

私が二十歳の時に熟読した本です。
先日アップした村上春樹の、" 恋しくて " を読んでいる時に、ふと再読したくなりました。
ネットで購入したのですが300円でした。43年前の定価が380円と書いてありますので微妙な値段ですよね。
私がこの本の内容でずっと記憶し続けてきたのは、" 恋愛の中毒症状 " という考え方です。
お互いに愛し合っていても、自分の愛よりも相手からの愛の量を少なく感じる側は、苦しみ執着するという症状です。
私は、このことをよく理解し、自分が中毒に陥っても、それをおくびにも出さぬように努めました。
恋愛に勝ち負けは無いのでしょうが、恋愛の中毒症状に陥った側が負け組であるような気がします。
さて、この本ではスタンダールの恋愛論の一部が紹介されます。
恋愛が発生する時の7つのプロセスです。
1.見とれる。
2.キスをしたりされたりしたらどんなにかいいだらうと考へる。
3.希望。
4.愛が生まれる。
5.最初の結晶作用。 ( 愛する対象の申し分のなさを更に新しく発見して来ようとする精神の作用である。 )
6.疑惑が生じる。
7.第二の結晶作用。 ( 愛する者は絶えず三つの考えの中をさ迷ふ。
第一、彼女はどの点でも完璧だ。
第二、彼女は自分を愛している。
第三、彼女から更に確実な愛のしるしを得るにはどうすればよいか。 )
私は最初の結晶作用という考え方にスタンダールの才能を感じます。
福永武彦は、それをパロって、愛の終わりのプロセスを考案しました。
1.馴れる。
2.もしも彼女と愛し愛されるのでなかつたなら、どういふことになるだらうかと考える。
3.しばしば裏切られる希望。
4.不満が生まれる。
5.最初の融晶作用 ( 愛している筈の対象の中に、自分が愛するにふさはしくない点を更に新しく発見して来ようとする精神の作用である。 )
6.憐憫が生ずる。
7.第二の融晶作用 (愛する者は絶えず三つの考えの中をさ迷ふ。
第一、彼女は少しも完璧ではない。
第二、彼女は自分を愛していない。
第三、彼女からこれ以上新しい愛のしるしを得ることが出来るだらうか。
私は憐憫が生ずるという言葉に福永武彦の才能を感じます。
ともあれ、結局、愛は、" 見とれる " ことで始まり、" 馴れる " ことから終わって行くということでしょうか......