富士山すそ野ウォークも第16回となり、
いよいよ次回で最終となります。
途中で何度か止めようと思ったこともありますが、
よく続いたものだと思います。
今回は、標高900mの西湖北岸から標高835mの河口湖・八木崎公園
までの約8㎞を3時間かけて歩きました。
参加者は42名。
歩数はドアツードアで15857歩。
富士山は行きのバスの中から一度見えただけでした。
行程
西湖・いづみの湯(スタート)→文化洞トンネル→長浜→河口湖畔→
道の駅・かつやま→バスで山澄園(昼食)→バスで道の駅・かつやま
河口湖畔→富士御室浅間神社→八木崎公園(ゴール)
バスでふじやま温泉まで移動・入浴(3:05~4:10)
スタートの西湖・北岸(いづみの湯)は写真のGのあたり。
32度もある炎天下の中、道端の草花の写真を
撮る余裕もなく、ただひたすらにテクテク歩きました。
ゴールは河口湖と表示されている「口」の字の下の白く突き出て
いるあたり(八木崎公園先端)
西湖東岸
南には足和田山が見えます。
10年前の秋、夫と二人で、紅葉台~三湖台~足和田山(五湖台)
をハイキングしたことが思い出されます。
文化洞トンネル
西湖地区と河口湖畔の長浜の間にあります。
西湖、根場地区の中学生はこのトンネルが出来るまでは
山越えをして学校に通っていたそうです。
西湖と河口湖の標高差70mを利用して、
水路でつなぎ、水力発電をしているそうです。
西浜小学校と芝生の校庭
西浜中学校に隣接しています。
中学校には校庭がなく、小中学校共同で使っているようです。
付近では早くもコスモスが咲き始めていました。
河口湖湖畔を歩く
河口湖は富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、
最も低い標高地点(830m)にある。
面積は富士五湖では2番目の大きさで、
最大水深は精進湖と並び3番目 15.2m の深さ。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として
世界文化遺産に登録されている。
昼食
道の駅・かつやま付近から
水位計
上から昭和13年、昭和58年、昭和10年の洪水のときの湖面が示されている。
さくや愛の鐘
一度鳴らすと愛が結ばれ、二つ鳴らすと願いが叶うという。
田中冬二詩碑
勝山村に滞在した時の作品「スープ皿に浮んだ富士」が記されている。
「朝の食卓に近い窓いっぱいに富士 目近く見る
富士は意外に小さい
スープに浮かんだその富士をスプーンに掬う」
湖岸
釣り人
冨士御室浅間神社
699年(文武天皇3年)に藤原義忠によって富士山の二合目に
奉斎された、富士山最古の社で、
その後噴火による炎上や自然環境の厳しさから腐朽が激しく、
その度に皇室や有力な武将から再興されてきたが、
1974年に保存のために里宮であるこの地に遷祀されたそうです。
御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として
世界文化遺産に登録されている。
富士御室浅間神社裏参道
大鳥居と富士御室浅間神社表参道
立派な大鳥居です。
扁額には「里宮社」と書かれています。
髄神門
神使の撫牛
アチャ、自分の身体の悪いところを撫でるのを
忘れてしまいました。
百福の龍宝珠
祈ることですべての福が授かるそうです。
本宮
里宮
958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、
老松繁る現在の場所へ建立。
以来武田家、小山田家、徳川家からあつい信仰や手厚い庇護を受けて来た。
現在の建物は、明治22年に再建。
不老長寿の像
ゴールも間近
八木崎公園・ラベンダー
毎年6月から7月にハーブフェスティバルが
開催されています。今年は7月12日に終わり、
ラベンダーはすでに刈り込まれていました。
2012年7月のラベンダーの様子を
こちらでどうぞ→道志みちからラベンダーを見に河口湖へ
八木崎公園・花壇
八木崎公園・花壇
河口湖大橋(ズームで)
カチカチ山ロープウェイ(ズームで)
河口湖大橋の画像、右の山の上に微かに写っています。
太宰治は昭和13年、29才の時に御坂峠の天下茶屋に
滞在していましたが、この時の体験を基に
「富嶽百景」や「カチカチ山」を書きました。
カチカチ山ロープウェイはその「カチカチ山」の舞台となった
天上山の上る為のロープウェイです。
天下茶屋の記事はこちらでどうぞ→天下茶屋
カワウと聞いたので、ズームで写してみましたが、
カモのようです。