11月28日(日)、埼玉県飯能市にある能仁寺と天覧山・多峯主山、
吾妻峡を、紅葉を楽しみながら歩いてきました。
息子との電話で紅葉の綺麗なところがいいねと
前々から話していたのですが、時間が取れず、信州や山梨は
すでに紅葉シーズンが終わり、近場だったらと、候補に上がったのが
埼玉県飯能市の天覧山と伊豆の修善寺でした。
結局、何度も行ったことがある修善寺よりも
低山で無理なく歩ける天覧山が、年配者には良いだろうと
こちらに決定したわけですが、これが大正解でした。
能仁寺の紅葉は、残念ながら半分位終わっていましたが、
天覧山・多峯主山の紅葉はドンピシャ……。
急勾配は無くお散歩気分で歩け、素晴らしい展望も楽しめました。
家を7時半頃出て、圏央道経由で8時37分には
能仁寺の近くの飯能市民会館の駐車場に着きました。
能仁寺
能仁寺は天覧山の麓にある曹洞宗の寺院で山号は武陽山。
創建は、室町中期の文亀元年 (1501年)
当時この地を治めていた武将中山家勝が、名僧斧屋文達師を招いて
開いた禅道場が始まりといわれますが、
実際に寺院を建てたのは、家勝の息子の家範で、家勝の死後、
父の菩提を弔うために建設したとのことです。
その後は中山家と当時館林藩の家老職であった黒田家の菩提寺として栄え、
江戸時代には七堂伽藍が整い、末寺20、
雲水(諸国を修行して歩く僧)50人を抱える規模で栄えたそうです。
山門
山門の仁王像(左:阿形 右:吽形)
参道
山門を過ぎると、本堂に続く参道があり、
両側の石灯篭の後ろには、モミジや竹が植えられていましたが、
紅葉は殆ど終わっていました。
山門を振り返る
冠木門
山門からまっすぐ進むと冠木門、手前で左に曲がると中雀門。
中雀門
能仁寺本堂
幕末の戊辰戦争において、彰義隊脱退者で結成した振武隊が
能仁寺に本陣を置いたことから飯能戦争の舞台となり、
堂宇を焼失。1936(昭和11)年に再建された。
オブジェは「紅炎魂・コロナ」 彫刻家の絹谷幸太氏の作品。
どうか、コロナを終息させて下さいね。
こちらの前の住職・萩野映明氏は、大学卒業後、報知新聞社運動部に入社。
入社後5年間にわたり、読売巨人軍担当となり、
川上哲治氏・藤田元司氏・長嶋茂雄氏・王貞治氏らとの親交があったそうです。
2016年に逝去された時、葬儀に長嶋茂雄氏や原辰徳氏が駆けつけたとの
ニュースがテレビから流れていましたが、
お寺の名前は忘れていたものの、思わぬところで思い出しました。
開山堂
坐禅堂
鐘楼
大書院
不動堂
開運と厄除けの後利益があるそうです。
本堂の裏手には天覧山の傾斜を利用して造られた「池泉鑑賞蓬莱庭園」が
あったのだそうですが、気が付きませんでした。
四季折々の花が咲く、約1,000平方メートルの庭園で、日本の名園百選に
選ばれているそうです。
せっかく訪ねたのに、惜しいことをしました。
天覧山へ続く