傷は消毒しないという提唱に、無断で乗っかっていますよね。

消毒しない、乾かさないという湿潤療法は、夏井先生のサイトを参考にしている可能性が高いと思われるのですが、
形成外科学会から逃げ出して、皮膚移植を非難する夏井という名前を口にすることは、現在でもタブーなのでしょう。

それでも湿潤療法が形成外科医の間で広がっていくことを期待します。



熊本地震の本震体験記・T君の場合....

2016年06月04日 | T君ネタ
昨夜はホテル日航での勉強会の後、スナック ” ガウディー ” にT君と立ち寄りました。
二人とも震災後では初めてです。

思い起こせば本震があった晩にはT君と二人してガウディーで飲んだくれていたのです。
” 深酒していたら、この店で本震に巻き込まれたかも知れないよねー。 ” などと言いながら飲み始めました。
あの夜は私が先に酔っぱらって、タクシーを呼んで帰りました。
T君はさらに飲んで、代行を呼んで帰ったそうです。

ところが、酔いつぶれたT君には、自宅に着いて代行代は払えたものの、家に上がる力は残っていませんでした。
T君には時々あることですが、そのまま車のなかで寝こけてしまったそうです。
そして、深夜に本震が発生したのです。
ところがT君は全く気づかなかったと言います。

私は、” そんな馬鹿な.....車でも相当揺れたはずだぞ ” と言ったのですが、
T君は、” 車だから揺れるのが当たり前と思ったのかも知れません。 ” などと訳のわからない弁明を繰り返しました。

T君が朝の5時に目を覚ますとメールがたくさん届いていたそうです。
本震の後に、電話呼び出しにもメールにも応答しないわけですから、奥さんはメチャクチャ心配したと思われます。

この地域の住民で本震を知覚できなかった大人は、かなりレアだと思います。

私がスタッフに度々言われていることですが、
” T君よ、君って本当に幸せな酔っぱらいだよなー.....”

XPS 8700 の復活

2016年06月03日 | パソコン
廃棄処分を決意した XPS8700 ですが、修猷館の総会に向かう新幹線の中でT君に話したところ、
” 僕が修理します。 ” と自信を持って提案してきました。
私は、故障の原因もわからないし再発を防ぎようが無いと、悲観的な見解を述べたのですが、
” 大丈夫。任せてください。 ” とのことでした。

そこで月曜日に壊れたパソコンをT君に預けたのですが、なんと昨日の木曜日に治ってきました。



ただし Windows 8.1 は Windows 7 にdetune されていました。

T君によれば、故障の原因は、8.1 にデスクトップ画面を付加できるという怪しげなソフトをダウンロードしたことにあるのではないかとのことでした。

さらにT君は、 ” 先輩のスキルや作業内容、そしてデスクトップ画面に執着することを考えれば、7 で十分です。 ” と断定しました。

言われてみれば確かにその通りで、どうやら背伸びしすぎていたようです。

しかし、いつものことながら、サクサクと修理してしまうT君のスキルには頭が下がります。

さて、今夜はホテル日航での勉強会にT君と一緒に出席する予定ですが、
今夜だけは、私が支払い担当になるだけの、確かな理由と権利があると思います。