元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

1990年代のラーメン3(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
1994年に横浜ラーメン博物館が出来たのを
皮切りに全国にラーメンテーマパークが乱立し
ました。

数年前にTVでラーメンテーマパークがオープンするまでを
特集していました。観光地も無く、寂れた町を
盛り上げようと、自治体とビル管理会社が共同で
企画・運営をしていました。元オフィスビルだった、
空きビルの利用法とし、ラーメンテーマパークに着目
したらしいです。しかし、出店店舗は大手チェーン店
ばかりの寄せ集めで、あまり魅力が無いテーマパーク
になりました。オープン前に宣伝をしたものの、初日か
ら客足は悪く、出口調査では「また来たい」という人は
30%ぐらいだったらしいです。

その店は今はどうなったか知りませんが、全国に無数
に出来たラーメンテーマパークは、横浜ラーメン博物館
だけが150万人以上を集める大盛況ぶりで、閑散とし
ている所も多いです。地方のテーマパークは何処も
赤字経営なのと一緒で、ラーメンテーマパークも一時
的な集客に留まっています。

福岡の「ラーメンスタジアム」は結構健闘していますが、
久留米の「大砲」が一番人気を維持していています。
ラーメンフリークならともかく、一般の人はその地方に
根付いた味が一番好きという結果でしょう。

ラーメンテーマパークの不評ぶりを見ると、当店みたいに
地元に今まで無かった味を創作しているのも空回りぎみ
なのかもしれないです。ただ、今更普通の豚骨ラーメンを
作る気はありません。

1990年代のラーメン2(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
ラーメン業界は個人経営店の方が圧倒的に多い
ので、商標登録などがあいまいになっている場合
が多いです。

偶然的に同名の屋号になる場合もありますが、
意図的に同じ屋号で開店する店もあります。

人気店のネームバリューを利用する目的で、同じ
市内などに支店との誤解を与えかねないような
類似の外装でオープンする場合もあります。

酷いオーナーになると、後からオープンした店が
商標登録をし、前からその名前で営業している店
は屋号を差し押さえられ改名を強いられる場合も
あります。


1990年代のラーメン(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
無化調ブームが起こる。

健康ブームにより、食の安全に大衆が敏感になり
ラーメンと化学調味料のイメージを払拭すべく
無化調を公言する店が増えてきた。

無化調ブームのあおりを受け、化学調味料は悪の
イメージとして世間に広がっていった。

よって、エセ無化調店が増えてきた。
無化調が宣伝文句に成る事もあり、有化調で山ほど
ぶち込んでいるい店まで「無化調」を名乗るように
なってきた。実はラーメン界には「自家製麺」
「天然水使用」「無化調」の3点は嘘をついている
店も意外と多い。食材のうんちくを店内に貼りだした業務用
スープ使用店もある。
誤解しないでほしいけど、大半の店は本物だと思いますが、
嘘を公言してもまかり通ってる業界であるのも事実です。



1980年代のラーメン(裏歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
ラーメンブームが起こり、ラーメン店のマスコミ
露出が多くなる。

特にTVで紹介された店には長蛇の列が出来、寒さ
暑さを我慢し、時間を無駄に消費する行列そのもの
がイベント性を持ち、のちに友人らと話題にする
為の行列自体に魅力を感じる若者が増えた。

ラーメンフリークも、この頃からじわりじわりと
増えだし、全国ラーメン行脚をする者も出てきた。

ラーメンは地域に根付いた食べ物だけに、地方地方
により全く違う味の食べ物です。だから、観光地
巡りと同じく、その地方だけの味を探しに行きたい
魅力があるのでしょう。

この時期ぐらいから、ラーメン好きにはコッテリ派
アッサリ派と分かれ出す。

ラーメン屋の開業者にも変化が出てきて、脱サラ、
他のジャンルの料理人が転進、調理師学校新卒開業
などの新しい流れが、その後のラーメン界に新風を
吹き込んだ。

ラーメン店経営コンサルタントや、フランチャイズ
展開のラーメン店の普及により、未経験者が短期間
で開業を出来るようになる。

個人経営のラーメン店も次々とチェーン展開を始める
が、多くの名店が失敗し負債を抱え閉店する羽目になる。


80年代には化学調味料に変わる天然調味料とし、HAP
煮干エキス、昆布エキス、ホタテパウダー等が普及する。
昨今のラーメン界にとって天然調味料は欠かせないら
しいけど、唐津の食材業者にはそれらの取引経路が無い。

1970年代のラーメン(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
チェーン店向けに業務用簡易スープを開発して
いた業者が、個人経営店向けにも業務用簡易スープ
を製造、販売をはじめる。

儲ける事をひたすら考えているだけの店は、業務用
スープメーカーに仕様書で発注するか、既製品を
購入するようになる。

久留米ラーメン「大砲」の店主、香月さんも問題視
をされていて「全国に入浴剤を入れた温泉が次々と
出てきたように、見せ掛けだけは専門店の立派な
店構えで手抜きのインスタントスープのラーメン
屋が増えてきた。いずれは、全体のラーメン屋の
1%だけが手作りなんて時代もくるかもしれない」
と警鐘を鳴らしている。

業務用簡易ラーメンスープを開発している業者が
大企業に成長している所を見ると、多くのニーズ
があるんでしょうね。


1970年代ごろから動物性脂を多く入れたラーメン
が主流になっていく。

1960年代のラーメン(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
大正15年から化学調味料はありましたが、とても
高価だった為、高級料亭などで使用されていた。

日本屈指の高級料亭「吉兆」の創業者や、天皇陛下
の料理長「秋山徳蔵」さんは、化学調味料を高評価
していて「より美味しくなるのなら、微量を加えな
さい」と著書で紹介している。

1960年代に大手業者が化学調味料を開発した事
により低価格化を実現した。この頃から、ラーメン
とは密接な関係が出来上がる。過剰使用による、
化学調味料味のラーメンが全国に広がった。

化学調味料に頼りすぎたら料理性が低い物しか出来
ないけれど、ほんの微量だと味への影響を与えず、
やわらかい味になります。トゲトゲしさがあったら
少し加えてみると、同じ味でも口当たりが良くなります。

ちなみに当店では、ほぼ無化調といっていい程の極
微量です。ラーメン1杯あたり耳掻きの10分の1
以下です。ラーメン1杯に対し0.5グラム以上を使用
している店は化学調味料が味に影響を与えています。


この時代にラーメン界の黒い影とし、業務用簡易スープ
が出てきます。多くの出版物で公表されている事なので
ここで書いても支障は無いと思いますが、1961年
名古屋のラーメン店「すがきや」がインスタントラーメン
業者と共同開発で、ラーメン店用の粉末スープを開発し
ました。ラーメン作りで一番、労力と、材料費、高熱費
がかかるスープ作りを大幅にカット出来る方法が出来た。
味噌ラーメンのチェーン店「どさん子」は、このノウハウ
を活かし1965年から多店舗チェーン展開を始める。

1950年代のラーメン(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
この時代にラーメン界が大きく動いた。

それは1958年に世界初のインスタント
ラーメン「チキンラーメン」(日清食品)が開発
された事です。

1958年当時で35円と、決して安い物では無かった
けれど、瞬く間に大ヒットし、他の会社も次々と参入し
インスタントラーメン戦国時代へと突入していく。

その後の札幌味噌ラーメンブームは、「味の三平」の味を
真似た「サッポロ一番みそラーメン」のヒットが火付け役
になったと言われている。また、1980年代の博多豚骨
ラーメンブームも「ハウス食品うまかっちゃん」のヒット
のおかげです。

余談ですが、マルタイ棒ラーメンの味のヒントは、久留米
の丸星ラーメンです。開発をしていた研究員は、丸星ラーメン
に通いつめ、スープのサンプルを持ち帰り研究を重ねました。

1940年代のラーメン(裏の歴史)

2006年03月30日 | ラーメン総合研究所
ラーメンが一般大衆に普及しだしたのは終戦後です。

物資が少くなく、多くの人が腹を空かせていたらし
いです。当時は今のラーメン界とは違い、生きる為
に闇市でラーメンを出していた人が多かったです。

需要に対して供給が少ない時代なので、それなりの
物でも売れていました。ただ、麺の材料の小麦粉は
統制品だった為、闇ルートや闇バイヤーとの繋がり
が無い人は、デンプン、芋、を原料に麺を作っていた
らしいです。

今みたいに、作りたい味に合わせ材料を仕入れる
事も出来ない時代なので、クズ野菜、肉屋のゴミ(ガラ)
などのあり合わせを、2,3時間煮ただけのスープを
味噌だまり(醤油の代用品)などで味つけした物だった
らしいです。

当時はラーメン用の製麺所は少なかったので、手打ち
麺が多かったらしいです。自分で打ったり、同業者から
打ってもらったりしていたらしい。ただ、物資不足の為
かんすいの代用品とし、洗濯用の苛性ソーダーを使用し
ていたらしい。売れ残った麺は、こね直して使いまわし
たり、客が残したスープは笊で漉して使いまわしたり
が当たり前に行われていた。

当時は、甘いと、旨いが同意語だったらしく、ラーメンに
サッカリン等の甘味成分を入れていた店も多かったらしい。

この時代に闇市をやっていて、今も存続し名店と名高い店
が多くありますが、それらの店は時代に合わせ味の進化を
試みたからこそ、懐かしさはあれど古臭さは無いのだと
思います。

食料難、物資不足の時代と全く同じ製法、材料でやっていた
ら今でも存続しつづける事は不可能だと思います。貧しい
時代から飽食の時代に変わった日本は、客の舌も肥え
すいとん汁みたいなラーメンでは通用しなくなっています。
ラーメンに古き良き時代は無く、いまだに発展途上中の
食べ物です。ラーメンとは味の守りに入ったら終わりです。
日進月歩と発展し続けるラーメン道に終わりは無いです。