老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

971 生きていることに意味がある

2019-02-24 07:02:23 | 読む 聞く 見る
文庫本『カイン』カバー裏の文より引用

ぼくはすごく不幸な少年・青年時代を送ってきた。
親や先生の「いい子」だったぼくは「自殺してならない」と自分に言い聞かせ、
強く生きようと決意し、長い間、修行してきた。
そして30年間「なぜ生きるのか?」と悩んできた末に見出したのは、
「そのことを知るために生きるのだ」という回答だった。
自らの苦い経験を振りかえりながら、
いま不器用に生きるすべての読者に捧ぐ、「生き方」の訓練。


生きていること意味がある 

「・・・・生きていることだ。どんなに苦しくても生きていることなんだ。
それだけでもう立派なことなんだ」
(中島義道『カイン』新潮文庫 26頁)

「たったこのまえ生れてきて、たちまち死んでしまうこのぼくという存在は何なのか」と
問いを求めつづけることそのことに価値がある
。(前掲書27頁)


自殺しようとする少年、青年だけでなく高齢者においても
同じく、いま自殺してしまったらすべてが終わりになり、存在そのものがなくなる。

寝たきりになり、すべて誰かの手を借りなければ生きていいけない老人
妻(夫)の名前だけでなく自分の名前さえ忘れ記憶が何も残っていない老人
それでも生きていることに意味がある

人は他人の不幸を「喜び」
他人の幸福を「嫉む」
そんなやっかいな心が存在する

「他人の幸せ」は素直に喜び
「他人の不幸」は同苦として受けとめ悲しむ











970 歩けなくなった老人の行く先は・・・・

2019-02-24 06:15:56 | 老いの光影 第4章
在宅訪問途中 車から降り 青い空と白い雲と那須連山を眺める


歩けなくなった老人の行く先は・・・

老いた夫は
デイサービスに行かない日は
ベッドで寝ていることが多い老妻に
「歩けなくなったら老人ホームに入れるぞ」と
シワガレタ声で話す

小学校の教師をしている長男も
同じく
老いた母に
「歩けなくなったら老人ホーム行きだ」と
怒鳴り声で話す

70歳を越えた長男
「歩けなくなり自分のことができなくなったら老人ホームだぞ」と
同じく脅迫めいた言葉で話す


「歩けなくなったら」
自宅で暮らすことはできず
老人ホーム(特別養護老人ホームを指す)行き

そう話す男たちも
この先
歩けなくなったら
老人ホームに行くのであろうか
行かされるのであろうか

歩けなくなっても
人間捨てたものじゃない
たしかに歩けないことは「不自由」だが
心まで歩けなくさせるような
言葉は浴びせては欲しくない

心は自由
駆けたり空を飛ぶこともできる