はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

パガニーニ・愛と狂気のヴァイオリニスト

2014年08月11日 | 映画
昨日はT君と阿蘇グランヴィリオに行ったのですが、台風11号の名残雨のためにスタートを断念しました。

で、することも無いので、電気館に上記映画を観に行きました。







パガニーニは1782年にイタリアで生まれたヴァイオリニスト・作曲家です。
5歳でヴァイオリンを始めたものの、13歳の時にはすでに学ぶものが無いほどの腕前になってしまいました。
仕方ないので、自分で自分用の練習曲を作って演奏技術を高めていきましたが、" 超絶技巧 " を必要とする難曲だらけでした。

それを聴いた人々は、" パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ。 " と噂したそうです。

リストは、その演奏を聴いて、" ピアノのパガニーニ " になることを決意したそうです。
家財道具を売り払ってチケットを入手し、演奏を聴いたシューベルトは、" アダージョでは天使の声が聞こえたよ。 " と言ったそうです。

使用していたヴァイオリンはグァリネリ作の物でしたが、パガニーニは、その音色から、これを、" カノン " と呼びました。
パガニーニは、" カノン " を、死ぬ前にジェノバ市に寄贈しました。
その際に、" 他人に譲渡、貸与、演奏しない。 " という条件が付けられました。
しかし、現在のジェノバ市は、その約束を破って、貸与を繰り返しています。

さて、この映画でパガニーニを演ずるデイビッド・ギャレットは1981年にドイツで誕生していますので33歳位でしょうか。
4歳でヴァイオリンを始め、13歳でCDを録音しています。
14歳でドイツのグラモフォン社と専属契約を結んでいますが、これは最年少記録です。
2004年にニューヨークのジュリアード音楽院を卒業しますが、在学中は学費を稼ぐためにモデルとして収入を得、
" クラシック界のベッカム " と呼ばれました。
この映画は彼自身が企画、制作総指揮、音楽を担当したものです。

とにかく、この作品は、ストーリー展開や演技力が批評されるような物ではありません。
デイビッド・ギャレットが、5億円とも言われる名器ストラディバリウスを、" 21世紀のパガニーニ " と称される超絶技巧で
自由自在に演奏しまくる醍醐味がすべてです。
私はこの演奏を再生するだけのためにDVDを購入しようと決意しました。

私自身を振り返れば、幼稚園から小学校の3年生くらいまでヴァイオリンを習っていました。
その後2年近くは妹に付き合ってピアノも習いました。
高校2年でジャズに出会うまではクラシック音楽のファンで、親に買い与えられたレコード全集を
チャイコフスキーを中心に聴いていました。
すべて私の母親の影響です。

母は若い頃、九州大学のコーラス部に所属していたそうです。
そのせいか、炊事をしながらベートーベンの第九をドイツ語で歌うことが度々ありました。
小学生だった私は、それを、いつの間にか丸暗記してしまい、今でも歌うことができます。


るろうに剣心・京都大火編

2014年08月04日 | 映画




昨日は木曜会仲間と阿蘇東急でゴルフの予定だったのですが、天気予報が台風がらみでメチャ悪かったので、前日にキャンセルを入れました。
結果的には雨が降らず、チョッピリ悔しかったのですが、降水確率60%の予報では仕方が無いでしょう。

で、暇になったので上記映画を浜線YOU-MEタウンのTOHOシネマで観ました。

" るろ剣 " の一作目は二年前に鑑賞していて、このブログにアップしました。
まあ、大した作品では無かったのですが、この第二弾はスケールが全然違っていました。

人気俳優を贅沢にキャスティングし、エキストラも人数を惜しむことなくつぎ込んでいます。
セットも大仕掛けな物がふんだんに用意されていて、とにかく、莫大な製作費がつぎ込まれていることは確実です。

ただ、何の予備知識も無く見に行ったものですから、途中からストーリー展開に不安を感じ始めました。
一時間半以上も経過して、ストーリーが大団円に向かうどころか更に膨らんでいったからです。
そして、何一つ解決していない状態でエンディングのクレジットが出てきました。
後で分かったのですが、実は、この作品は二部構成の前編で、後編は9月に上演されるそうなのです。
つまり、一本の長編映画を二回に小分けして上演するというスタイルなのです。

なるほど、それだと興行収入も殆ど二倍になるでしょうから、製作費もふんだんに使えるという仕組みですよね。

なんだか罠にはまったような気もしますが、九月には続編を観に行くだろうと思います。
悔しいけど、迫力満点の面白い作品でした。

ところで、ガキと若者を中心に、結構客の入りは良かったのですが、彼らの何割が、 " るろう " を理解しているのでしょうか?
私自身は中学生時代でしょうか、シューマンの、" 流浪の民 " という作品があって、ジプシーの別名だと習ったのが唯一の知識です。
すると、タイトルは、 " 流浪に剣心 " と表記されるのでしょうが、これって変ですよね。
" 流浪の剣心 " とするべきだと思いますが、どうでしょう?

また、流浪人という日本語もありますので、作者は、" 流浪人剣心 " を、" るろうに剣心 " と読み違えた可能性があると思います。
作者は、自分自身が作った造語ですと説明しているようですが、苦しい弁明にしか聞こえません。
何を造ったのでしょうか、" るろうに "という単語でしょうか。それならば、その意味も発表するべきでしょう。
苦しすぎますよね。素直にゴメンナサイと言うべきでは........

ココ・アヴァン・シャネル

2014年07月30日 | 映画






今日はスカパーで上記作品を観ました。

アヴァンを英語に訳すと before です。
つまりこのタイトルを邦訳すれば、シャネルとして有名になる以前のココ・シャネル となります。

主演はオドレイ・トトゥ というフランス人です。
2001年の少女時代に、" アメリ " という映画に主演してヒットさせています。



たまたま、その作品をレンタルビデオで楽しく鑑賞した記憶があります。

この映画はオドレイという女優に魅力を感じるかどうかがすべてです。
私自身は大変気に入ったのですが、ネットでの評価には、はっきりブスと書かれているものまであります。
意志が強く、自分の考えをストレートに表現し、アンビシャスに富んだキャラをみごとに演じきっています。

お勧め度は80%くらいですが、オドレイの顔が好みで無い人は観るべきではありません。

はじまりは五つ星ホテルから

2014年06月27日 | 映画
昨日は木曜日でしたが、午前中は仕事をして、午後は、まずボウリングに行き、それから映画を観て、夜は飲み方という充実した?一日を過ごしました。

ボウリング場ですが、以前は平日の昼間は貸し切り状態が多かったのですが、昨日は結構マイボール持参組で賑わっていました。
投げ放題の料金体系が功を奏しているようです。
ロングオイルパターンは1、2、3、4番レーンしか空いてなかったのでパスして、久しぶりに15、16番のショートオイルパターンにチャレンジしました。



上がり3ゲームは TOTAL : 698 AVE : 232.7 ストライク率 : 67.6%でした。

最初は508Aを使用したのですが、オイルが伸びていて切れが悪いので、2ゲーム目の中盤から未亡人にボールチェンジしました。
8枚目膨らましでアジャストできていたのですが、この日はオイルが剥げるのではなく、少しずつ伸びていき、キレがなくなっていきます。
そこで7枚目膨らましに変更し、最後は6枚目まで追い出されました。
普通はオイルが剥げて曲がりすぎるようになって、内側の板目への変更を余儀なくされますので、真逆の珍しいレーンコンディションでした。

5ゲーム目を投げ終えた時点で映画の開始時間が迫ってきたのでボウリングを切り上げました。

さて映画、" はじまりは五つ星ホテルから " ですが







40歳のバリバリキャリアウーマンが主役ですので、便宜上、彼女を、" バリ " と呼ぶことにします。
バリの仕事は世界各地の五つ星ホテルのクオリティーを密かにチェックする覆面調査員です。
そのホテルに重大な問題点があった場合は、身分を明かして支配人と面会し、それを指摘します。
ホテルマンたちは彼女を、" ミステリーゲスト " と呼び、恐れおののいています。
バリは忙しく世界中の五つ星ホテルを泊まり歩いて厳しくチェックしていく仕事に誇りと生きがいを持っています。
しかし、そのことで自分自身をエリートというか、上流の人間だと勘違いもしています。

プライベートにおけるバリの人間関係は極めて狭小で、普通に結婚して二人の娘を育てている妹と、オーガニック食品店を切り盛りする元カレだけです。
元カレとは15年前に子供を堕した過去もあるようですが、いつの間にか恋愛関係は消滅しています。
この作品はイタリア映画ですが、恋愛関係が終了しても、仲の良い友達関係を持続させるケースがフランス映画には多いような気がします。

忙しい自分の仕事を優先して、上から目線で妹に指図するバリですが、妹に、その傲慢さを指摘され、さらには、一人ぼっちで今後どうやって生きていくつもりかと逆襲されます。

仕事先の豪華なホテルでバリは珍しくもサウナで一緒になった人類学者?と意気投合します。
そして翌日の夜に食事に行く約束を交わします。
しかし、その約束はぶっちぎられてしまいます。
支配人に尋ねると、その人類学者は前の晩にホテルで急死していたのです。
人類学者の身内は誰もおらず、離婚して10年以上も音信不通状態の元夫だけが唯一の連絡先でした。
バリは明日は我が身とばかりに落ち込みます。

そんな中、バリの元カレはガールフレンドを妊娠させてしまいます。
もともと結婚や父親になることを嫌っていた元カレは悩んでバリにも相談するのですが、バリは冷淡な態度に終始します。
そんな状態で元カレの部屋に泊まって、久方ぶりに一緒に寝たバリでしたが、翌朝訪ねてきたガールフレンドにバレてしまいます。
ガールフレンドは、その場から逃げるように退散しますが、バリは執拗に追いかけ、信号待ちの彼女の車の助手席に乗り込み説得します。
自分と彼の恋愛関係はとっくの昔に終わっていること、あなたが帰ることが彼の幸せ、あなたの幸せ、生まれてくる子供の幸せにつながることを。
真剣なまなざしの彼女に対して、バリは、" そんなに恐ろしい目つきで睨みつけないでよ。"と言いますが、これはバリの勘違いでした。
次の瞬間彼女はバリに抱き着いてきてハグします。

この作品の原題は VIAGGO SOLA です。英語ではVOYAGE SOLOでしょうか、訳せば 一人旅となります。
今回の邦題は五つ星ホテルを掲げることで、軽くて洒落た作品であることをアピールしているのでしょう。
私もまんまと引っかかってしまった一人ですが、あまりにも軽すぎる作品でした。

この日は、年老いたジャンヌ・モローとクラウディア・カルディナーレの、" 家族の灯り "や
" レイルウェイ、運命の旅路 " も上演されていましたが、どちらも、いかにも重たそうな作品ですのでスルーしてしまいました。



八月の家族たち

2014年06月14日 | 映画




木曜日は電気館で上記を観てきました。
原題のOSAGEとはオクラホマ州のオーセイジ郡で、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツの両巨頭が主演です。

この作品を、あえてジャンル分けするならば、" 罵詈雑言物 " でしょうか。
以前にアップしたジョディー・フォスターの " おとなのけんか " と同じジャンルに属します。
日本映画には無いジャンルだと思います。

オハイオ州の片田舎で夫婦二人暮らしを続けるメリル・ストリープは薬漬けの影響もあって、毎日旦那に罵詈雑言を浴びせ続けます。
長年、耐えてきた旦那でしたが、ある日決意して、インディアン女を家政婦として雇います。
必要ないと罵られながらも、旦那はインディアン女にメリルのケアを数日かけて、すべて教え込みます。
それから、黙って家を出て、湖で自殺してしまいます。

メリルには3人の娘がいました。

その長女がジュリア・ロバーツです。
ジュリアは夫の浮気が原因で別居しており、14歳の娘も反抗期です。
作品中、この夫がジュリアに投げかけたセリフが洒落ていました。
" 君を愛しているし、尊敬もしている。だが、とにかく、ムカつく。ムカつくんだ。 " (うろ覚えです。)

次女は、離婚歴3回でフェラーリを乗り回す、お調子者の婚約者を伴って実家に帰って来ます。
姉妹の中では最もおつむが弱い、イケイケネエチャンの成れの果てといったキャラです。


三女は実家のそばに住んでいて、時折メリルの世話をするのですが、密かに従兄(メリルの妹の息子)に思いを寄せています。
肉を一切食べないという菜食主義者ではありますが、登場人物中では最もまっとうなキャラの持ち主です。

とにかくメリルはジュリアと再会した瞬間から、ありとあらゆる悪態をつきまくります。
葬儀が終わっての、日本で言うならば、身内だけでの通夜のような晩餐でも、メリルは死んだ旦那の悪口を並べ立てるのを止めません。
ジュリアもブチ切れて罵り返します。
さらに、メリルの薬を取り上げようとして、取っ組み合いまで始まります。

さて、その後のストーリー展開ですが、まず、次女の婚約者はジュリアの14歳の娘にちょっかいを出そうとして、インディアン女にシャベルでめった打ちにされます。
ほうほうの体で実家から逃げ出すのですが、次女も、それに付いて行きます。

三女は従兄と結婚してニューヨークに住みたいとジュリアに打ち明けます。
子宮がんのオペで全摘したから、子供の心配が存在しないことも説明します。

ところが、ジュリアがメリルの妹にそれとなく切り出したところ、反ってきた言葉は驚愕的でした。
" うちの息子は三女の従兄ではない。腹違いの兄だ。 " というものでした。
つまりメリルの旦那とメリルの妹の間にできた子だったのです。
そして、そのことにメリルも気づいていたのです。

結局、姉妹3人ともメリルのもとを離れてしまいます。
そして、メリルのそばに残るのはインディアン女だけとなりました。
自殺した旦那は、このような事態が来ることを予測していたということでしょう。

まあ、シェークスピアまがいのトラジディーなのでしょうが、何のためにこんな映画を作ったのか理解できないままにエンディングとなりました。
お勧めできない作品です。

ニュー・シネマ・パラダイス

2014年05月28日 | 映画


おとといの夜は上記映画を観ました。
スカパーで放映されたやつを録画してあるのです。
酔っぱらってはいましたが、最後まで見終えました。
この作品を私が観るのは、おそらく3回目か4回目だろうと思われます。

1988年公開のイタリア映画で、シシリー島の田舎町が舞台です。
時代設定は、第二次世界大戦中ということぐらいしか分かりません。
出征した父親の無事を祈る母子家庭で育つ主人公のトトは10歳くらいでしょうか。
村で唯一の娯楽施設である映画館の映写技師アルフレートに取り入って映写室に出入りするようになります。
老けて見えますがアルフレートは50代でしょうか、彼はトトに映写の技術を教えます。

当時の映画は上映前に神父の検閲を受けることが義務付けられていました。
そしてキスシーンや濡れ場はすべてカットさせられていました。
トトは気まぐれで、そのカットした部分のフィルムを欲しがりますが
当時のフィルムは燃えやすい材質でしたので、アルフレートは、
"フィルムはトトの物だ。しかし預かるのは俺だ。"と言い渡します。
アルフレートのトトに対する言葉は、深い愛情に裏打ちされた警句が殆どであり、このことこそが作品の格調を高めています。

ある夜、映写機からの出火で映画館は全焼します。
アルフレートは、なんとかトトに救出されますが全盲となってしまいます。
それでもトトとの付き合いは続きます。

映画館が新築されて、"ニュー・シネマ・パラダイス"となった時に、トトは映写技師として採用され
戦死した父親に代わって家計を支えます。
しかしアルフレートはトトが映写技師として一生を終えることに反対します。
そんな中、トトはエレナという娘に一目惚れしてしまいます。
若者特有の滑稽な恋のアプローチと駆け引きを重ねたあげくに、やっと二人は両想いとなります。
しかし、突然、召集令状が届き、トトは戦場へと駆り立てられます。
エレナはトトの帰りを待つことを誓います。

戦争が終わり、トトは生きて帰ってきますが、エレナの姿はありませんし、行方も不明です。
再会したアルフレートはトトに、エレナに会ったかと聞きます。
行方不明だと知った彼は、"人間には従わねばならぬ星の運命がある。"と言い、トトを次のように説得します。
"この村にいると、自分が世界の中心だと思う。何もかも不変だ。だが、ここを出て2年もすると何もかも変わっている。
頼りの糸が切れる。会いたい人もいなくなってしまう。一度村を出たら長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば友達や懐かしい土地に再会できる。
今のお前には無理だ。お前は私より盲目だ。
人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行け。ローマにもどれ。
お前は若い。前途洋洋だ。私は年寄りだ。もうお前とは話さない。お前の噂を聞きたい。"


さらにローマに旅立つ日の見送りの駅でも、母親の目を盗んで、アルフレートはトトにささやきます。
”帰ってくるな。私たちを忘れろ。手紙も書くな。郷愁にまどわされるな。すべて忘れろ。
我慢できずに帰ってきても私の家には迎えてやらない。分かったか。"
"自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛したように。"

言われた通りにトトは30年間村に帰ることはなく、有名な映画監督にまで上り詰めました。
アルフレートの葬式の知らせを受けたトトは30年ぶりに帰郷して母親と再会します。
そして、母親に謝ります。
"僕は母さんを捨てた。泥棒みたいに逃げた。理由も話さなかった。"
すると母親は"私が聞かなかったのだもの。お前のすることは正しいと思った。聞かなくてもわかる。
村を出てよかったわ。自分の望みを叶えた。"

さらに次の言葉が秀逸でした。
"お前に電話すると、いつも違う女性が出る。でも、お前を心から愛している声を、まだ聞いていない。
お前が誰かを愛して、落ち着いてくれれば嬉しいわ。"

そして、素晴らしいエンディングへとなだれ込むのですが、これだけはネタバレにするのが惜しいのでアップしません。

お勧め度100%の名画です。

補足1.
この録画は123分の国際版です。
もともとのオリジナル版は155分でしたが、本国ではそれほどヒットしなかったのだそうです。
そこで、恋人エレナとの、その後の絡みをカットした国際版を編集したそうなのです。
そのせいか、エレナが突然行方不明になって、そのままですので、違和感が残ります。
173分のディレクターズカット版のDVDも発売されているようですので、チャンスがあれば観てみたいものです。

補足2.
日本では1989年に、"シネスイッチ・銀座"で公開されました。
そこ一か所だけでの公開でしたが、40週連続で、のべ27万人を集め、3億6900万円を売り上げたそうです。





ブルージャスミン

2014年05月16日 | 映画


昨日は電気館で上記映画を観ました。
ウッディー・アレンが監督、脚本を手掛けた作品です。
昨年度のアカデミー賞で、脚本賞、主演女優賞、助演女優賞にノミネートされ、
ケイト・ブランシェットが主演女優賞をゲットしています。

これならば、まあ、ハズレは無かろうと考えて観に行ったのですが、大失敗でした。
お勧めとは言えない作品ですので、ネタバレでアップします。
こいつは現在と過去を行ったり来たりするような筋書なのですが、馬鹿馬鹿しいので、時系列で紹介します。

ソコソコ?の美貌とスタイルのジャスミンは大学生の時に、9歳年上でバツイチ子連れのハルと結婚します。
ハルはハンサムでやり手の投資コンサルタントでした。
違法スレスレ、あるいは違法とも言える手法で富を築き、ニューヨークの豪邸に住んで、豪華な別荘を所有します。
ジャスミンも社交界こそが、自分が最も力を発揮できる場であることを自覚し、充実した生活を楽しんでいます。

ある日、ジャスミンはハルが浮気をしていることを確信します。
そこで親友に相談するのですが、私としては、このシーンが最も気に入りました。
親友は、"あのフランスの小娘でしょ。知ってたわよ。"と簡単に答えます。
"どうして黙ってたの?"と問い詰められても、"他人のトラブルだから。"と平然としています。
さらには、"あなた以外はみんなが知っていたわ。"と諭します。
そして、これまでの浮気相手の名前を、4、5人、スラスラと並べます。
すべて、ジャスミンが親切に扱ってきた、友達や側近でした。

怒り狂ったジャスミンは帰宅したハルを罵りまくりますが、彼の反応は意外なものでした。
ハルは、 "今回は本気だ。フランスの小娘と一緒に住む。" と宣言して、家を出ていきます。
激高したジャスミンは電話でFBIに、夫のビジネス上の不正を告発します。

この結果、ハルは刑務所に入れられ、自殺してしまいます。
財産もすべて没収されたジャスミンはサンフランシスコに住む妹ジンジャーのもとに身を寄せます。
ジンジャーはバツイチで、子供二人を育てるために、スーパーで働いているのですが、
じつは、夫が偶然当たった懸賞金20万ドルを、ハルにだまし取られたことが離婚の原因になっていたのです。
それでもジンジャーは姉を責めません。
狭くてちらかった住居や新しい彼氏のがさつさを馬鹿にされても、仕方が無いと考えるような性格です。

画面はニューヨークの上流階級と、西海岸の労働者階級の落差を強調するような手法で切り替わっていきます。
労働者階級に埋もれての生活になじみたくないジャスミンは、あるパーティーで金持ちの男性と出会います。
そこで、勝負とばかりに、"外科医であった夫を心筋梗塞で亡くした。"とか、
"インテリアコーディネートの仕事で忙しい。" などの嘘を連発していきます。

最後は二人で婚約指輪を買いに入ろうとしていた店の前で、
ばったりと出くわしたジンジャーの別れた夫に、過去の出来事を罵倒されて嘘がばれてしまいます。

結局、ウッディー・アレンは何を言いたかったのでしょう?
上流階級の社交界では、オバカで非常識でもやっていけるが、そういうキャラは他では全く通用しないということでしょうか?
上流階級に対する皮肉かもしれません。
一応、この作品は悲劇なのでしょうが、ジャスミンに同情する観客は皆無でしょう。

では、本当のヒロインはジンジャーなのでしょうか?
ジンジャーも、無理やり姉に連れていかれたパーティーで、女房持ちの男にだまされて、すぐに寝るような尻軽です。
しかし、だまされたことに気づくと、すぐに、前の彼とよりを戻すという、したたかな面も持ち合わせています。
案外、ウッディー・アレンが言いたかったのは、この下町女のしたたかさと、上流階級の女性の脆さのコントラストであったのかもしれません。

無理やり、ウッディー・アレンの意図を推察して、あれこれと書き記しましたが
仮に、どれかが当たっていたとしても、しょーも無い作品であることに変わりはありません。

あなたを抱きしめる日まで

2014年04月24日 | 映画




今日は上記映画を観ました。
まあ、面白くはあったのですが、なんだかテレビドラマの劇場版みたいな印象で、大して製作費を注ぎ込んでないような印象を受けました。
お薦めとは言えない作品ですので、ネタバレでアップします。

1950年代前半のアイルランドでは、未婚で妊娠した10代の少女たちは修道院に収容されます。
カトリックの国ですので、堕胎は絶対に禁止です。
修道院内で出産して、その後4年間は、そこで、お礼奉公をせねばなりません。
つらい仕事が続く毎日ですが、一日に一回だけ、自分の子供と接することができるのが唯一の楽しみであり、生きがいでもあります。
しかし、当時の修道院は、そういった子供たちを、里親を探しては次々とあてがっていたのです。

ヒロインであるフィロミーナも、連れ去られて行く息子マイケルを、泣きながら見送るしかありませんでした。
マイケルは1952年生まれという設定ですので、私の1歳年下になります。
まさに私が生まれたころのストーリーですよね。

さて、場面は50年後に切り替わります。
結婚して、夫に先立たれたフィロミーナは、生きていたなら50歳の誕生日を迎えたはずのマイケルの存在を、娘に初めて明かします。
そして、何度か修道院を訪れてマイケルの行方を尋ねたが、相手にしてもらえなかったことも。
娘は、たまたまパーティーで出会ったジャーナリストのマーティンに捜査を依頼します。
興味を抱いたマーティンはフィロミーナに同伴して修道院を訪ねます。
しかし、すべての記録は大火事で燃えてしまったためにわからないと、にべも無く追い返されます。

落胆したマーティンでしたが、修道院のそばの飲み屋で、恐るべき情報をゲットします。
それは、大火事では無く、裏庭の物置に火を点けて、証拠書類を燃やしただけのものであったこと。
そして、里親ではあるものの、実際には、子供たちは一人1000ポンドでアメリカ人に売り払われていたという事実です。

意を決したマーティンはフィロミーナを伴ってアメリカへと調査に旅立ちます。
アメリカには里親の記録が残っていて、あっさりとマイケルの消息が判明します。
マイケルは大統領側近の政務補佐官にまで出世したものの、1995年に死亡していたのです。

フィロミーナは、それでも、アイルランドを、そして自分のことを、マイケルが思い出してくれていたという確信をつかむべく、周りの人々との面会を続けます。
しかし、マイケルが実はゲイだったことなどが判明しますが、アイルランドや母親の話を聞いたことのある人物は現れません。

最後に、そのゲイの相手だった男の自宅を訪ねます.
そこで見せられたビデオには驚くべき映像が残っていたのです。
エイズの末期であったマイケルは、アイルランドの例の修道院を訪れていたのです。
マイケルもまた母親の行方を捜していたのです。
すなわち、修道院側は、母親にも息子にも、知らぬふりを貫き通したのです。

マイケルの墓は本人の希望で、修道院の中に作られていました。

以前にも、"太陽とオレンジ"という映画作品をアップしましたが、英国の子供たちは結構悲惨な目に遭うことが多いように思えます。
さらに想い起せば、昔、"オリバー・ツイスト"なんていう映画もありましたよね。
なんだか、英国では子供たちの人権が、まるでないがしろにされているようにも見えます。




小さいおうち

2014年02月10日 | 映画


新しいパソコンが絶好調です。
すべての音声がUSB-DACを経由してJBLのアクティブスピーカーから素晴らしい音質で出てきます。
動画の音声やCMも、なんだか映画館のスピーカーを彷彿とさせる、臨場感溢れる高音質です。
基本的にはUSBに落とし込んだJazzをオーディオゲートに、全部選択からのキャッチ&ドロップで叩き込み、
一日中BGMとして流しながら、作業をしています。



昨日は電気館に小さいおうちを観に行きました。
中島京子の直木賞受賞作を山田洋次監督が気に入って、脚本まで手掛けた作品です。

昭和11年、山形の田舎中学校を卒業したタキ(黒木華)は口減らしの一環として
単身上京させられ女中として働き始めます。
結局、山の手(宮前)の丘の上に建つ、赤い三角屋根のモダンな洋館に住み込みます。
そこの主人は玩具メーカーの部長で、性格や考え方は当時としてはあたりまえでしょうが、ベタなオヤジです。
その美人妻が時子(松たか子)で、6歳の一人息子である恭一との3人家族です。
タキは時子に憧れを抱き、徹底的に尽くそうと決意します。
恭一が小児麻痺に罹ったときも、半年間一日も休むことなく、日本橋の治療院へと、おぶって行きます。
その後は、見様見真似で覚えたマッサージを自ら恭一に施し、恭一を全快に導きます。

そんな中、会社の部下でデザイン担当の板倉(吉岡秀隆)が出入りするようになります。
アニメ「風立ちぬ」の堀越二郎とオーバーラップするような、"いい人"役の青年です。
この作品はこの板倉と時子の不倫映画なのです。
ところが濡れ場は全く有りません。
板倉の下宿から帰って来た時子の帯の柄が、出かけるときの逆になっているのに、タキが気付くことで暗喩されます。
板倉も時子も中学生の恋愛のようなピュアな雰囲気ばかりで、欲望が完璧に消去されています。
これは山田洋次監督の脚色でしょうが不自然です。
まあ、寅さんシリーズに濡れ場が無い(私の思い込みかもしれませんが....)のと同じ流れでしょうが、ただただ幼稚な印象を受けてしまいます。

ストーリーの展開としては、独身をつらぬき、年老いたタキ(倍賞千恵子)が自伝を書くという形式で、現在と過去を行き来します。
そういう技を駆使してもまだ、この作品にはコンテンツが不足しています。
これだけのコンテンツならば、テレビの1時間番組で十分でしょう。
130分を越える、間延びした作品でした。


蛇足

2014年02月04日 | 映画


一昨日は電気館で鑑定士と顔のない依頼人を観てきました。
イタリアを舞台にした映画ですが音声は英語でした。
あらかじめ警告しておきますが、今日のブログはネタバレです。

美術品の一流鑑定士でありますが、ハンマーを持ってオークションを取り仕切る第一人者としても有名な男が主役です。
男の名前はヴァージルといいますが、女性恐怖症で、人生で一人の女とも付き合った経験が有りません。
63歳で童貞という設定ですが、食事中でも手袋を外しません。彼が手袋をはずすのは絵画を触る時だけです。
豪邸に一人暮らしで、隠し部屋には犯罪スレスレでゲットした多数の女性肖像画を所有し、それらを眺めながらワインをたしなむのが唯一の楽しみです。

ある日、ヴァージルのもとに若い女性から両親が遺した家具や美術品を整理してオークションにかけてほしいとの電話依頼が入ります。
ヴァージルは女性が一人住むヴィラ(日本語で何というのでしょう?)に行きますが、待ち合わせをぶっちぎられてしまいます。
二度目の約束もぶっちぎられて、ヴァージルは切れるのですが、ヴィラに転がっていた機械仕掛けの人形の歯車に興味を抱きます。
実は若い女性(クレア)は27歳ですが、15歳のときに広所恐怖症になってしまい、以来、一歩もヴィラから出ずに隠遁生活を続けていたのです。
両親に長らく仕えた使用人でさえ、クレアの顔を一度も見たことが無いのです。
3度目にヴァージルがヴィラを訪れた時にはクレアとの会話が壁越しに成立しました。
ケレアはヴァージルもまた、自分と同じように精神を病んでいることを指摘します。

以後、互いに心を通わせながらも、二人の感情のもつれなどのドタバタが続くのですが、ついにクレアがヴァージルの前に姿を現します。
ヴァージルは足繁くクレアのもとに通うようになり、クレアも心を開いていきますが、外出だけは無理だと断言します。

そんな、ある雨の夜、訪ねてきたヴァージルがクレアのヴィラの門の前で、暴漢3人組に襲われます。
KOされたヴァージルは最後の力を振り絞ってクレアの携帯に電話します。
ヴィラの窓から門前に倒れているヴァージルを確認したクレアは広所恐怖症に打ち勝って飛び出します。
車を止めてヴァージルを病院に運び、ヴァージルは回復し、クレアもどうにか外出できるようになりました。

ヴァージルはクレアを自宅の隠し部屋にいざないます。
多数の女性の肖像画を見たクレアは、"こんなにもたくさんの女性と、あなたは付き合ってきたのね。"とヴァージルに言います。
ヴァージルはにっこりと微笑んで、"その通りだ。"と認めます。

素晴らしい恋愛映画だと思いました。

ところが映画はここで終わらずに、さらに20分くらいのエンディングが続きました。
このエンディングが蛇足以外の何物でもありませんでした。
ここだけはネタバレにしませんので、実際にご覧になって、腹を立てて下さい。



アラビアのロレンス

2013年11月11日 | 映画






昨夜はBS10が無料で洋画を流してくれましたので、上記作品を視聴しました。
1962年のイギリス映画で、最近では当たり前ですが、白黒映画がカラー映画に変換されています。
有名な作品で、昔から何度もテレビ放映されてきましたので、チョイ見をした経験は何度かありました。
しかし、3時間を超えるような長編映画ですので、通しで見たことはありませんでした。
昨夜は初めて3時間20分を通しで観たのですが、CMが入りませんので、ウィスキーをおかわりするにも、
トイレに行くにも不自由してしまいました。
アラブに派遣された英国軍中尉であるロレンスが、ジョンブル魂というのでしょうか、粘りと闘志でアラブ人達のために
戦い抜くというストーリーです。
昔の映画ですので、展開が遅くは感じられましたが、十分面白く、感動することができました。

主役は1932年生まれの英国人俳優であるピーター・オトゥールです。
この映画の撮影時には未だ20代後半であったはずですが、なんだか貫禄があって、しっかりしているので老けてみえました。
日本人ですと20代後半は、若くもないけど、大人の貫禄は未だ出せませんので、英国人の方が早く大人になるのでしょうか?
彼の主演映画で、私がこれまでに唯一観たことがあったのは、オードリー・ヘップバーンと共演した、”おしゃれ泥棒”です。



オードリー・ヘップバーンの大ファンである私にとって、この作品はお気に入りで、3回以上は観ています。
1966年の作品ですからピーターは33歳くらいでしょうか。
ハンサムな探偵役でしたが、身のこなしや佇まい、声や話し方のせいで、やはり老けてみえます。

考察してみますと、日本では年齢に関わらず若く見られたがる文化が定着しているような気がします。
戦前の文学では、30代の男は、一人前の大人として登場しますので、戦後のアメリカ文化の影響かも知れませんよね。

私は40代半ばまでは、自分のことを、”僕”と呼んでいました。
47歳で、”俺”にモデルチェンジして今に至っております。
夢は、何歳になるのかは分かりませんが、自分のことを、”儂(わし)”と呼ぶことのできる貫禄を身に付けることでしょうか....
津川雅彦のように、白髪で白髭をたくわえて、”儂が若い頃にはのう.....”などという日本語を使ってみたいものです。

31年目の夫婦げんか

2013年09月27日 | 映画



昨日は電気館で上記映画を観ました。
観客は私を含めてちょうど10人で、みごとに全員が中高年でした。
一組だけ女性二人組がいましたが、それ以外は単身での映画鑑賞で、夫婦やアベックは一組も居ませんでした。

メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズという大物俳優共演の作品です。
内容を一言で紹介するならば、”下ネタ絡みの中高年ラブコメ。”でしょうか。

子供達も成人して独立し、夫婦二人暮らしの家庭です。
5年前の腰痛症をきっかけに、別々の部屋で寝るようになり、セックスレスとなった夫婦です。
夫はまじめなサラリーマンですが、朝食は妻の顔も見ずに、新聞を読みながら摂ります。
帰宅しても、毎晩ゴルフのレッスン番組を観ながら、そのままソファーで眠りこけてしまいます。
家事を終えた妻は、眠りこけた夫を起こして、おやすみの挨拶をし、それぞれの部屋で寝ます。
会話もスキンシップも無い、単調な毎日の繰り返しです。

ある日、思い立った妻は、夫婦関係改善専門のカウンセラーに連絡をとり、4000ドルを先払いして
一週間の泊まり込み集中セミナーへの夫婦での参加を申し込みます。

セラピストは優秀で、二人に、若かった頃のエピソードを語らせ、毎日、エクササイズを課します。
エクササイズは、最初こそ、抱き合って寝るとか、お互いが相手の体をなぜるなどの軽いものだったのですが、
次第にエスカレートしていきます。
このどぎつい課題にどぎまぎしてバタバタする二人のおかしさがこのコメディーの最大の見せ場でしょう。

この夫婦は、とりわけ旦那は、とても日本人的で、私達がイメージするアメリカ人とはチョット違います。
性に対して羞恥心が強く、アブノーマルな行為などは考えおよばないタイプです。

結局セミナーの終盤で、夫は豪華なディナーとスウィートルームを用意してセックスに成功したかに見えたのですが、
問題が発生します。
途中で妻が、”私を見て!”と叫ぶのです。
伏線として、セミナーの中盤で、カウンセラーに夫のセックスの不満な点を尋ねられた妻は、
”いつも目をつぶってセックスをしていた。私を見ていなかった。”とこぼしていたのです。
で、妻を見た夫だったのですが、萎えてしまったのです。

失意の内にセミナーを終えて帰宅した二人でした。
夫はセミナー以前の関係に戻ることを提案しますが、妻は、”自信が無い。元に戻れるかどうかわからない。”と
不幸で悲観的です。
ついには、二人で寂しく暮らすよりも、一人で寂しく暮らす方が寂しさは少ないと考えた妻は家を出ることを決意します。
そんな状態で、ある夜、夫は唐突に妻のベッドに入ってきます。
そして、セックスがうまくいってハッピーエンドとなるのです。
しかし、私には、何故、この時のセックスがうまくいったのか理解出来ませんでした。

シナリオに致命的な欠陥があると思います。
お薦め度は30%くらいでしょうか。
カップルでは無く、一人で観賞した方が身のため?な作品かも知れません。

夏の終わり

2013年09月01日 | 映画




昨日は電気館で、”夏の終り”を観賞しました。
瀬戸内寂聴の自伝的な小説を映画化した作品です。

ネタバレが映画鑑賞の妨げになるどころか、かえって参考となるような作品ですので、内容をアップします。

1922年生まれの瀬戸内晴美は東京女子大在学中の20歳くらいで学生結婚をします。
戦時中は夫の赴任先である北京で娘を出産し、そこで終戦を迎えます。
1946年に内地に引き揚げて来ますが、夫の教え子である3歳年下の青年涼太と恋に落ちてしまいます。
まあ、単なる尻軽女ですよね。
そして1948年、晴美が26歳の時に、娘を残して駆け落ちします。
これも、単なる自分勝手な女ですよね。
この青年が涼太でしたが、夫の予言通り、半年で彼との仲も終わってしまいます。
その後、晴美は京都で一人暮らしの中、少女雑誌などへの投稿を始めます。
1950年に正式に離婚が決定した晴美は上京して作家への道を歩み始めます。

東京の作家や、作家志望者の集まりで知り合ったのが、売れない作家であった慎吾でした。
晴美が30歳、慎吾が40歳の時です。
慎吾は妻子がある身でしたが、自宅と晴美の住まいを行き来します。
慎吾の妻も黙認するような形で、ズルズルと8年が経過します。
当時は妾を持つのが当たり前のような時代でしたが、作家として売れない慎吾に経済力があるはずもなく、
晴美は染色の技術で生計を立てていきます。
慎吾は甲斐性無しですが、自分の妻にも、晴美にも優しく接して、両者から愛されます。
甲斐性無しなのに愛される男の人間性って最高なのかもしれませんよね。
晴美も慎吾の離婚など全く望まずに満足した生活を続けます。

そこに、以前別れた涼太が尾羽根を打ち枯らしたような風体で登場するところから、この映画は始まります。
で、結局晴美は慎吾と涼太を二股にかけた生活を続けます。
またまた、尻軽で淫乱な本性を発揮していますよね。
涼太とも付き合っていることを晴美は打ち明けますが、慎吾の態度は変わりません。
しかし晴美は、人生で言うならば、夏のような季節が終わりを告げようとしていることを予感します。

当時38歳だったはずの晴美を27歳の満島ひかりが演じ、10歳年上であったはずの慎吾を61歳の小林薫が演じています。
なんだか、援助交際のような年齢差ですので、オリジナルな雰囲気とはかけ離れていそうな気がします。
それに、3歳年下のはずの涼太役が31歳の綾野剛ですので、ますますオリジナルな設定とはズレを生じています。

そして、気になったのは、まあ、昔の映画は、皆そうなのかも知れませんが、私に言わせると、”喫煙シネマ”だということです。
作中、何十回も喫煙シーンが流されます。
この映画は喫煙シーン無しでは成立しなかったでしょう。

面白くもなんともない映画ですので、お薦め度は30%くらいです。
ただ、私的には、主役の満島ひかりがメチャクチャいい女でしたので、元は取れたように思えます。

印象的なシーンは、慎吾と別れるように要求してきた涼太に、”彼を愛しているから嫌だ。”と応えた晴美が
”じゃあ、何故、俺と付き合うんだ?”と追求されて答えるシーンです。
”言わせるの?、私に、どうしても言わせるの?.....それは....憐憫よ!”

宮崎駿

2013年07月29日 | 映画


土曜日に、”風立ちぬ”を観てきました。
まあ面白かったのですが、私が好きな、ナウシカ、ラピュタ、紅の豚にはおよびません。
考えてみれば、ジブリ作品は、ヒロインのボーイッシュで喜怒哀楽に富むキャラを魅力として成り立っていたように思えます。
アルプスの少女で言えばハイジのようなキャラです。
一方、堀辰雄のヒロインはクララ系のキャラです。アニメのヒロインとしては魅力が足りません。
主役の堀越二郎は完璧な、”いい人”です。
川端康成の伊豆の踊子の中で、踊り子の一座が主人公である一高生を誉める下りがあります。
たしか、”いい人って、やっぱりいいよね。”みたいなセリフだったように覚えています。(不確かです)
しかし最近は、小説でもドラマでも、完全な”いい人”はもてはやされません。

アニメの風立ちぬは、”いい人”と”クララ”の悲しい物語です。
もともとアニメの題材としては無理があったような気がします。

風立ちぬ

2013年07月12日 | 映画
7月20日に宮崎駿監督のアニメ、”風立ちぬ”が封切りになるそうです。

私は”堀辰雄”、”菜穂子”、”立原道造”などの名前で、懐かしい青春時代の、”胸キュン”をよみがえらせるような世代です。

”風立ちぬ、いざ生きめやも”はポール・ヴァレリーの詩、
”Le vent se leve,il faut tenter de vivre.(leveのアクサン・テギュを省略)"を訳したものだそうです。
適当に英訳してみると、
The wind has blown, let's try to live.
あるいは The wind has blown, I must try to live. でしょうか。
それを、さらに現代語に意訳すれば、
(過去からの)風が吹いたぞ、さあ、(困難だけれども)なんとか生きていこうぜ。というニュアンスだと思います。

久し振りに新作封切り映画を観に行くことになりそうです。