自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

葉裏に産付された正体不明の卵(まだまだまだ)

2015-03-10 | 昆虫

2月2日(月)。蛹が繭からぶら下がっていました。動いたために,下垂したのです。落下しないのは,尾端が繭に固定されているためです。からだ全体が黒くなると思っていたのですが,今のところ,そんな兆候は見えません。


写真を撮っていると,蛹がぐうっと動きました。ぶら下がった姿の方が観察しやすいので,このままにしておきます。


3月1日(日)。蛹には変化は現れていません。これとは別にもう1個体,幼虫がいます。その排泄場面を撮りました。食餌中に出すのをとらえました。尾脚をピクンと動かすので,「あっ,出る!」とわかります。10分やそこらで1回程度排泄するのかもしれません。

 
当たり前のことながら,緑色の葉を食べたら緑便が出るのがおもしろいぐらいの風景です。いかにも,体内をストレートに通過したといった感じ。

3月9日(月)。蛹の様子がかなり変わってきました。眼がはっきり褐色がかって見えます。

 
腹部の節が縮まって重なり,全体が引き締まって見えます。

 
体内時計が春の暖かさを感知して,羽化への道筋を着実に歩んでいるようです。 

 


「あげる」と「やる」と

2015-03-10 | 随想

ことばの使い方に少々こだわってみます。

「あげる」は「〇〇してあげる」というときに使うことば。「やる」は,同じく「〇〇してやる」という使い方をする際のことば。

『新明解国語辞典』では,「あげる」「やる」の項にはそれぞれ次の説明が付されています。

  • あげる……「やる」の謙譲(丁寧)語。教えてー・持ってー・さがしてー」
  • やる………相手に何らかの利益(恩恵)を与えるような行為をすることを表す。「読みたかったら貸してやろう/君にも教えてーよ」

『広辞苑』はこうです。

  • あげる……(本来は「与える」「やる」の相手を敬った言い方)物を渡す場合の丁寧表現。「君にー・げよう」
  • やる………同等以下の者のために労を執り,恩恵を与える意を表す。「読んでー・ろう」  

要するに,相手をどう意識しているか,年齢を含めた相手と位置関係がどう絡んでいるか,そうした条件を考慮したことばだといえそうです。

近頃のことばで,異常なまでの「あげる」表現にはいささか疑問を抱いている者として,「あげる」はやっぱり気になります。「ネコにご飯をあげる」「金魚に餌をあげる」……。園芸番組でも講師が「水をたっぷりあげて……」なんて,平気でいっています。どうも奇妙な感じがします。

「ことばは世に連れ,世はことばに連れ」です。世が人間の営みの総和として成り立っているのですから,営みの変化がことばに現れるのは避けられません。したがって,ことばの使い方がどうのこうのと,とやかくいい過ぎるのはよくないとは思っています。

そう自覚しつつも,今のところ,「メダカに餌をあげる」「草花に水をあげている」なんて敬虔なこころには,到底なれないでいます。わたしの周りは農家がいっぱい。その人たちの大多数は,溝から水田に水を入れるのを「イネに水をあげている」なんて,絶対に思っていないでしょう。近くに,複数農家で肉牛を飼育している牛舎があります。その人たちが「牛に餌をあげる」とおっしゃるのを聞いた例がありません。

ここで,2つの例を挙げます。

その一つめ。本年1月,近隣の小学校からPTA広報誌が届きました。その中に「学校長あいさつ」欄があって,読んでいて「ほほーっ!」とうれしくなったのが,この「やる」。二箇所ありますが,そのまま引用してご紹介します(太字)。

  • 子どもたちなりにこの様な事件を自分なりに捉えていますが,やはり,守ってやれるのは地域の大人です。
  • 子どもたちには,自分のことは自分で出来る,『自律』を教えてやる必要があります。

言語感覚の揺らぎは感じられません。ただ,違和感を覚える方もあるでしょうから,前者では「守れる」「守っていく」,後者では「教える」「教えていく」といい換えてもよいかと思います。

その二つめ。3月3日付けの全国紙朝刊第一面のコラムを見て,「ほほーっ!」と思わず声に出たのが下の部分(赤線)です。ことばを吟味し尽くした文体に,どっかりと綴られた「やれ」に断固とした常識と良識,それに見識を見たからなのです。お見事!

 


しかし,このことばに多少なりとも違和感を感じた人も当然あったはずです。「自分が書き手なら,ためらうな」と思われる人はたくさんいらっしゃったでしょう。実をいえば,わたしもその一人です。「『やる』って,雰囲気としては偉そうに構えたことばだなあ」「距離感を感じさせることばだなあ」という印象を確かに持ちます。それで,こういう場合の折り合いの付け方として,極力他にいい換えることばはないか探すことにしています。「一つめ」の例で書いたとおりです。

この例なら,「大人のアンテナはとらえられなかった」「大人のアンテナはとらえ切れなかった」でも文意は十分伝わります。

にもかかわらず,繰り返しますが,書き手の姿勢はことばの流れに身を任せず本来の用法をきちんと踏襲していこうとしています。まことにあっぱれです。