スノーフレーク
最も逢いたかった同級生の北原は、電話機の向こうの奥様から、昨年9月に死んだと知らされ一瞬絶句した。20数年にわたり人工透析を受けた闘病の末、最愛の妻を一人残して旅立ったという。
「私が言うのもおかしいですが、前向きな立派な人でした」奥様はそういって言葉を詰まらせた。
心許した友北原とは、卒業後の荒波の中でいつか疎遠となり、気が付けば半世紀後の今日に至っている。
卒業後一度だけ東京に訪ねたことがある、細身の体に良く似合う私鉄の制服を着て目の前に颯爽と現れた。彼の後に続くと、私鉄、国鉄を問わず改札はすべてフーリーで通してくれた。
その日何を食べて、何を話したのか覚えていないが、いつか彼とのかっこよい再会が私の中である種の目標のように定着していった。
定時制閉課程記念事業に関わる中で、ようやく探し当てた電話の先は奥様であった。
これが五十年の重さなのだろう。
最も逢いたかった同級生の北原は、電話機の向こうの奥様から、昨年9月に死んだと知らされ一瞬絶句した。20数年にわたり人工透析を受けた闘病の末、最愛の妻を一人残して旅立ったという。
「私が言うのもおかしいですが、前向きな立派な人でした」奥様はそういって言葉を詰まらせた。
心許した友北原とは、卒業後の荒波の中でいつか疎遠となり、気が付けば半世紀後の今日に至っている。
卒業後一度だけ東京に訪ねたことがある、細身の体に良く似合う私鉄の制服を着て目の前に颯爽と現れた。彼の後に続くと、私鉄、国鉄を問わず改札はすべてフーリーで通してくれた。
その日何を食べて、何を話したのか覚えていないが、いつか彼とのかっこよい再会が私の中である種の目標のように定着していった。
定時制閉課程記念事業に関わる中で、ようやく探し当てた電話の先は奥様であった。
これが五十年の重さなのだろう。