古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

生の演奏は凄かったです。

2013年05月11日 04時39分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2007年1月、田舎暮らし2ヶ月目の我が家と裏の竹薮です。やっとウッドデッキができ、電動オーニングをまだつけてなくて、裏の竹薮も家に迫ったままです。そんな田舎暮らしがこの5月で7年半になりました。
「アッ!」という間に10年になりそうです。
 きのうはPACオーケストラの定期演奏会で西宮芸文センターへ。母はショートステイに行ってるので、夕方急いで帰る必要はありません。長年暮らして勝手をよく知ってる名谷に車を置き、地下鉄・阪急で行きました。この行き方の「気楽さ」になれたら、車で西宮芸文センターまで行く意欲が出なくなりました。
 中国道の西宮北インターから船坂のトンネルを抜け、鷲林寺から夙川に出て山手幹線を走る。芸文センターからの帰りは、雨降りの夕方の混雑する道。そんな場面を想像するだけで気力が失せます。加齢というのは体だけに起こることでなく、心にも起こる。「なにクソ!」と頑張るのでなく、自分の体と心に起こる現象を素直に受け入れる。そんな生き方が好きです。
 ところできのうのプログラムは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』。おそらくこの曲の冒頭の壮大な『ファンファーレ』を知らない人はいないでしょう。映画『2001年宇宙の旅』で使われ、あまりに有名になってしまいました。たしかに一度聞いたら忘れられません。彼方の地平線から日が昇るイメージ。未知の巨大な物体がしずしずと姿を現すイメージ。
 100人を越す大編成のオーケストラが、だんだんと、だんだんと、ヴォリュームを上げる。そして全員が自分の出せる最大の音を出す。あの「凄さ」はCDやDVDのヴォリュームをいくら上げて聴いても実感できません。目の前の演奏はほんとに「凄かった」です。「日の出」のイメージなんて生やさしいものでないことを思い知りました。
 ファンファーレのあとの音楽は、CDで聴いたときは退屈しました。しかし、目の前のオーケストラで聴いたら、最期まで引き込まれてしまいました。プログラムに、指揮者・金聖響が「この曲は大編成で、なかなか振らせてもらえない。PACオケの英断に感謝しています」とコメントしていますが、生涯に一度「生演奏」が聴けたらそれだけで凄いと思いました。
 マティアス・ヘフスのトランペットでヴォルフ・ケルシェックの『トランペット・ダンス』。(2013年2月フランスで初演されました)この曲は「日本初演」だそうですが、「オーケストラの可能性ってまだまだ広がるんだ」と実感しました。
 音のシャワーをあびて気持ちよく帰ってきました。
コメント
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