8月12日に愛犬サラが車にはねられて死亡しました。
それまで車道に飛び出したことは一度も無かったのですが
私のしつけが甘かったようです。
その日から不幸な毎日が始まりました。
毎朝目を覚ますと、真っ先にサラの不在が私の胸を重苦しくさせます。
生き残ったランを抱きしめると、二匹でじゃれ合っていた頃の光景がトゲのように胸に突き刺さります。
部屋の中、車の中、公園、駐車場、どの場所も二匹がじゃれ合う姿を思い出させます。
明るく平和で楽しい記憶が私を苦しめるのです。
もともと独りぼっち恐怖症だったランは哀れです。
診察などで部屋に置き去りにしようとすると悲痛な鳴き声で自己主張をします。
最近ではあきらめたようですが、当初はサラを探し回っていました。
風呂場や倉庫を、そして公園に連れて行くと、そこでもサラを探しているようでした。
その姿が哀れで、わたしの胸をさらに塞ぐのです。
ラン一匹を公園に連れて行っても、もう全力疾走をすることはありません。
犬同士の追いかけっこが、全力疾走の唯一の絶対条件だったのです。
私はこの4ヶ月間、ほとんど毎夕二匹をを散歩に連れ出しました。
そして私は公園を20分間全力で歩くのです。
犬たちは私に付いてきながらも、バトルと追いかけっこを繰り返します。
生後2ヶ月から始めた毎日の英才教育ですから、ランとサラの脚力は同級生の中ではズバ抜けていたと思います。
公園から帰宅すると、毎日二匹をシャワーで洗いました。
もちろんぬるま湯をかけるだけのシャンプーレスです。
バトルで転げ回っていますので、全身が草まみれの泥まみれなのです。
一匹ずつタオルで拭き上げてドライヤーをかけます。
犬たちも幼い頃からのルーティンですのでほとんど抵抗することもなく身を任せていました。
毎日これらをこなすのには2時間近くを要しました。
それから、やっと缶酎ハイ(最近ではWILKINSONのHARDがマイブームです。)にありつくのです。
毎日大変だなと思ったこともありましたが、習慣が身に付くと、それほど苦になりません。
それどころか、今思えば夢のように楽しい毎日だったのですね。
愛犬の全力疾走を見物できることは、確実に人生での幸せの一つだと思います。
さて、さっき気づいたのですが今日で5日目なのに悲しさに変化はありません。
それどころか、この5日間の不幸なコンディションは私の精神と肉体を消耗させているように思えます。
なんとか気を紛らそうと、この前の芥川賞作品を読もうとしたのですが無理でした。
冒頭の
勢いよく夏草の茂る川沿いの小道。一歩踏み出すごとに尖った葉先がはね返してくる。
を読んだ瞬間に、ランとサラを、そのような川沿いの夏草の中で走らせていた記憶が蘇ってしまったのです。
読書もできないような重症の鬱病患者になったようです。
そこで、思い出したのですが、以前にも人生で一回だけ、このような状態になったことがありました。
信頼していた先輩から、とんでもない裏切り行為を受けた時です。
今よりも重症で食べ物も喉を通らず、不眠と早朝覚醒に悩まされていました。
不幸な状態から逃れるために人間は様々な努力をします。
宗教に走ったり、いろんな人にアドヴァイスを求めたり、酒に逃げたりなど.....
私は宗教は20歳の時に絶縁しました。
人生で他人に相談したことなど一度もありません。
酒には強すぎて、頭の中がシーンとしてくるだけで、なかなか酔いつぶれず、早朝覚醒からも逃れられません。
私がその時に見つけた解決策は、先輩に手紙を書くことでした。
これまでの経過や、裏切りに対する非難、今後の身の振り方などを書いて、最後に楽しかった頃のお礼をしたためて決別の手紙としました。
その手紙を先輩に手渡す時には鬱はすでに寛解していました。
その経験を踏まえて、この記事をアップしています。
効果ですか?
なんだか胸のつかえが少し減ったような気もします。