はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

暴れすぎ

2015年12月27日 | ボウリング
今日は日曜日ですがボウリングに出かけました。
夕方には混雑するのですが、3時ごろまでは比較的すいているのです。



ラウンドワン田崎店 3番4番レーン 使用球 : ハンマー社のBLACK WIDOW LEGEND 15ポンド

上がり3ゲームの結果は TOTAL : 637 AVE : 212.3 ストライク率 : 55.9% でした。

最初は新球のJACKALを使ったのですが暴れすぎて使いこなせませんでした。
5ゲームで10個ものスプリットを招いてしまったのです。
切れる時にはすざましいのですが、ちょっとでも指に掛け損なうとスリップしてしまいます。
つまり、厚めに入りすぎても割れるし、薄めでも2-8-10が残るのです。
5ゲーム目に138というローゲームを叩いて、さすがに諦めてしまいました。
そこで、上がり3ゲームは旧球を使用しました。
新球と比べれば切れが不足するのですが、安定してポケットをヒットできます。
しかし切れが足りない分、10ピンが残りやすくなります、
案の定、6ゲーム目の、2、3、4 フレで連続して10ピンが残りました。
しかし、今日は10ピンをカバーする練習日だとみなすことにしました。
ボウリングというゲームは面白いもので、ジャスポケでなくても、ポケットを突いていればラッキーなストライクもでるのです。
6ゲーム目は9フレまですべてポケットを突き続けて、ストライクが5個、10ピン残りが4個でした。
しかし5個のストライクはすべてがラッキーストライクでした。
最終8ゲーム目の中盤にオイルが枯れてきたせいか厚めに入りだしました。
それまでは30cmくらい前にアドレスして球速を落としながら投げていました。
いつもの位置に戻して、縦回転を意識して投げると、やっとジャスポケの迫力あるストライクが出ました。
こうなればこっちのものです、気持ちよくジャスポケ6連発でゲームを終えました。

サムのレフトサイドピッチ

2015年12月22日 | ボウリング
昨夜はT君との飲み方だったのですが、ニューボールが掘り上がったので、急いで3ゲームだけ投げてきました。



ラウンドワン田崎店 7番8番レーン 使用球 : MOTIV社 の サファイヤジャッカル 15ポンド
結果 : TOTAL : 634 AVE : 211.3 ストライク率 : 59.4% でした。

レーンコンディションはマアマアで、右足15枚目から8枚目を膨らませてポケットをヒットできました。
ただし右のレーンは曲がりが甘いので、スタンスを30cm前に立って、球速を落とすことにより対応しました。
ニューボールですので、どうしても暴れてしまいます。
切れすぎたり、滑って行ってしまったりで、スプリットを多発しました。
3ゲームで7回ですが、やむを得ない結果かもしれません。
それでも、そのうち2個をクリアーし、単純なスペアミスもゼロでしたので、なんとか210AVE打つことができました。
とくに最後のフレームでのスプリットクリアーは快感でした。

さて新球ですが、表面がラフな感触ですので、ブラック・ウィドーのようにゴリゴリ曲がる球筋を予想していました。
ところが予想は丸外れでした。
なんと、スキップアンドスナップ系の、走って切れる球筋だったのです。
クリーンな走りの後で、いきなり角を出して左に曲がるという、私好みの球筋でした。
しばらくはエースボールとして使い込んでみます。
20ゲームくらいを投げて、オイルになじんできた時に、どんな動きになるのか楽しみです。

今回サムのピッチを15年ぶりに変更しました。
16分の3インチだったフォワードピッチを32分の7に増やして落としにくくしたのです。
ただし、落としにくいということは、抜けが悪くなるとも言えますので一長一短です。
同時にライトでは無く、レフトサイドに8分の1入れていた異常なサイドピッチをゼロに戻しました。
球を極端にインサイドから投球するときに、時々ボトンと落とすことがあったのですが、
原因として、この異常なレフトサイドピッチを疑ってみたのです。
右投げなのにレフトサイドピッチを入れていた理由は、オーバーターンを嫌ったためです。
できるだけ縦回転をかけたかったので、自分で考え付いたのですが、自信はありませんでした。
しかし後日、レフトサイドピッチを入れているアメリカのプロボウラーを発見し、こういう手も有りだと確信していたのです。
最近、考察したのですが、ライトピッチですと投げる時にボールは小指側にこぼれていきます。
ところが、レフトピッチで極端にインサイドから投げる時にボールが人差し指側にこぼれて、ボトンと落ちているかも知れないのです。
今後、その現象が出なかったならば、それが証明されたことになると思います。

で、あわてて3ゲームを投げ終えると、T君に迎えに来てもらって、ステーキのレンガ亭に行きました。
私は、いつものごとくヒレステーキの200gをオーダーしました。
T君ですが、いつものサーロインではなく、サービスロースの300gに初チャレンジしたのです。
これが大正解で、脂では無く、ちゃんと牛肉を食べているという感じで、年よりの私にはピッタリのしろものでした。
結局、私のヒレ肉の半分以上をT君の肉とトレードしました。
こういうのをWIN-WINの関係と呼ぶのかなと思いました。

その後、スナック MOET (萌え) に移動し、久し振りにT君のサボテンの花を聴きながら泥酔していきました。

追加記事 : 前回のブログでPAP ( Positive Axis Point ) を説明すると予告しましたが、実は過去にアップしていました。
2014年の6月24日の " ボウリングボールのレイアウト " を参照して下さい。

ボウリングボールのレイアウト・2

2015年12月19日 | ボウリング
10か月振りにラウンドワン田崎店に行ってみました。

久し振りですので、指穴はブカブカです。
落とさないように、ある程度は握って投げるので、球が走りません。
走らないのは覚悟していたのですが、曲がりも弱く、切れがありません。
したがってストライクが少なく、スプリットだらけという悲惨な結果に終わりました。



10か月間も球を放置していたので、表面のコーティングが劣化したのかも知れません。
そこで、早速ニューボールを買い求めに走りました。

そしてゲットしたのが、JACKALの15ポンドです。



最近ブレイクしているMOTIV社の製品ですが、私が購入するのは初めてです。
曲がり系の球らしく、表面がラフな感じですが、いざとなればポリッシュする余地が残されています。

早速線引きに取り掛かりました。

今回の新球は コアとアクシスの角度( CAアングル ) を60度にすることからスタートします。
難しい話ですが、ボールのピンマークと自分のPAP ( ポジティブ アクシス ポイント ) の角度を60度にしたいのです。
自分のPAPの見つけ方については後日説明します。

ボウリングボールの円周は27インチです。
360度が27インチですので60度は27÷6で4と2分の1インチとなります。

4と1/2インチをボールゲージ ( ボールの計測器 ) で



4と1/2インチをコンパスで拾って



ピンから円を描きます。
大体の最終点はピンと重心とマスバイアスポイントから想像できるので、円全体を描く必要はありません。



次にマスバイアスとPAPの角度を75度にすることにしました。
60度は4と1/2でしたので15度はそれを4で割って1と1/8
したがって、75度=60度+15度=4と1/2+1と1/8=5と3/8

5と3/8をコンパスで拾って



75度をコンパスで拾ってマスバイアスからの円と、先ほどの円の交点を探します。





私のPAPはグリップセンターから右に5と1/2行って、上に1インチ上がった地点です。
したがって、見出した交点よりも1インチ下に仮想PAPを設定する線を描きます。



そこから左に5と1/2インチ行った地点がグリップセンターになれば良いわけです。

そこで、ボールゲージをかぶせて、5と1/2にさきほどの目印の線を合わせて、グリップセンターを設定していくのですが、
その際、できるだけボールの重心から離れないようにすることが努力目標なのです。



グリップセンターと重心が2インチ以上離れると、ルール上バランスホールというものを掘る必要に迫られます。
バランスホールの掘り方次第で球の動きが変わるという説もありますが、私は迷信だと思っています。
掘らずに済むのなら、それに越したことは無いと思います。

こうしてグリップセンターが決定されるのですが、最後の確認が残っています。
それはセンターラインとマスバイアスの角度Aです。



この角度が15度以下ですと、ボールの切れがストンと悪化するそうなのです。
そこで分度器で



20度ほどあることを確認して出来上がりです。



あとは、いつもお世話になっているスポラの平井支配人にドリルを依頼するだけです。

平井支配人にはこのようなメジャーシートを作成し、渡しております。




SINCE 1995

2015年12月15日 | 日記
はせがわクリニックは1995年の12月16日に開業しましたので、丸々20年が経過しました。
今日は、1995年がどんな年だったのかを調べてみました。

まずは、阪神・淡路大震災でしょうか。
5000人以上が亡くなるような災害は、戦後生まれの私にとっては初めて経験するものでした。
しかし、考えてみれば、戦時中の空襲では、毎回、これ以上の被害が出ていたようですので、
戦争こそが最悪の災害であると思います。

次はオウム教による地下鉄サリン事件です。
ポアするとか、上九一色村、第八サティアンなんてのが、毎日ニュースショーをにぎわせていました。
" ああ言えば上祐 " なんて言い回しもありましたよね。

青島幸男が東京都知事に、横山ノックが大阪府知事になった年でもありました。

近鉄の野茂が大リーグにチャレンジした年でした。
野茂は大成功を収め、オールスター戦に選ばれ、新人王を受賞しました。

アジアの歌姫と呼ばれたテレサ・テンが突然死しました。
電話を受けて救急隊が到着した時にテレサ・テンは、右手にメプチン・エアー、左手に受話器を持ったままこと切れていたそうです。
メプチン・エアーは気管支喘息の患者さんに処方される気管支拡張剤のスプレーですが、心臓に負担がかかるのです。
テレサ・テンは重症の喘息発作に対して、メプチン・エアーを大量に使用し、心臓発作を誘発させたと考えられます。
この当時は、片手にメプチン・エアー、もう片手に受話器を握りしめて死亡することが結構ポピュラーでした。
そこで、このような死に方を、私たちの業界は、" テレサ・テン シンドローム " と名付けました。
現在でも結構、通用するようです。

さて、話はそれますが、私はテレサ・テンよりも桂銀淑 ( ケイ・ウンスク ) の方が好きでした。
テレサのヒット曲である、" つぐない " と " 愛人 " も、桂銀淑がカバーしたものをUSBに保存しています。
桂銀淑のオリジナル曲としては、" すずめの涙 " が最も気に入っています。

話を1995年に戻して、若乃花と貴乃花が兄弟で優勝決定戦を戦った年でもありました。
若貴フィーバーに日本中が沸き返った時代で、連日の満員御礼が当たり前とされていました。
モンゴル人に制覇されてしまった現在は、日本大相撲の危機ではなく、終焉のようにも思えます。
数年前の八百長事件を機に、NHKはテレビ放映を中止するべきだったと思います。

あとは、現在でも解決されていない事件として、八王子スーパー強盗殺人事件が発生した年でした。
縛り上げた女子店員とパートの女子高生を射殺するという残酷な犯罪でした。

CMでは、" わたし脱いでもスゴいんです。 " が最も印象に残っています。

振り返れば、90年のバブル崩壊から全く立ち直れず、さらに、これからもずっと立ち直れないであろうことを
日本人が覚悟しているような悲しい時代でした。
追い打ちをかけるような阪神・淡路大震災もあって、結構悲惨な年であったことが見てとれます。

ただし、この頃は未だ、アル・カーイダや、ウサマ・ビン・ラーディンの名前がちらほらと出てくるくらいで、
ニューヨークの世界貿易センターも無事だし、イスラム国もありませんでした。
イラクでの湾岸戦争が終わって数年が経過し、それなりに世界が落ち着いている状況でした。
中国は89年の天安門事件で、世界中からの非難を受け続けていて、まだ日本に伍する力はありませんでした。

歴史に無頓着な私が振り返っても、現代は、かなりヤバい時代になってきたことが分かります。
最大の災害である戦争を避けるためにも、日本人はすべての叡智を結集して、国際関係や戦力のバランスを工夫していくべきだと思います。
ただただ、国内で、戦争反対と叫んでいるだけでは戦争を避けられないと思うのですが.......


村上由真の成長

2015年12月08日 | ゴルフ
6日の日曜日は、久し振りに由真とラウンドしました。

グランドチャンピオンというコースですが、グリーンの傾斜が強く、パットが難しいことで有名です。
私は白ティー(フロントティー)から、由真は黒ティー(フルバック)からのプレーでした。

由真も高校2年になり身長も私に迫ってきました。
ドライバーの飛距離は当たれば280、当たらなくても260、期待値は270くらいのようです。
以前よりも球筋に迫力が出てきました。
低く飛び出した球が途中でホップしていきます。
球を叩くというよりも運ぶというような打ち方で、球がスイングに遅れて飛び出すように見えます。

由真の結果は72打の32パットでした。
3バーデー3ボギーのパープレーだったのですが、もう少し詳しく分析してみます。
ドライバーのフェアウェーキープ率は14回中13回ですので、92.9%でした。
パーオン率は、18ホール中14ホールですので77.8%、リカバリーは4ホール中2個で50%でした。
3パットは1回でワンパットが5回でした。

なんというか、もう、ただ者ではないという雰囲気です。
200を越えるようなショートでもユーティリティーでバーディーチャンスにつけてきます。
2打目が190近く残っても6番アイアンでベタピンにつけてきます。
距離に対するストレスが全く無く、どこからでもグリーンではなくピンを狙っていきます。
150ヤード先のピンを狙うショットの際でしたが、素晴らしいインパクト音に反応して、私が、" ナイスショット! " と誉めたのですが、由真は、" いや、引っかけました 。"と答えました。
グリーンに上ってみると、たしかに由真の球はピンの左に止まっていました。
それでもワンピン以内なのです。

なんだか由真が遠い世界に行ってしまいました。
私は由真に皮肉を込めて問いかけました。
" 由真よ、ゴルフは面白いか? "
" それだけ簡単にパーオンを繰り返して、めったにピンチを迎えないゴルフって面白くないんじゃないか? "
由真は答えました、" いや、面白いです。バーディーパットをたくさん打てますから。 "

一瞬、由真の首を絞めたいという衝動に駆られました。

英語の名言集

2015年12月04日 | 日記
ネットで上記を見つけましたので、私的にヒットだと思える物をアップします。

To be happy with a man you must understand him a lot and love him a little.
To be happy with a woman you must love her a lot and not try to understand her at all.

彼と幸せでいたいのなら、彼を深く理解し、少しだけ愛すこと。
彼女と幸せでいたいなら、彼女を深く愛し、彼女を理解しようなんて間違ってもしないこと。(ヘレン・ローランド)

A woman will doubt everything you say except it be compliments to herself.

女とは、男からのお世辞以外の言葉を、すべて疑ってかかる生き物である。 (エルバート・ハバード)

Gravitation can not be held responsible for people falling in love.

人が恋に落ちるのは万有引力のせいではない。(アインシュタイン)

To play billiards moderately well is the sign of a gentleman ;
to play it too well is the sign of a misspent of a life.

ビリヤードをまあまあ上手にプレーできるのは紳士のしるしである。
しかし、上手すぎるのは人生の時間を無駄遣いしたしるしだ。(マーク・トウェイン)

I am an optimist. But Im an optimist who takes his raincoat.
私は楽観主義者だ。しかし私はレインコートを持っていく楽観主義者だ。(ハロルド・ウィルソン)

There is one thing more exasperating than a wife who can cook and won't、
and that's wife who can't cook and will.

料理ができるくせにやらない妻よりも忌々しいものが一つある。
それは、できないくせに料理しようとする妻だ。(ロバート・フロスト)

My toughest fight was with my first wife.

私が最もつらかった戦いは、最初の妻を相手にしてのものだった。(モハメド・アリ)

God heals 、and the doctor takes the fee.

神が病を癒し、医者が金を取る。(ベンジャミン・フランクリン)

We don't stop playing because we grow old.
We grow old because we stop playing.

歳をとったから遊ばなくなるのではない。
遊ばなくなるから歳をとるのだ。(バーナード・ショー)

注 : 和訳ですが、かなり意訳を加えました。