月下美人
「5ミリの穴を5ミリの棒は通過できるか」
という疑問に対して答えは「ノー」である。
最近ほとんど使われなくなったけれどガラス製の注射器は、内径5ミリの外筒に対し、外径4.96ミリの内筒を使って液体を押し出していると聞いた。
この内外差0.04ミリをクリアランスという。
クリアランスという横文字には様々な意味が含まれているらしいけれど、ここではヒューマンな「ゆとり」という意味に固定したい。
近頃あらゆる面で、クリアランスを、より小さくすることを指向しているように思えて味気ない。
そして「ゆとり」を無駄と定義されることが公然となってきた。
工業製品ならともかく、日常の行動のすべてを、小さなクリアランスで縛ることが合理化であるならば、それは将来大きな不合理に変化することもありうるだろう。
「5ミリの穴を5ミリの棒は通過できるか」
という疑問に対して答えは「ノー」である。
最近ほとんど使われなくなったけれどガラス製の注射器は、内径5ミリの外筒に対し、外径4.96ミリの内筒を使って液体を押し出していると聞いた。
この内外差0.04ミリをクリアランスという。
クリアランスという横文字には様々な意味が含まれているらしいけれど、ここではヒューマンな「ゆとり」という意味に固定したい。
近頃あらゆる面で、クリアランスを、より小さくすることを指向しているように思えて味気ない。
そして「ゆとり」を無駄と定義されることが公然となってきた。
工業製品ならともかく、日常の行動のすべてを、小さなクリアランスで縛ることが合理化であるならば、それは将来大きな不合理に変化することもありうるだろう。
家の近くを通るローカルな送電線
すすき川には小さな4ツの水力発電所が作られている。
各発電施設から集められた合計2,640KWの電力は、この送電線を使って変電所に送られている。
中でも薄川第一発電所は、明治32年の竣工で、松本の町で風が吹いても消えないと評判を呼んだ白熱灯のエネルギー供給の源となった、由緒ある発電施設である。
電力専門家によると、電力は基本的に貯えができないから、発電された電気は、通常使うか捨てるかのどちらかになるという。
理由は、電力需要が減った時、瞬時に連動して発電量を減らすこと、およびその逆を行う仕組みが、さまざまな要因から電力安定供給上極めて困難なことに起因する。
というわけで折角発電しても、使われない電力は膨大な量になるらしい。
捨てられる運命にある深夜電力の有効利用は、地球環境保全に大きな力を発揮するに違いない。
すすき川には小さな4ツの水力発電所が作られている。
各発電施設から集められた合計2,640KWの電力は、この送電線を使って変電所に送られている。
中でも薄川第一発電所は、明治32年の竣工で、松本の町で風が吹いても消えないと評判を呼んだ白熱灯のエネルギー供給の源となった、由緒ある発電施設である。
電力専門家によると、電力は基本的に貯えができないから、発電された電気は、通常使うか捨てるかのどちらかになるという。
理由は、電力需要が減った時、瞬時に連動して発電量を減らすこと、およびその逆を行う仕組みが、さまざまな要因から電力安定供給上極めて困難なことに起因する。
というわけで折角発電しても、使われない電力は膨大な量になるらしい。
捨てられる運命にある深夜電力の有効利用は、地球環境保全に大きな力を発揮するに違いない。
送電線 信濃幹線
幕末のころ、母方の祖母は善光寺街道の宿場町刈谷原から、島立村字荒井へ
嫁いだ。
時代は移り大正末か昭和の初期、母の姉(伯母)が、荒井から刈谷原に嫁入りしている、その夫婦は従兄妹だったのかもしれない。
そのころ、荒井と刈谷原を隔てる刈谷原峠に、大きな鉄塔が立ち並び送電線工事が始まった。
鉄塔工事は山を越え、谷を渡り島立村のある松本平を縦断し、文明の息吹を伝えながらさらに南に延びていった。
嫁ぐ娘に対して母が言った「辛かったら帰っておいで、あの鉄塔に沿って山を越えればいいんだよ」
私は伯母から何度もそういう話を聞いた。
きっと伯母にも暗い峠を送電線に沿って走って帰りたいと思うことは何度もあったに違いない、だけれどその話は聞かなかった。
山を越え谷を渡る送電線をみると思いだすことである。
幕末のころ、母方の祖母は善光寺街道の宿場町刈谷原から、島立村字荒井へ
嫁いだ。
時代は移り大正末か昭和の初期、母の姉(伯母)が、荒井から刈谷原に嫁入りしている、その夫婦は従兄妹だったのかもしれない。
そのころ、荒井と刈谷原を隔てる刈谷原峠に、大きな鉄塔が立ち並び送電線工事が始まった。
鉄塔工事は山を越え、谷を渡り島立村のある松本平を縦断し、文明の息吹を伝えながらさらに南に延びていった。
嫁ぐ娘に対して母が言った「辛かったら帰っておいで、あの鉄塔に沿って山を越えればいいんだよ」
私は伯母から何度もそういう話を聞いた。
きっと伯母にも暗い峠を送電線に沿って走って帰りたいと思うことは何度もあったに違いない、だけれどその話は聞かなかった。
山を越え谷を渡る送電線をみると思いだすことである。