文庫本『カイン』カバー裏の文より引用
ぼくはすごく不幸な少年・青年時代を送ってきた。
親や先生の「いい子」だったぼくは「自殺してならない」と自分に言い聞かせ、
強く生きようと決意し、長い間、修行してきた。
そして30年間「なぜ生きるのか?」と悩んできた末に見出したのは、
「そのことを知るために生きるのだ」という回答だった。
自らの苦い経験を振りかえりながら、
いま不器用に生きるすべての読者に捧ぐ、「生き方」の訓練。
親や先生の「いい子」だったぼくは「自殺してならない」と自分に言い聞かせ、
強く生きようと決意し、長い間、修行してきた。
そして30年間「なぜ生きるのか?」と悩んできた末に見出したのは、
「そのことを知るために生きるのだ」という回答だった。
自らの苦い経験を振りかえりながら、
いま不器用に生きるすべての読者に捧ぐ、「生き方」の訓練。
生きていること意味がある
「・・・・生きていることだ。どんなに苦しくても生きていることなんだ。
それだけでもう立派なことなんだ」(中島義道『カイン』新潮文庫 26頁)
「たったこのまえ生れてきて、たちまち死んでしまうこのぼくという存在は何なのか」と
問いを求めつづけることそのことに価値がある。(前掲書27頁)
自殺しようとする少年、青年だけでなく高齢者においても
同じく、いま自殺してしまったらすべてが終わりになり、存在そのものがなくなる。
寝たきりになり、すべて誰かの手を借りなければ生きていいけない老人
妻(夫)の名前だけでなく自分の名前さえ忘れ記憶が何も残っていない老人
それでも生きていることに意味がある
人は他人の不幸を「喜び」
他人の幸福を「嫉む」
そんなやっかいな心が存在する
「他人の幸せ」は素直に喜び
「他人の不幸」は同苦として受けとめ悲しむ