はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

気持ちよく投げたいが....

2014年07月31日 | ボウリング


昨夜はボウリングに行きました。
ラウンドワン11、12番レーン
4ゲームしか投げませんでしたが、上がり3ゲームは、210,200,211 TOTAL : 621 AVE : 207 でした。

1ゲーム目で外側が遅くて、なおかつ、オイルが延びた、ろくでもないレーンコンディションであることが判明しました。
7フレから球速を落として対応しましたが、チョットでも走らせるとスリップしてしまいます。
帰ろうかとも思いましたが、修行だと思って、ひたすら静かに転がす投法を続けました。
ストライク率は47%しかありませんでした。
普通はこのストライク率では200AVEには届かないのが普通ですので、良く粘ったと言えるでしょう。

最近はロングオイルパターンのレーンはオイルが延びていることが多いようです。
次回は久し振りにショートオイルのレーンで投げてみます。
やはり、気持ちよくスピードボールを投げないと、ボウリングをしたような気分になれません。

ココ・アヴァン・シャネル

2014年07月30日 | 映画






今日はスカパーで上記作品を観ました。

アヴァンを英語に訳すと before です。
つまりこのタイトルを邦訳すれば、シャネルとして有名になる以前のココ・シャネル となります。

主演はオドレイ・トトゥ というフランス人です。
2001年の少女時代に、" アメリ " という映画に主演してヒットさせています。



たまたま、その作品をレンタルビデオで楽しく鑑賞した記憶があります。

この映画はオドレイという女優に魅力を感じるかどうかがすべてです。
私自身は大変気に入ったのですが、ネットでの評価には、はっきりブスと書かれているものまであります。
意志が強く、自分の考えをストレートに表現し、アンビシャスに富んだキャラをみごとに演じきっています。

お勧め度は80%くらいですが、オドレイの顔が好みで無い人は観るべきではありません。

ピオネ荘

2014年07月26日 | お酒
毎晩ジョニ黒を4分の3くらいは飲んでいます。
1本空けても平気です。
しかし若い頃には自分が大酒飲みになるとは夢にも思いませんでした。

飲み始めたのは高校生の頃です。
私たちの時代の修猷館高校は、煙草だけはダメでしたが、パチンコ、雀荘はOKで、飲酒も黙認されていました。
修猷館から歩いて10分もかからないところに百道海水浴場がありました。
そこに、忘れもしないピオネ荘という海の家が建っていました。
伝統的に体育祭の夜や文化祭の夜は修猷館がピオネ荘を貸し切りにしていました。
打ち上げで酔っぱらって自宅に帰るのは親の叱責を被る危険性がありますので、みんなで泊まり込むのです。

高校3年の体育祭の打ち上げは鮮明に覚えています。
まずは中州のパブのカウンターに10人程で並んで座り、一番安いジンをキープして水割りで飲みました。
飲むといっても高校生ですから、皆チビチビと舐めるだけです。
少々酔っぱらった私は仲のよかった同級生に声をかけました。" 宮崎! 俺はこっちから行く、お前はそっちから来い。 "
二人でカウンターの両側から、同級生の飲みかけのジンを次々に取り上げては一気飲みをし、真ん中で宮崎と握手しました。
そんな調子でしたので、ピオネ荘に引き上げたときはベロベロだったと思います。
それでも、日本酒を冷酒で飲み続け、やがて酒が無くなってしまいました。
私は、今では博多で眼科を開業している大島竜太郎に酒を買いに行こうと提案しました。
二人で西新まで歩き、酒を購入して帰途に就いたのですが、歩いたせいか私が酩酊してしまいました。
人気の無い住宅街の路地で倒れてしまい、身動きがとれなくなってしまったのです。
運の悪いことにはタクシーが通りがかって、クラクションを鳴らすではありませんか。
ところが私には移動する力は残っていませんでした。
大島も一杯一杯で、私を抱えたり引きずったりする力は無かったと思います。
しかし、そこで大島は素晴らしい計画を思いついたのです。
大島は私の体に両手をかけて、丸太のようにコロンコロンと転がし始めたのです。
転がされながら酔っぱらった頭で、私は大島を尊敬してしまいました。
タクシーが通り過ぎた後、大島は一人でピオネ荘に帰り、仲間を引き連れて私を回収に来ました。
なんと、戸板が用意されていたのです。
当たり前ではありますが、戸板で運ばれたのは後にも先にも、その時だけです。
そのまま二階に運ばれて、雑魚寝の布団に寝かしつけられました。

朝方小便に行きたくなって私は目を覚ましました。
しかしトイレは1階です。まだ酔っぱらっている私には階段を下りていく自信がありませんでした。
そこで私は大島に倣って素晴らしい計画を思いつきます。
ピオネ荘は海の家ですから砂浜の上に建てられています。
ですから窓を開けて小便しても、砂地に吸い込まれて何の問題もないと考えたのです。
で、実行したのですが、バランバランと大きな音が発生しました。
砂地では無く、プラスチックが波打ったようなヒサシに小便が降り注いだのです。
その音で同級生が目を覚まし、 " 長谷川がションベンしよる! " と口々に騒ぎました。

この事件は、その後の私の飲んだくれ人生を暗示していたような気がします。
あの時、酒を買い足しに行かなければ、戸板を経験することも無く、もっとまともな人生を歩んでいたかも.....

蓮尾

2014年07月26日 | 昔話
最近父親となった外科の蓮尾は玉名高校始まって以来の秀才と呼ばれていました。
卒業後は東京大学に行くつもりだったのですが両親の反対で断念せざるを得ませんでした。
自宅から通える大学じゃないとダメだと言われたのです。
仕方なく蓮尾は熊本大学の工学部に願書を出そうとしました。
しかし、担任の先生に、 " いくらなんでももったいないから、せめて医学部を受けなさい。 " とアドバイスされます。
結局、熊本大学に2番で入学した蓮尾でしたが、東大への未練を絶ち切れず、翌年受験しようと計画しました。
ところが、同級生との麻雀や飲み方にハマってしまい、ずるずると医者になってしまったのです。

医学部に入ってくる学生は、皆、自分の頭の良さに自信をもっています。
みんなが頭の良い仲間で、上も下も無いと思っています。
ところが、蓮尾だけは別格でした。
同級生たちは、蓮尾を自分たちよりも頭が良い人間だとみなしたのです。
私も、人生で初めて、自分よりも確実に頭が良い人間に遭遇したと思いました。

昔、インベーダーゲームが流行したことがあり、皆ハマってしまいましたが、蓮尾の上達は異様でした。
なんだか訳のわからない攻略法を編み出したのです。
随分後になって雑誌に、" 名古屋打ち " として発表され、全国に知れ渡りますが、蓮尾は自分で発明していたのです。

私は蓮尾から白血病物語という話を聞かされた記憶があります。
白血病と免疫のメカニズムをストーリー仕立てにして理解しようとするもので、ただただ感心させられました。

ただ蓮尾には議論になったら、相手が誰であろうと一歩も引かないという頑固さがありました。
ある日、私の部屋で麻雀をしたのですが、メンツが5人も集まってしまいました。
こういう時には、 " 二抜け " といって、2位に終わった者が、半チャン休むというルールを適用します。
2位になった蓮尾は隣の部屋で私の家内の手料理を味わいながら一杯やっていました。
しばらくして隣の部屋からすすり泣くような声が聞こえてきました。
蓮尾との討論で、言い負かされた家内が悔し泣きをしていたのです。
私は蓮尾に、 " お前は、他人の家でご馳走になりながら、カミさんを泣かすのか? " と言いました。
それでも蓮尾は、" だって間違ってるんですもん。 " と譲りませんでした。

随分昔の話ですが、蓮尾が東京の妹夫婦の部屋を訪ねたことがありました。
その日は慎ちゃんの友達も来ていて早速飲み方が始まりました。
蓮尾は、慎ちゃんたちより3つ年下です。
蓮尾の身長は180cmですが慎ちゃんたちは186cmの大男です。
いつの間にか蓮尾は、 " チビ " と呼び捨てにされ、ビールを持ってこいだのとパシリ扱いになったそうです。
妹も、 " ビールを取りに行く時は、空き瓶を持って行って片づける! " などと指導したそうです。
明け方まで飲んで皆酔いつぶれたそうなのですが、翌朝の10時に、またまたビールで乾杯しようとする慎ちゃんたちに、
" 冗談じゃない、殺されます! " と蓮尾は、ほうほうの体で退散したそうです。
後日、蓮尾は私に、 " 人生でチビと呼ばれたのは、後にも先にも、あの時だけですよ。 " とこぼしていました。

結局医者になってしまった蓮尾ですが、興味はサイエンス全般のようでニュートンなどの科学雑誌が愛読書です。
蓮尾のような優秀な頭脳を医者にしてしまうのは、資源の無駄遣いのように思えます。

しかし、蓮尾に娘ができたことは朗報で、遺伝子がちゃんと橋渡しされました。
そのことで良しとしましょう。

不思議なバツイチ男

2014年07月26日 | 昔話
昨日のことですが、昔からの親友である外科医の蓮尾からメールが届きました。
第一子が生まれたそうなのです。57歳にして初めて父親となったわけです。
祖父と言われてもおかしくないような年齢差ですよね。
産まれたのは女の児だったそうで、これまた良かったねとメールを送りました。

男は娘を得て、初めて子煩悩になるからです。
そのことを考えた時に整形外科を開業しているKを思い出しました。
医学部時代からの知り合いですが、Kは酒が強くなかったので、もっぱら麻雀での付き合いでした。

さて、Kのアパートに麻雀をしに行くと、時折、可愛い彼女を見かけることもありました。
卒業したKは彼女に結婚を申し込んだそうなのですが、その時のやりとりがニヤリとさせられるものでした。
彼女の返事は、" うれしい。まさか結婚してもらえるとは思っていなかったから。" というものでしたが、
それを聞いたKは胸の内で、" なんだか損したような気がする。 " と思ったそうです。

そんなKでしたが、医局から派遣された県外のS市で浮気をしてしまいました。
その時にKのとった行動は常識外れでした。
なんと、Kは奥さんに離婚してくれと頼んだのですが、1年間の期限付きで、1年後には再び結婚し直すというものだったのです。
そしてKは、その通りに約束を果たしたのです。
Kの戸籍はバツイチなのでしょうが、変則的ですよね。

後年Kは私に夫婦関係をユーモラス?に説明しました。
奥さんは浮気事件を根に持っているそうで、" あなたが脳卒中で片麻痺になった時は、麻痺側の枕元にコップを置いて、
あなたが必死にそれを取ろうとするのを、ニヤニヤしながら見守ってあげるわ。" と言ったそうです。 "
ブラックユーモアですよね。

Kは男の子2人を授かりましたが、子煩悩になることもなく、徹夜マージャンに人生を費やしていました。
ところが3人目に女の子を授かったとたんにKは豹変します。
眼の中に入れても痛くないほどの猫可愛がりで、奥さんには、 " 別れる時は、娘だけは俺が連れて行く。 " と宣言していたそうです。

オイルが延びたレーンへのアジャスティング

2014年07月25日 | ボウリング
昨日は木曜午後休診でしたのでボウリングに出かけました。
ラウンドワン田崎店 13、14番レーン 使用球 : 未亡人アサシン



上がり3ゲームは、223,247,190 TOTAL : 660 AVE : 220 ストライク率 : 55.6 % でした。

最初は右足30枚目から13枚目を膨らませたのですが、オイルが延び気味なのかキレが今一でした。
そこで、右足を25枚目に移動して10枚目をスピードボールで膨らませました。
これが正解で、しばらくはストライクを量産できました。
ところが、最終ゲームでオイルが延びて、ボールがスリップしてしまい、スプリットを連発してしまいました。
オイルが延びたレンコンには球速を落とすことが鉄則です。
8フレからは、アドレスを靴一足分前に移動し、静かな縦回転のボールを投げました。
投げるというよりも転がすというフィーリングでしょうか。
見事にアジャスティングに成功しましたが、このストレスのかかる投法をもう一ゲーム続ける気にはなれませんでした。

帰宅して記録をチェックしてみると、今年になって22回目のボウリングでした。
上がり3ゲーム、全66ゲームのAVEを計算したのですが、なんと、 216.9 でした。
この数字はゴルフでいうならば、 " 片手シングル " レベルだと思います。
逆に、現在のゴルフの腕前をボウリングに例えれば、150AVEくらいでしょうか.....トホホな状態です。

世界中で女性が減少しつつある

2014年07月25日 | 読書


一昨日はこの本を読みました。
作者マーラ・ヴィステンドールはアメリカ生まれの女性ですが、この10年くらいは北京に住み続け、
サイエンス誌の記者として考古学から宇宙計画までさまざまなテーマをリポートしています。
この作品は2012年ピュリッツアー賞一般ノンフィクション部門のファイナリストに選ばれています。

邦題は女性のいない世界ですが、原題は
UNNATURAL SELECTION
CHOOSING BOYS OVER GIRLS
AND CONSEQUENCES OF A WORLD FULL OF MEN
直訳すれば、
不自然な選択
女の子よりも男の子を選び
その結果として世界は男たちでいっぱいになる
でしょうか。

現在世界中で女性の比率が減少しています。
さまざまな原因が考えられますが、皮肉なことには世界中で生活水準の向上が進んでいることが最大の理由のようです。
昔の発展途上国では乳幼児の死亡率が高いので、子孫を確保するためには、たくさんの出産が必要でした。
その場合は、何もせずとも、適当に男の子と女の子が確率通りに、両方授かっていました。
戦後の日本もそうですが、子供を一人か、二人しか産まないようになると、事態はデリケートなものとなります。
例えば、第一子が女の子であった場合は、最後のチャンスである第二子に男の子を望むことが一般的でしょう。

1990年代に安価なエコーが普及したことで、生まれてくるはずであった女の子たちが中絶によって消滅したのです。
筆者はその数を1億6000万人と推定しており、これはアメリカ合衆国の女性すべてよりも大きな数字です。

一人っ子政策を実施した中国は男の子たちであふれかえっています。
小中学校での男女の比率は1.5対1 まで開いているそうです。
現在の中国では女の子が結婚することは、難しくはありません。独身男性が周りに、いくらでもいるからです。
ところが、逆に、結婚相手をゲットできない男性が次第に増えていきます。
中国だけではなく、今後、世界中で一生結婚できない男性が多数発生していくことになります。

さて、男女平等と言いながらも、世界中で暴力事件、殺人事件を起こすのは圧倒的に男性が多いのが現実です。
これにはテストステロンという男性ホルモンが関与しているそうなのです。
テストステロンは思春期に分泌が開始されて青年期にピークを迎え、加齢によって徐々に減少していきます。
ところが、年齢以外にもテストステロンを増減させる要因が、アメリカ空軍退役者2000人以上を10年以上追跡調査して発見されました。
それは、結婚をするとテストステロン濃度は低くなり、離婚すると再び高くなるというものでした。
さらに既婚男性でも、父親になると、さらにテストステロン濃度は下がるそうです。

また別の調査でも、4500人近くの兵役経験者で、テストステロン値が高い人の方が、
両親、教師、クラスメートともめごとを起こす、ほかの大人に対して攻撃的である、
軍隊で無断外出する、麻薬やマリファナやアルコールを利用する、という傾向がわかりました。

さらに24歳から39歳までの独身男性が他の男性を殺す可能性は、同じ年の既婚男性の3倍高いのだそうです。

話は中国に戻りますが、底辺層の余剰男性 (可哀想なネーミングですよね) が国粋主義者となり、怒り狂っています。
中国語で、怒れる若者、" 憤青 " (フェンチン) と呼ばれています。
極端な愛国教育を受けた彼らは、さまざまなトラブルで、アメリカ大使館やマック、ケンタに火を放ったり石を投げたりします。
また日本大使館に押しかけたり、日本料理店を襲い、日本車を破壊します。
しかし、それらの行動は愛国心からというよりも、もやもやとした怒りから発生しているようにみえます。

中国の有識者の間では、台頭する憤青の力が大規模な破壊活動への不安を引き起こしている。
「本当に恐ろしいのは、国が怒れる若者によって揺さぶられるときだ。」
「国に怒れる若者がある程度いるのはもっともだが、彼らが国を牛耳るようになり、穏健な高齢者や無邪気な子供を含めた国全体が
怒れる若者に同調させられた場合、全面的に混乱して惨事が起こるだろう。」


戦争を避ける確実な方法は、相手に、" 勝ち目が無い " と思わせることです。
戦後の数十年間を日本はアメリカを後ろ盾として、他国に、そう思わせてきました。
しかし、いまや中国という魅力的な市場に進出したいアメリカは、昔ほどガチな後ろ盾ではありません。
戦争反対を唱えるだけで、戦争を回避できたケースを私は知りません。

私は、2012年の1月30日に石原慎太郎の著書、" 新・堕落論 " をアップしましたが再掲します。

日本は核爆弾を保有するべきである。
戦後、日本人はアメリカの妾のような立場に満足して過ごしてきた。
核戦争反対と叫ぶだけでは平和は実現しない。
日本は2発の核ミサイルで壊滅状態になる。
壊滅状態となった日本のためにリスクを犯すほどアメリカは間抜けじゃない。
中国からの領海侵犯事件も抗議するだけでは外交とはいえない。
核を持っていたならば発生しなかった事件かもしれない。





村上由真・長崎国体本戦出場決定

2014年07月22日 | 由真ネタ
昨年も、ただ一人の中学生として国体の熊本県代表に選ばれた由真でしたが、九州沖縄予選で敗れていました。
国体は3人チーム戦ですが、九州沖縄から3県しか本戦に進めないのです。
今年は九州沖縄予選を突破しましたので、10月に長崎大村湾カントリー倶楽部ニューコースで開催される国体本戦に参加します。

由真は今年の4月に国府高校にゴルフ特待で入学しました。
毎週土曜日にはコースを回るという恵まれた環境で日々、腕を磨いています。

そんな由真を昨日は阿蘇グランヴィリオの西コースへ連れて行きました。
由真の結果は、フルバックティーを利用して、73打の26パットでした。
3バーディー4ボギーなのですが、内訳は、
8ホールでパーオンに成功してバーディー2個で、パーが6個。
パーオンに10ホールで失敗していますが、ボギーとしたのは4ホールだけで、
チップインバーディーが1個、寄せワンが5個でリカバリー率6割です。

実は一昨日も同じコースをプレーしたのですが、由真は10番を終えてパープレーでした。
そこで豪雨となりプレーを中止しました。
現在の由真は、このコースをパープレーで回る実力があるということでしょう。
帰りの車の中で私は由真に尋ねました。 " 由真よ、ゴルフは面白いか? "
答えは、" 面白いです。 " でした。
私が、" 楽々回っているように見えるぞ。 " と言うと、
" いや、結構苦しいし、必死です。 " という返事でした。
私も内心は、 " 俺のほうが苦しいんだぞ。 "と思いましたが、よくよく考えると、
ダメ元というか、失敗しても当たり前的な感覚でプレーしているような気がしましたので
口には出しませんでした。

その、いいかげんな私の結果ですか?
105打の32パットでした。
パットが少ないのは、カラーから入ったパットをチップインと計算したせいです。
16番のロングで6オン0パットでした。

遥かなるセントラルパーク

2014年07月18日 | 読書
この数日間は、この本に、はまってしまいました。
1982年に英国人トム・マブナムがイギリスで出版した本で、夏井睦先生が1998年12月にサイトで紹介されています。
絶版ですのでネットで古本を探すしかないのですが、運よく1800円でゲットできました。



ところが、送られてきた品物は、帯こそ付いているものの、何年も本棚でほこりをかぶっていたような代物でした。



巻末を見ると1984年の初版本でしたので、30年分のほこりをかぶっていたのです。



読み始めた当初は、次々と登場人物が増えていくし、誰が主役なのか分からず、とまどいました。
しかし、この本の巻頭に下記のページがあり、随分と助けられました。



この物語はロサンゼルスからニューヨークのセントラルパークまで、週に一日の休み以外は毎日80Kmほどを走って
アメリカ大陸を横断しようとするイベントの顛末がスリリングに描かれています。

賞金目当てに当初3000人も集まった参加者は、すぐに落伍者が続出し1000人を切っていきます。
その中でトップグループに位置する数名と、女性でただ一人生き残った女性達の、友情というか、絆が深くなっていく様が
この物語のメインテーマです。

様々な試練やトラブルを乗り越え、セントラルパークを目指してひた走ります。
ジェットコースター・ムービーという表現がありましたが、この小説も急激な展開やトラブルや成功や失敗の連続が
目まぐるしく、途中からは読み止めるのが困難になるほどです。

ボリュームたっぷりの長編ですが、残りページが少なくなってくると、寂しさに襲われます。

感動的なフィナーレを読み終えて感じたことは、英国人はスポーツをスピリチュアルに愛しており
それを文章で表現することに長けているということです。
ゴルフ雑誌でゴルフについての文章をかなり読みましたが、英国人のゴルフに対する誇りや人生観、
また勝負の微妙な流れなどを、実に恰好良く表現してあります。

個人的には、この英語に対抗するには口語体では無理で、文語体の復活が有効なように思えます。

クラブを一閃させりしが、一天にわかに掻き曇り、魔風恋風吹き荒れて、何処に果てなむ我が球は.....なんてね。


夏井睦先生の練馬光が丘病院見学予約成功!

2014年07月14日 | 湿潤療法
3日前に上記サイトにメールを出しました。
内容は、8月の盆休みを利用して、夏井先生の診察を見学したいというもので、
自分自身がスーパー糖質制限を3年間続けていること、
また、患者さんたちにも紹介しているというものでした。
私自身の改善データも示しました。

すると、今日、メールで8月15日ならばOKとの返事をいただきました。

さらに今日の上記サイトで私のメールの一部が紹介され、はせがわクリニック奮闘記も貼り付けていただきました。

夏井先生にはすぐにお礼のメールを出したのですが、その文の最後は以下のように締めくくりました。

" 年甲斐も無く、修学旅行を待ちわびる学生のような高揚感に襲われています。"

ボウリングに、はまってます。

2014年07月12日 | ボウリング
昨夜も、飲みに出る前の短い時間を利用してボウリングに行きました。
新球のおかげで久しぶりにボウリングに、はまってます。



ラウンドワン田崎店 11、12番レーン 使用球 : BLACK WIDOW ASSASSIN 15ポンド
上がり3ゲームは、247,236,204 TOTAL : 687 AVE : 229 でした。
ストライク率は驚異的な73.5%です。
34回ストライクにチャレンジして9回しか失敗?しておらず、25個のストライクです。

右足を30枚目に置いて、15枚目から12枚目の板を大きく膨らませるという派手なラインを採用しました。
昔は、このような大きく曲がる球筋でポケットヒットを続けていくプロたちを、" 凄すぎ。" と尊敬していました。
しかし、自分でやってみると、かえって簡単であることが判明しました。
以前のラインですと、許されるスパットミスは、左に半枚、右に1枚でしたが
この派手なラインですと、左に1枚、右に2枚と、かえって幅が広がるのです。
おまけに、たっぷりとオイルを塗られたゾーンを長く滑らせますので
球のエネルギーがロスされること無く保たれ、パワー全開でポケットをヒットできます。
" なーんだ、プロたちは、こんなに楽なボウリングをしていたのか。" というのが私の感想です。

この新球を手にした今が、人生で最も300点に近い位置に居るような気がします。

モス・バーガー

2014年07月11日 | 糖質制限食
最近モス・バーガーがパンの代わりにレタスで食材を挟んだ、 " 菜摘みバーガー " なるものを発売しています。
以前にモスのフィッシュバーガーの大ファンであった私は、目ざとくその情報をキャッチしました。



感動しました。懐かしいフィッシュの美味さが、3年のブランクを飛び越えて蘇りました。
" 生きててよかった! "は大袈裟ですが、以後、毎日のように食しております。

モス・バーガー側が糖質制限ブームに乗っかって、このメニューを考案したのかどうかは分かりません。
分かりませんが、そうであることを期待します。
なぜならば、このメニューはレタスの最盛期を過ぎれば終了してしまうかもしれないからです。
その時に、糖質制限メニュー第二弾を考案して欲しいのです。

しかし、振り返れば、昔の私の定番メニューは、フィッシュバーガー1個と照り焼きバーガー1個というものでした。
これでは血糖値が上がって、追加インシュリン出まくりですよね。
体重が80Kgに迫ったのも当然でしょう。
ざるそばダイエットや、にぎり寿司ダイエットで失敗した前科もあります。

しみじみと、糖質制限ありがとう...... です。

インサイドボウリング

2014年07月08日 | ボウリング
昨夜もボウリングに行きました。
ラウンドワン田崎店 11番、12番レーン、使用球 : BLACK WIDOW ASSASSIN



6ゲームの結果は201,195,241,157,207,213だったのですが
4ゲーム目の157というロースコアのせいで、上がり3ゲームが200AVEに届きません。
そこで7ゲーム目にチャレンジして、なんとかつじつまを合わせました。

上がり3ゲームは、207,213,217 TOTAL : 637 AVE : 212.3
ストライク率 52.9 % でした。

最初から右足を20枚目よりも右側に構えるのは無理だということを悟り、
最終的には30枚目に構えて13枚目をガータ近くまで膨らませるという派手なラインになりました。
30枚目に構えるのは、私のボウリング人生で初めてです。
ただしこのラインは未だ間に合わせに過ぎず、正解はおそらく、もっと左に構えて、もっと内側の板を膨らませる
インサイドボウリングにあると思われます。
多分、プロがよく使う、18枚目を膨らませるというラインが要求されるような気がします。

これまでの私の好みは、あまり曲がらずにドライゾーンに飛び込み、そこで角を出して
急激にフックアウトする、スキッド & スナップ という球筋でした。
このフックアウトで終わる、つまり最後までフックしながら終わるということが肝心なのです。
いくら曲がってもピンに当たる手前で曲がり終えて直球になってしまったのではダメなのです。
そういう終わり方をロールアウトと呼び、10ピンが残る確率が高くなります。
このフックアウト、ロールアウトはボールのドリルレイアウトでかなり修飾されます。
自分でレイアウトをデザインできる私は、とても有利なのです。

今回の新球もスキッドアンドスナップにレイアウトしたのですが、元々が曲がる材質でしたので
大きく曲がって、さらに切れるという、魔法のような球筋が実現しました。
この球で速いレーンコンディションに遭遇できたならば、パーフェクトが現実味を帯びてくるかもしれません。

BLACK WIDOW ASSASSIN デビュー

2014年07月06日 | ボウリング
昨夜は上記ボールをデビューさせました。略してBWAと表記します。
まずは使い慣れた BLACK WIDOW BIOLENT (BWB)を使用してポケットを探しました。
レーンは11、12番で、ロングオイル パターンです。
右足17.5枚目からの8枚目膨らましでジャスト・ポケットに入ることを確認して新球BWAにチェンジしました。
結果は1番ピンにさえ当たりませんでした。
曲がりすぎてブルックリンのさらに左に行ってしまったのです。
驚きました。まあ新球ですから未だオイルを吸い込んでおらず、切れすぎるであろうことは予想していたのですが、
まさか、ここまで暴れるとは思いませんでした。
最初の2ゲームは、それこそ、じゃじゃ馬慣らしに終始してしまいました。
で、上がり3ゲームがどうだったのかと言えば、



TOTAL : 649 AVE : 216.3 ストライク率 : 60.1 % でした。

各ゲームに1つずつスペアミスがありますが、すべて、4番7番という左側のピンのカバーミスです。
4番7番ピンの手前に、オイルの伸びとムラがあって、暴れまくるBWAをコントロールできませんでした。
新球がオイルを吸い込んで安定するには、20ゲーム程が必要です。
それまでは4番7番ピンをスペアボールで処理することにしました。

それにしても期待値が高い新球です。
じゃじゃ馬が乗りこなされた時にどれほどのパフォーマンスを発揮するのかを想像すると、
年甲斐も無くワクワクしてしまいます。


パーキンソン病とグルタチオン点滴

2014年07月04日 | 医学
パーキンソン病とは脳内の神経伝達物質であるドーパミンが不足することによって起こる疾患です。
症状としては、指が震える(振戦)、一歩目が出ない(すくみ足)、一歩目が出るとパタパタと加速してしまう(突進現象)
筋肉が固縮しているので、外力で、たとえば肘関節を伸ばそうとするとガクンガクンと滑らかさの無い動きになる(歯車現象)
顔の表情が無くなり、しゃべらなくなる(仮面様顔貌)などが有名です。

グルタチオンは慢性肝炎に対する肝庇護点滴セットの中に、昔からなんとなく入れられる、薬価56円のオマケ?みたいな注射液です。

最近、このグルタチオンを数アンプル、週に数回点滴するのがパーキンソンに対して有効だという本が出版されています。
これを参考に88歳のおばあちゃんに点滴を施行してみました。

この方(便宜上Aさんとします)は当院初診が70歳の時で、病名は便秘と慢性胃炎でした。
老人会の会長で、口八丁手八丁のにぎやかな性格でしたが、油断すると私にベタベタと触ってくるという癖がありましたので用心を怠れませんでした。
80歳を越えても元気で、会長を辞めさせてもらえないというのが唯一の愚痴でした。

Aさんに最初の異変が発生したのは平成20年の1月でした。
早朝に吐き気と便意を催しトイレにて意識喪失、頭部のCT検査を受けましたが異常ありませんでした。
すぐに意識も回復しましたので、消化器症状による反射性の血圧低下か、一過性の脳虚血発作だろうという診断でした。
しかし、翌月になってもふらつきがあるということで、今度は頭部のMRI検査を受けましたが、やはり異常ありませんでした。

以後歩行状態は少しずつ悪化して行くのですが、パーキンソンを疑わせるような症状はありませんでした。
それでも試しに、抗パーキンソン薬であるシンメトレルを処方してみたのですが、若干の改善しか認められませんでした。

平成22年4月、さらにふらつきがひどくなったのでAさんは済生会病院を受診。
頭部CTにて傍側脳室低吸収域が確認され、Aさんに初めて血管性パーキンソン症候群の診断が下されました。

平成23年4月に、ドーパミン製剤のパーロデルの処方を開始しました。
同年6月に済生会にコンサルト、レボドパ製剤の追加を指示されドパゾールの処方を開始しました。
ところが9月7日に突然、動かず、しゃべらずの仮面様顔貌が出現しました。
済生会の診断は心原性脳塞栓症(左中大脳動脈、左前頭葉など)で、塞栓機序での脳梗塞でした。

入院、リハビリを終えて平成24年5月から当院の外来に復帰されましたが、ADLの低下はいなめず、
自力歩行は、つたい歩きでも転倒するくらい不安定ですし、さらには寡黙となり笑顔も消失していました。

さて、今年の4月にグルタチオン4アンプルを生理的食塩水100mlに入れて、週2回の点滴を開始しました。
当初は変化が無かったのですが、5回目くらいから歩行が改善されてきて、少ししゃべるようにもなりました。
10回目くらいからは、スタッフの手を借りずにつたい歩きが可能となり、壁が無い部分では、完全な自立歩行もできました。
笑顔や冗談も出てきましたし、15回目には私に触るという悪い癖も復活しました。

今日、19回目の点滴に来られたのですが、私の臙脂色のユニフォームを冷やかされました。
一時期は認知症を疑ったのですが、素晴らしい回復です。

パーキンソン病には様々な種類がありますので、グルタチオン点滴が全く効かない人が3人に1人は、おられるそうです。
しかし、逆を言えば、3人に2人は効くわけですし、副作用もありませんので、ダメ元でも、やってみる価値はあると思います。

これまでは、私にとって、パーキンソン病は、つらい疾患でした。
診断がついた時点での余命は5年といわれていましたし、症状は次第に進行していきます。
症状を抑える薬はありますが、やがて効かなくなっていくし、リバウンドやウェアリング・オフ
(一日の内でも、薬が効いている時間と切れている時間が混在する現象)などもあります。
欲張らずに、腹八分の処方を、少しずつ、さじ加減を変えながら続けていくという必要がありました。
自分の患者さんの症状が、どうしようもなく悪化していくのを見守るのは医者としてつらいことです。

しかし、今回のように、安価な点滴で、夢のように快復する患者さんを目撃することは医者冥利につきます。