元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

ラーメン職人④支那そばや店主

2006年03月13日 | ラーメン総合研究所
店内には「私語厳禁」「香水をつけた方の入店お断り」
「子供の入店お断り」「ベビーカーお断り」
「携帯電話の使用禁止」などの張り紙があり、客に
ナタを振り上げ「ぶっ殺すぞ」と喧嘩をした事もあり
恐い店としてテレビや雑誌で評判の店になった。

「支那そばや」店主の佐野実さんが一般大衆間でも
有名になったのは人気テレビ番組「ガチンコラーメン道」
の鬼指南役としてレギュラー出演をしたのがきっかけです。

佐野さんの経営方針に文句を言う人も多いけれど、
佐野実さんのエッセイを読み、ラーメンにとことん
惚れ込んでいて自分のラーメンに自信を持っている人
だと分かった。

佐野さんは高校を出て洋食屋で27歳まで働いた。
独立を目指し頑張った結果、店長にまで登りつめた。

洋食屋ほど内装に凝らなくてもいいラーメン屋を開業。
客が少ない事は気にならなかったが、簡単だと舐めていた
ラーメン作りの難しさに苦戦した。最初は、洋食屋を開業
するまでの腰掛け営業気分だったけど、腕に自信があった
佐野のプライドをボロボロにしたラーメン作りの大変さ
に惹かれていった。いくら作っても満足が出来ないような
ラーメンしか作れず、妻に辛く当たっていた。

素材の質を超一流品に変える事によって、佐野さん自身が
満足出来る味に近づき、店を休み日本中の最高食材を探す
旅に出た。スープが一流品の集大成になったら、麺が気に
食わなくなり、石臼でひいた国産小麦で自家製麺にした。
製麺機の導入に1000万円を投資したが、満足がいく
麺が一向に作れず、毎日が麺との格闘だった。ラーメン
は何て難しい食べ物なんだと、不眠不休で、ラーメン作り
の練習を積んだ。血の滲むような努力で作ったラーメン
を乱雑に扱われている事に腹をたて、気に入らない客には
「帰れ」と言い追い出すようになっていった。

佐野さんは言う「作る方は死に物狂いでやってんるんだ。
客も死に物狂いで食え」。

当店では、お客様には仲間とかと雑談しながら当店で楽しい時間
を過ごしていただけるのが一番うれしいです。もし、満席で
誰も口をきかず黙々と食べているだけの店でしたら余計に
不気味ですね。

佐野さんの構想では、「支那そばや」の客層を洋食屋の
上品で味が分かる客がラーメンだけに集中して食べる店にした
かったらしいです。

軌道に載ってからは、のれん分け制度をはじめた。弟子から
教育料とし高額徴収をしておき、何も教えず、皿洗いばかりを
させる事に弟子からは文句が出て、弟子から金を取る事をやめた。

テレビ出演や店の忙しさから、夫婦関係はうまくいかず離婚。

離婚後はより一層ラーメンにのみ没頭し、今だ自らのラーメン
を向上させる為に日本中で食材を探し回っている。



ラーメン職人③麺屋武蔵店主

2006年03月13日 | ラーメン総合研究所
日本一の行列店と名高い「麺屋武蔵」の店主
山田雄さんは、時代の先読みのセンスに優れている。

1953年生まれで、19歳で洋品店に就職した。
27歳で独立し一気にセンスを活かし、年商27億円
の実業家になった。自社ブランドや多角経営に失敗し
多額の負債をかかえ倒産した。財務処理に2年を要し
返済が凍結され、一文なしながらも自由の身になれた。

山田さんの元に連日アパレル業界から誘いがあったが、
全て断り小さい料理屋をやりたい夢が芽生えてきた。

その料理屋の夢にアパレル時代の仲間が乗ってくれた。
その仲間が秋刀魚の煮干の話をしたのをキッカケに、
有りもしない秋刀魚の煮干を求めて山田は日本中を
巡った。ようやく宮城県の水産業者が特注で作って
くれる事になった。ダシをとり味見をしてみて、
ピンとラーメンになると閃き、ラーメン屋開業を
目指す。

スープ作りには1苦労も2苦労もあり、失敗の連続
だった。当時はもうメジャーだったダブル・スープ
の製法を山田さんは知らず、試作の繰り返しで
独自にダブル・スープ製法を発見した。

麺は山田さんの兄が経営しているラーメン屋から
紹介してもらった大栄食品に決めた。

そして1996年に、今の麺屋武蔵の原型になる店を
オープンした。

店は考え抜かれたコンセプトとデザインで、社員教育
も徹底し、美味しさ以外の部分にも気を配った。
開店当初は、営業時間帯により味が変わるというネック
もありお客さんは少なかった。そこで、常に加熱しつづ
ける製法を止め、冷やしたスープを注文時に再加熱する
製法にし、常に最良の味を提供できるようになった。

秋刀魚煮干、無化調、海老油がマスコミに受け、連日
取材を受けてどんどん知名度を高めていった。

1998年に新宿の一等地に移転し、大行列店へと
進化した。この1998年組には「くじら軒」「青葉」
もオープンし、ラーメンブームを一層加熱させる要因に
なった。

2000年からは、挑戦しつづける店をコンセプトに
期間限定メニューを常に出す店になった。

当店の「様式美麺」のコンセプトは「麺屋武蔵」の
挑戦に共感し、開店以来数多くの限定ラーメンを
作ってきました。

先日テレビであった「中村屋VS麺屋武蔵」の
「ラーメン巌流島」を見たかたは知っていると思い
ますが、従来のラーメンの枠にとらわれない全く
新しい次世代創作ラーメン対決でした。

あんな対決を見せ付けられると、創作意欲がフツフツ
と湧き上がってきます。