2007年が終わります。
とても大きなものを見つけた1年でした。
昨年の苦しみは、この喜びの心のためにあったのかなと思います。
自分の中に、宇宙がある・・・と思っています。
あまりスピリチュアルなものいいをすると「変な人」に思われますが、宗教ではなく、自分自身でそう思っています。
誰が見ていなくても、自分自身が見ている。
自分の中の宇宙が、大きな視点で、自分がしていることを見ているのだ・・と思っています。
何をするか、どんなことをいうか。。。。。という前に、自分自身が「どうあるか」ということがいかに大切かということを、たくさんの出会いと 学びと 仲間から教えていただきました。
そして、たくさんのシンクロニシティに出会いました。
シンクロニシティ=共時性
考えていたことが、だれかが話題にする。「あ、それ、今考えていたこと・・・!」
誰かと何かのことを話題にしていると、開いた本のページにそのことが書いてある・・・。
そして、いろいろな人が言っていること、いろいろな人の著書、いろいろな人のブログやメルマガ・・・。切り口は違うけど、同じことを伝えていることを実感した1年でした。
どんなことを知っているか?
どんなことをしているか?
何ができる人か?
という以前に大切な 「在り方」・・・このことを真剣に考えた1年でもありました。その機会と仲間と学びに感謝です。
私は、いわゆる「やさしい」保健室の先生ではありません。
口は悪いし、その場しのぎの慰めは言わない。
たぶん「やさしい」のとらえ方が違うのだろう。
私は、いつも思うのです。
生徒たちの人生にかかわってあげることができるのは、たった3年。
3年間のあいだだけ「いい人」になるのは簡単です。
でも、それって本当の優しさなのかといつも思うのです。
だから、時に、彼らに大きな空白をつくります。
表面に出ている問題にだけ焦点を当てて対応することも大事ですが、それだけではなく、
それを引き起こしている彼らの「生き方の癖」や「信念(ビリーフ)」に焦点を当てて、そこを見るためのかかわりをしたいと思っています。
わたしにとって、「してあげること」は優しさではありません。
「できるように支援する」ことが優しさです。
「あなたはどう生きていきたいの?どんな人間でありたいの?」と聞きます。
彼らが生涯、考えていくことができる大きな質問(空白)をすることで、何かの種をまくことが教師の役目であると考えてきました。
それは、一時的には、「いやなやつ」と思われることでもあったりします。
その質問の意味がわかるにがいつになるかわからなくても、あるいは、ずっと嫌われたままということもあるかもしれません。
人の出会いは、偶然ではなく必然。
出会いは、エネルギーの交換。
ならば、ならば、出会いからなんらかの学びがあります。
学びはエネルギーに変えて、生きていこう。
わわわわわわ・・・だんだん意味不明になってきた。
今年最後の記事の最後に・・・・・
孫は、4か月になりました~。はじめて孫を連れてアピタに行ったら、なんか、高齢出産した人かなって目で見られました~。(笑)
うーたん あたまかいーの
ミルク大好き だれにもあげない!!
ぼく、バーバラの車でアピタに行ったの。ママのだっこ気持ちいいよ。