8月11日から15日まで、島根県飯南町の実家に帰省しました。朝4時に出発。午後2時には、到着しました。2年ぶりの帰省です。
父と母は、昨年11月に金婚式のお祝いに犬山に招いたので、それ以来となりました。
私が生まれ育った故郷は、山陰の山奥。広島県と島根県の県境にある雪深い町です。クーラーがなくても十分過ごせるだけの自然がいっぱいの町です。過疎化が進み、住人のほとんどが老人。
帰るたびに、町の景色が違って見えます。それは、開発されたとかそういうことではなく、自分の心の変化だと思います。
町全体を覆っている山々を見ながら、「美しい」と感じ、私の中には、ここで生まれ育ったゆえに、大きな自然が宿っていると思いました。
幼いころに「大きな神社」と思っていた神社が小さく感られました。思い出が詰まった神社です。いじわるなおばさんと思っていた人が老いている姿に不思議な感覚を覚えました。
私には、意識ではリフレーミングできても、ぬぐいきれない否定的なイメージが常にこの故郷にあります。NLPを学び、ある時はセルフセッションをしながら、私は、常に根本にあるこの部分のリフレーミングをしたいと思っていたのかもしれません。
「ここでの育ちがあり、今の自分につながっている」
「人生に起きる出来事に無駄なものはないんだ」
NLPを学ぶことで、こう考えることができるパートも生まれました。それでも、出来事に自動反応しているパートが存在しています。それは、私の人間不信や自己否定感の始まりがここにあるという、深い部分に存在したままのフレームから抜け出せないでいるから。
私の視点は常に「この否定的だと思っている感情や見方をどうリフレーミングするのか」ということにありました。
しかし、今回気づいたことがあります。
それは、私の見方が、常に「この町で愛されなかった。この町での思い出はいやなことばかり」というフレームにいることです。このフレームの中にいるままで「否定的な感情」だけをリフレーミングしようとしている自分に気づきました。
あっ!と自分自身に「メタモデル」の質問が浮かびました。
「あなたが、この町で、愛されなかった。愛された思い出がない、と思っているのは、真実ですか?」
愛された思い出に、アクセスしにくくなっている(したくない)自分がいるだけではないか?
すばらしい学びがたくさんたくさんあったことにアクセスするのを拒否し、被害者である自分につなげたかった自分がいるのではないか?
意識では、まだまだどうしようもない深いものに私は引きずられます。
島根で過ごした時間より愛知で過ごす時間が長くなりました。それなのに、私の原風景であるこの町での出来事が、私という人間の生成にいかに大きな影響を与えているか思い知らされるばかりです。
私と母の間でのやりとりが、私と娘の間で 同じように繰り返された時、娘と笑いました。
「この流れ、どっかで止めなあかんわ」
無意識に振り回される限り、私たちは、同じことを繰り返します。流れを変えたい。 その出発点は、自分。
「この町で、私は愛されなかった」という、そのフレームから脱出することが、その始まりだと、やっと気付始めている自分がいます。
最新の画像[もっと見る]
姫先生も島根の出身なんですね。
吃驚しました。
私は出雲の出身です。
私も故郷や自分の幼少期には、何かしたざらっとしたものがあり、
高校を終えると、ともかくここから出たいと思って東京に来ました。
それから東京での人生の方が、ず~んと長くなってしまいましたけれど、
最近、そうなふるさとに目が向いたり、
いろいろなワークや出会いのなかで、
以前未完了の自分と向き合ったりするようになりました。
何か流れを変えなければならないのか?
それとも、何か未完了なものと対峙しておかなければならないのか?
今は後者の時期に入ってきているように思う、毎日です。
姫先生のブログで、
また少しふるさとのことを思い出しました。
そして、同じようにふるさとを後にしている弟から久しぶりにメールが来たのも、何か意味あることなのかもしれないですね。
私も久しぶりにふるさとへ、帰ってみようかな~と思います。
うら凛
今回のブログを読んで、思わずお返事してしまいました。
「この町で私は愛されなかった」「私と娘の間で・・」繰り返されること。
世代間の伝達、繰り返されること、根が深く、本当に自分自身の振り返りです。
私もこの歳になり(たぶん姫先生と同じくらい?)、たくさんのことが重なって起こり、
それでも「起こる事はすべてよし!」と言い聞かせ、受け止めてきたつもりですが、
哀しみやつらさを無意識に深いところにしまっていたことに気づきます。
でも、養護教諭として数十年沢山の子供と出会い支えられ今の私があるのですから感謝しなくちゃね。
ただ、最近周りにあまりにもしんどいことを背負っている子ども達が多く、
姫先生のようにすっと元気な方向に導ける力、器があればなあといつも思います。
一度、研修会に参加してみたいと思っていますのでまたご紹介ください。