老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

昭和の風景を楽しむ

2022-01-15 07:42:30 | 阿呆者
1775 昭和の風景に戻る



昨日は疲れ
鳥の唐揚げをつまみにビールを飲み
夕食後の薬を服用し寝た
時計を見たら18時半過ぎだった

一昨日の夜は
妹夫婦と町内の人とで
焼き鳥に行った

レトロな焼き鳥屋で
右側から書いた文字のポスターが貼られていた
エアコンの風で季節外れの風鈴の音も良かった



それで三畳の部屋に炬燵
天井は裸電球
昭和を思い出した





望 郷

2022-01-13 09:08:24 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1774 望 郷



古い一枚の写真は
昨年の5月に妹からもらった生まれ故郷の写真

自分は、中学生の頃
自宅近くの田圃から撮ったもの

ニセコアンヌプリが大きく映り
冬景色
雪は2m以上も積もっている

春に白い花を咲かせるこぶしの樹が並んでいる
たてよこに棒が組まれてあるのは
刈り取られた稲穂をかけていたもの

生家はなくなり
帰る処がなくなった

老いてくると
捨てたわけではないけれども
故郷を懐かしく思う

できるものなら
老いの最後はニセコ連邦や羊蹄山(蝦夷富士)を
臨みながらゆっくりと時間(とき)を過ごしたいものだ

灰色の空

2022-01-12 07:41:32 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1773 灰色の空



4時半前に起き窓を開けたれ
今日も雪が降っていた

雪が降る前の空も
雪が降っているときの空は
灰色でどんよりとしている
鉛色にも映る

白銀の光景は好きだが
上を見上げたとき
灰色の空は気持ちが鬱ぐ

雪が降り止み
晴れたときの空は
爽快な気持ちになる

満月に照らされた雪は
ダイヤモンドのように光り輝く

白雪は
真白な気持ちにさせてくれる

吾亦紅(われもこう)

2022-01-11 16:54:00 | 歌は世につれ・・・・
1772吾亦紅


『吾亦紅』
歌:すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也
作曲:杉本眞人

マッチを擦れば おろしが吹いて
線香がやけに つき難(にく)い
さらさら揺れる 吾亦紅
ふと あなたの 吐息のようで...
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり逢いに来た
ただ あなたに 謝りたくて

小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった...
それでも母を 生き切った
俺、あなたが 羨ましいよ...
今はいとこが 住んでる家に
昔みたいに 灯りがともる
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みて行く やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ

親のことなど 気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけど
あなたに あなたに 戚張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ
そう、はじめて 自分を生きる

あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺、死ぬまで あなたの子供...


暗い曲だが自分は好き
『吾亦紅』を聴くと
亡くなった母親を思い出す
親不孝な自分だった

盆の休みに何度帰ったことであろうか
「仕事に名を借り」てしまい ご無沙汰していた

母も同じく小さな町の農家に嫁ぎ
大樹のように何処にも行かず
その地で「生き切った」母

自分の意志を貫きやり遂げることができなかった
「恥じない自分を生き」たかどうか

いつの間にか老い白髪が混じり始めた自分
last chance の思いで賭ける仕事に
本当に生きたという実感を求めていきたい


「来月で俺 離婚するんだよ」
そのことが唯一母に「威張ってみたい」、と歌っている
どういう意味なのであろうか

「生き切った母」に対し 
仕事がうまくいかず成し遂げることができなかった不甲斐ない自分
母は何処にも行かず(離婚せず)
小さな町に嫁いでいから ずっとそこで生き抜いてきた

母は離婚せず子のために生きてきた
自分は離婚でき、「はじめて自分を生きる」ことができた
だから、そのことだけは母に威張ってみたい



死ぬまで自分のことを見守って欲しい、と思いながらも
母は墓のなかに眠る
揺れる吾亦紅の傍で
だめな自分であるけれども 
本当に母の子であったことに
誇りに思う

生きているうちに
親孝行すべきだった、と後悔する
“いつまでもあると思うな親と金”
本当にそう思う





瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』文春文庫

2022-01-11 04:22:22 | 読む 聞く 見る
1771 どこかにいてくれるのと、どこにもいないのと・・・・


※画像を回転できない不具合が生じているため、「たて」に編集できません。

その後、私の家族は何度か変わり、
父や母親でいた人とも別れてきた。
けれど、亡くなっているのは実の母親だけだ。
一緒に暮らさなくなった人と、会うことはない。

でも、どこかにいてくれるのと、どこにもいないのとでは、
まるで違う。
血がつながっていようがいまいが、
自分の家族を、そばにいてくれた人を、
亡くすのは何より悲しいことだ。
(44頁)

遠く離れた故郷には老いた親が暮らしている。
ここ数年故郷にも帰ってはいないけれど、
老親は自分のことよりも都会で暮らす息子(娘)を心配している。

昨日まで一緒に住んでいたが、
突然の病気で亡くなった老母。
「そばにいてくれた人」が、いない。
笑い合うことも話すこともできない、
もうあなたはいない、「何よりも悲しい」ことだ。




風景

2022-01-10 09:06:16 | 老いびとの聲
1770 冬の風景



自然の風景は
最高の絵画であり
心を癒やしてくれる

その一枚の風景は
二度と眼にすることはできない

雪景色を見ると
冬の季節を感じる

阿武隈川から冷たい風が吹き上げてくる
那須連山は陽に照らされ
その色は何色と表現したらいいのか




「老人」という言葉にこだわる

2022-01-09 06:09:28 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1769 「老人」という言葉にこだわりたい



自分的(個人的)には「高齢者」という言葉より
「老人」という言葉の方がしっくりくる。
平成元年前後あたりから
役所のなかでも「老人」に代わり「高齢者」の言葉が使用されるようになった。

高齢者という言葉は、なんだかよそ行きの衣服を着せられたような感じで落ち着かない。
老人という響きはイメージが悪く、「まだ、老人と呼ばれるたくない」、ということで
当たり障りのない高齢者に代わったのではないか。

「老」という漢字の意味を調べたら
年寄り、老人、ふける、おいる、(仕事を)辞めた人、経験を積んだ人、と記されてあった。
「老」は象形文字で、腰わ曲げて杖をつく老人の象形から
としより、老人という意味の「老」という漢字ができた。

老いても病気ひとつ無く、元気な人もおられる。
老い齢(とし)を嵩ねて(重ねて)ゆくと
病が増え腰は曲がり、痛くなる
足は上がらなくなり、躓くようになり、杖をついて歩く姿は
老人である。

老人という言葉が気に入らなければ
「老いびと」の方が響きもよく丸みを帯びた表現になるかな。

自分は、古臭く、偏屈で狭隘な思考しかできないせいか
もっぱら「老人」あるいは、「老い人(老いびと)」と書いている


三枚の100円硬貨

2022-01-08 11:46:34 | 阿呆者
1768 三枚の100円硬貨


昨日西会津街道で野鹿の親子に会った

ドライブを兼ね鬼怒川温泉駅前にある
バウムクーヘン工房はちやに行ってきた
はちやバウムの味が至福のひとときをつくってくれる

冬の五十里湖をすぎ
トンネルをくぐると
湯西川温泉でお湯につかった。

Snoopyの絵が描かれている小銭入れを見たら
300円が入っていた

ふと頭の中は妄想が広がった
今日から300円を
毎日貯金箱に入れよう
令和4年の大晦日には107700円貯まる

その貯まったお金を何に使うかは
思案中にある

問題は続くかどうか
妄想に終わるかどうか


必ず春を迎える

2022-01-07 06:32:55 | 老いびとの聲
1767 必ず春を迎える

 
                    さくらさくらに会えたよ

那須連山は真っ白
阿武隈川は冷え込み
そこに住む自分は寒さで躰が縮む

自然は、春夏秋冬、四季の移ろいや彩の変化を
日常生活のなかにもたらしてくれる

季節の移り変わりは
人間の心に希望をもたらしたり
癒してくれたりもする

北国は、いま厳しい冬にあるけれど
必ず春を迎える

冬は凍えるような寒さや吹雪にあっても
木々は芽をふくまらせながら
じっと春の訪れを待つと同じように
老いびともそうして春を待ち焦がれる。

生きることを諦め
希望なくした老いびとは
会えないと思っていた
さくらさくらに会えたことで
冬を乗り越え生きられてきたことに
「ありがとう」と呟く

介護というひとつ一つの積み重ねのなかで
老人の心に「春」をどうもたらしていくか
そこに老人介護の本質があるように思えてくる





「ぽっくり死にたい」

2022-01-06 09:04:19 | 老いびとの聲
1766 「ぽっくり死にたい」


  111歳の誕生日を迎えることができた。108歳まで60分余り散歩をされていた。末の孫娘に看取られた。

よく老人は「ぽっくり死にたい」と口にする。
「ぽっくり死にたい」、それは一面では老人のねがいにも聞こえる。
ねたきりや「痴ほう(認知症)」だけにはなりたくないから
「ぽっくり死にたい」。
子どもに迷惑をけけたくない。
それが老人のねがいだとしたら、
寂しい気がしてならない。

いまや人生百歳の時代にむかい、脳卒中や認知症を患い
不自由さを抱えながら生きらえている老い人たち。

「いま何を考えているのか」
「死にたいと思いながらいきているのか」
「生きる望み(希望)をもっているのか」
「何を悩んでいるのか」
「何に戸惑っているのか」
「何を欲しているのか」

そうした老人の思いに対して
何ができるのか。

「忙しい、時間がない」と口にしがちだが
時間がないのは、病み思うようにうごくことができない老人たちである。

時間と幸福は
誰かが与えてくれるものではない。
自らつくっていく以外にない、と思いながらも
日々時間に流されてしまう自分がいる。

生きていてよかった
世話を受けた身だったけれど
また人間に生まれたい
そう思いながら最期の瞬間を迎えたい。

何ができるか
落ち穂を拾うように
老い人たちの聲を拾うことから
介護相談が始まる。

惚けるまで仕事をする・・・・

2022-01-05 17:26:12 | 老いびとの聲
1765 今年もケアマネジャーを続ける



年金受給額が少なく
健康で最低限度の生活ができないため
(文化的な生活までいかない)
まだ、働かねばならない我が躰

2000年から介護保険制度がスタートし
そのときにケアマネジャーを始めた

惚けるまでというか
自分自身「物忘れ」が出始め
在宅訪問の日時を忘れるようになったときは
「引退」したいと思う

いま何もせずにいたら
惚けてしまうのでは・・・
あと10年やりきったとき
(病気に負けず 気持ちにめげず)
隠居し、旅に出たいとう思う
(死の旅は、ず~と先にしたい)

老い方・死に方

2022-01-05 09:36:41 | 老いびとの聲
1764 老い方・死に方

正月早々 二日連続で休筆となってしまった



「死」をどこで
誰に見守れながら
「死」を迎えるのか
人生の最期における大きな問題である

誰もが家族(ひと)の温もりを欲している
どういう死に方を望んでいるのか
それは
どういう老い方をしていきたいか
を意味している

知力 体力 労力

2022-01-02 18:09:28 | 老いびとの聲
1763 二宮金次郎像




大晦日から正月三日まで
wifeの実家先 筑波山が見える地に帰省した。
昨日、beagle元気とwifeとで
wifeが卒業した小学校の校庭を「徘徊」した。

懐かしい人に出会えた。
二宮金次郎さん
薪を背負い歩きながら本を読んでいる
勤勉と倹約の象徴として昭和の時代は
田舎の小学校には二宮金次郎像があった。

「力」という言葉が流行した時があった。
「消臭力」という消臭剤が売られており
老臭がする、と言われ スプレーで消臭力をかけられる親父

話がずれてしまいました
二宮金次郎は
薪を背負い歩きながら本を読む姿は
知力と体力と労力を同時に実践されている
凄い、のひと言です。

いまの子どもたちは
歩きながらスマホを手にしているのかな

生きているだけで

2022-01-02 12:59:01 | 自分は何者か
1762 我思う故に我在り

デカルトの言葉を ふと、思い出した。
老いた躰となっても
自分はまだ生きている。

生きているだけで
生きている意味がある人もいる。
自分は、ただ生きて来ただけで在り
生きてきた、という実感がまだない。

八歳九ヶ月を数日で迎える我家の長男
beagle元気は
顔全体白さが増え始め
耳の淵は白くなってきた。

日々、良く食べ、良く寝ている。
元気にも悩みが在るのだろう
時々後ろ足で首の下を掻きピンク色が見え隠れする。

元気は居るだけで癒され
家族の一員である。
暗くなり、仕事を終え玄関ドアを開けたとき
元気は嬉しさのあまり跳び上がり、甘えて来る。

あなた傍に居るだけでで
癒される。
あなたが私の愚痴を聴いてくれるだけで
元気な気持ちになる。

生きているだけで
意味の在る老い人になりたい。
老い人になっても
老けず若いい気持ちでいたい。

前科者 涌井 学 小学館文庫

2022-01-01 15:53:55 | 読む 聞く 見る
1761 隣に人がいるだけで 幸せ



殺人をした加害者も
殺された被害者も
同じ人間なんだ、と叫ぶ
保護司 阿川佳代

記憶に新しい
大阪ビル放火で25人が尊い命を失った
放火殺人した加害者は
同じ人間なんだ、と思うことは
どうしてもできない

人を殺める
許されるべき罪ではないが
様々な動機や予期せぬ運命に翻弄され
罪を犯してしまう

殺人を犯した工藤誠には
「迎えてくれる家」がなかった。
「悩みを打ち明ける相手もいなかった。悩みを打ち明ける相手もいなかった。
一人でずっと苦しみ続けてきた。耐えて、耐えて、ある日耐え切れなくなって、
その途端に犯罪者になった。」(148ページ)

刑期を終え社会に復帰しても
前科者は何処にも居場所がなく、生きづらい。
佳代は工藤誠に話しかける。

「人は、人といっしょにいないと生きられないからです。
人と人でつながるのが人間だからです。・・・人といる時だけ、
ああ、私は生きている。生きていいんだって思えたんです」(206ページ)

老人の世界においても同じことが言える。
子ども夫婦と同居されても
疎まれたり嫌がられている老人は
居場所がない。

他者(家族)の手を借りなければ生きていけなくなったとき
「自分がなぜ生きているのか悩み続け」(208ページ)
自分の生きる理由みつけられなくて」(208ページ)
生きることをあきらめてしまう。

最期のとき
隣に誰かいて 手を握ってくれるだけで
幸せな気持ちで逝くことができます