姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

弊社認定講師の講演がすごすぎた!「イメージによって苦しんだ私は確かにいました」

2023年11月29日 | 保健室コーチング

(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原朱美です。


今日のテーマは
「弊社認定講師の講演がすごすぎた!「イメージによって苦しんだ私は確かにいました」です。

 

弊社の認定講師 五十嵐友紀先生が、高校生向けの講演の依頼を受け、講演をされました。
彼女は、将来のビジョンがはっきりしていて、話を聴いていると、胸が熱くなってきます。

 

利き脳が赤(勇)の五十嵐友紀先生は、本当にバイタリティ溢れていて、行動力も抜群!

動物占いは、楽天的なトラ! ブランドカラーもRed(努力、現実主義、合理主義、問題発見)
イメージカラーがyellow(先見力、子供のようなポジティビティ・前向きさ・楽天的、表現力・天真爛)

 

講師をやるというのは、目的ではなく手段。
世の中には、講師にることが目的で、人前でちやほやされたいという人もいますが
エゴとしての自分、変性自我の承認欲求を満たすだけなら、なんだか悲しいじゃないですか

友紀先生には、明確なビジョンがあり、すでにそのビジョンに向かって現在進行形で歩みを進めています。

自分がつかみたい未来があるので、寄り道なしでまっしぐら、進むことができるのだなぁと!
保健室コーチングを伝えることは、目的ではなく、手段。
友紀先生は、ビジョンが明確だから、学んだことを自分の言葉でアレンジできるのです。
バイタリティにあふれ、一貫性のある行動をしている

本当にそう思います。
その友紀先生が、高校生に向けた講演をされました。
彼女の言葉に「真実」が乗っているからこその高校生の気づき。

友紀先生の講演を聞いた生徒さんの感想を、いただきました。
読んで、胸が震えました。

 

※感想掲載については、学校の許可もいただきました

私は小さい頃、おばあちゃんに「良い子だね」と育てられ、小学生の頃は皆が「真面目だね」と言いました。
中学では「気遣いが上手だね」と言われ、今は「ポジティブだね」と言われます。
周りに悪いイメージを持たれていなかったとして、このイメージによって苦しんだ私は確かにいました。
でも、周りにこう思われているからこう在らなきゃいけないというのは違う、ということを学びました。
私の中にはいろいろな私がいて私すら知らなかった私もいます。
でもそれを含めて私なんだと思うと胸に内がすっと軽くなったように思います。
誰が自分をどう見るかではなく、私が私を認めてあげなければ他人に貼られたレッテルや自分で貼ったレッテルに首を絞められてしまうから、
自分をたくさんほめてあげるべきだと思いました。
(中略)年を重ねるごとに人に褒めてもらえる機会は減っていくだろうから、せめて今日一日頑張った私に「お疲れ様。頑張ったね」と言ってあげたいと思います。

 

 

今回の講話を聞いて振り返ってみた時、「あなたって○○なひとだよね~」とか「あなたって○○な感じ~」と言われると、ああ、私ってそうなんだと思ったり、自分は〇○だな!とか私は○○はできないとか決めつけたりしていて、他人がつけたレッテルだけでなくて、自分でつけたレッテルを貼っていたんだなと感じました。私は○○できないから・・・と決めつけて、自信が持てなくなったり、それを使ってできないようにするために言い訳に使ってしまったりして多様に思います。

今まではムカついたことがあるとすぐに悪いほうの言葉を使ってしまうことが多くて、でも言ってスッキリすることはなくて、すごく罪悪感と、言った側なのに自分が言われた感じがして悪いほうの言葉は最近は言わないようにしていて、今日のハートマッスル講話を聞いて、
「脳は自分と他人の区別がつかない。他人へ言ったことも自分に言ったことになる⇒自分が付けたレッテル⇒可能性が狭まる」ことを知って、言葉のレッテルって怖いな、やめてよかったなと実感しました。
すぐに現実逃避してしまったり、人見知りだったり、面倒くさがりだったり、自分でテンションが変わったりする自分や部活や学校、親しい友達といる時、家族といる時、それぞれの自分が変化するのが本当に嫌だったけど、「こんな自分嫌いだ~!!って思わなくていい。それも自分。いろいろな自分がいてそれをまとめる心。どんな場面でどんな自分を使うのか。チーム自分の監督になろう!」というのを聞いて、なんかスッキリしたような感じがしました。

また、「脳の法則、脳は扱われたようになろうとする。他人から貼られたレッテルも自分が自分に貼ったレッテルも信じてしまうとそれがあなたの能力や行動に影響します。取り入れるか取り入れないかは自分次第」というのも印象に残っていますレッテルに流されず自分なりのスピードで楽しく過ごしていきたいと思いました。また、最後の「あなたがここにいることがすばらしい」という言葉を聞いて、なんだか嬉しくなりました。今回の講話で、すごくスッキリすることがあったり、ぐっとくるものがあったりと聞いていてすごく楽しかったです。

 

 

「自分はどんな人?」と考えた時、自分の中にたくさんの「小さな自分」がいることに気づきました。私はいつも「自分はできないから」「ダメな自分だから」とマイナスな言葉で自分にレッテルを貼ってしまいます。
また、周りの人から言われた言葉「あなたって○○だよね」を判断しないで受け入れてしまいます。
でも、今日の講話で脳の働きを左右するほど影響があると聞いて驚きました。自分に良いところ、悪いところ、優れているところ、苦手なことなどたくさんあります。私はそれらの小さな自分の中心であるチームの監督として自分の個性なと「自分らしさ」を大事にしていきたいと改めて思いました。最後の言葉の「あなたがここにいることがすばらしい」というのはまさにその通りで、どんなに苦しいつらいことがあっても「ここにいる」ということがすばらしいという言葉を私も大切にしたいです。自分にレッテルを貼ったり、他人がつけたレッテルとすぐに受け入れずに自分が本当に必要かしっかり判断して毎日楽しく過ごしていきたいです。中学の時に一度五十嵐先生から講話をお聞きしました。そして今日、高校生になって五十嵐先生から改めて講話をお聞きすることができて本当に良かったです。

 

 

たくさんの人から見た私と自分が思う私は様々だということを聞いて、私は今まで「私は〇○な人」と勝手に決めつけていたことに気が付きました。そう決めつけてしまった結果、自分の行動範囲を狭くしてしまっていたのかなと思います。相手に○○と思われているから私は○○でいなきゃと頑張りすぎてしまうこともありました。
しかし、今回の講話でいろいろな場面、立場によっていろいろな自分が出てくるため、人に言われたことと自分が思うことが違うのは当たり前と聞いて相手のために相手が思う自分でいるために頑張る必要はないのだなと気づきました。

 

 

私は、今まで自分のことを自分はこういうキャラだからこうしたほうがいいよなという考え方を結構していたことに気づきました。それも悪いことではないけど、本当はこういうこともしてみたいし、これはイヤなんだよねという気持ちを押し殺して、忠実にクラス内や友達間で自分のキャラに徹するのは疲れることでもあるので、一つのキャラやこういうキャラというレッテルに囚われず、自分のどんな気持ちもキャラも肯定してあげるようにしたいなと思いました。
私は、たくさんのキャラを持っていると思います。でもどれも私なので猫をかぶっているとか、八方美人だとか言われても「何いっているんだ」と思うようにしようと今日の話を聞いて思えました。他人から見た自分はその人によって違うけど、どれも自分なので自分を一つに統一する必要はないし、この自分は良いけど、この自分はダメだと自分の良し悪しを決める必要もないということを聞いて心が少し楽になりました。私はこれから自分の中にいる小さな自分の良い監督になるために小さな自分一人ひとりについてしっかり理解し、肯定して愛してあげたいと思います。
普段、自分自身のことについて考えることなんてないので、今日の講話を聞いて改めて自分と向き合うことができてよかったです。そして、これからの自分自身との向き合い方についても考えることができてよかったです。
 

 

 

「あなたはどんな人?」という質問を問われて、とてもドキッとしました。私は家と学校では性格が全く違っていて、家での自分は何でも言うことができます。もちろん家族が傷つくことは言いませんが、自分が思っていることを遠慮なく言うことができます。しかし、学校では「優しい人」として過ごしています。
自分が気に食わないことでも絶対に言いません。優しい人ということは少し違うかもしれませんが、それが唯一友達に嫌われない人格だと思うからです。

だから、おそらく周りの人から「優しい」「真面目」「頼れる」など良い言葉しか出ないのだと思います。また、家での自分は元々、人見知りで知らない人や身内の人の前でも何も話さないことが多かったです。だんだん年齢が上がっていくにつれ、そろそろ人見知りを改善しなければと思い、様々なことに挑戦してきました。
しかし、その一方で本当にこれがしたかったのだろうか、今まで経験は無駄ではなかったのか、役に立つのか、疑問が生まれていました。
自分が無理をしているのではないかと思います。本当は自分とはどういう人なのか気になっていたところにこのような機会を頂けて、学ぶことがたくさんありました。

自分に貼られているレッテル、それは自分だけど自分ではなく、自分の中にいる「小さな自分」だということを学びました。
今、この瞬間、様々な自分を受けとめることができたらいいなと思いました。

 

 

今回の講話を聞いて、自分はどんな人かを考えた時に自分が思っている自分と友達や家族、先生などが思っている自分と違うと思いました。自分の中にはいろんな「小さな自分」がいるということを聞いてみて、小さな自分の監督になっていることがいいとおしゃっていて、楽しそうだと感じることができました。こんな自分がイヤだと思うことがよくありましたが、五十嵐さんがすべてが自分でどんな自分もOK 。それも自分だとおっしゃっていて「はっ!」としました。
今まで心の中に合ったモヤモヤみたいなものが少し晴れたような気がしてきました。今までは友達と比べたり、兄弟と比べたり、されたりして、自分の嫌な部分を直してもどうなおせばよいのかわからないと思っていましたが、直さなくていいかなと考えられるようになりました。人に害を与えるような行動などはさすがに直したほうがいいと思いますが、自分で少し気になるくらいなら直さず生かせるようになればと思いました。(後略)

 

 

講話を聞いて改めて自分と向き合うことができた。家での自分や友達の前での自分、学校での自分などそれぞれ全く違っても全部自分の中にいる「小さな自分」であるということが分かった。(中略)私は、人見知りなので初対面の人と仲が良い人とで対応が全く違うけど、それを悪いことと思わず、自分の中にいる「小さな自分」の一人なんだなという考え方をすることで悪いイメージから変わることができた。

 

 

今日の講話を聞いて、私は「小さな自分」を上手に操られる監督になりたいなと思いました。「元気な人」「明るい人」などは良いイメージですが「落ち着いた人」「静かな人」などはあまり良いイメージを持っていませんでした。でも、小さな自分を一人取り上げて表現しているレッテルで、自分を「○○な人」と決めることはあまり良いことではないなと思ったし、いろいろな自分がいていいんだなと思いました。自分の良いところと悪いところを場面や使い方によって工夫すると悪いところもよい感じにまとめられるとわかりました。

 

 

私には姉兄がいて、昔から「馬鹿」「アホ」「頭が悪い」「烏頭」「脳みそすっからかん」と言ったことを毎日のように14年間ずっと言われてきた。
姉や兄は軽口をたたいているつもりだっただろうが、確かに私の中には一生ものの言葉としてずっと残っている。彼らが家を出て後もずっとだ。
私は知らぬ間にレッテルを貼られていたのだろうか。今の私の口ぐせは「めんどくさい」と「私頭悪いから」「私にはできない」などといった決してポジティブなものではない。
そしておそらく私の人生のほとんどを支配してきたそれらの言葉を忘れることは不可能に近い。だから、剥がすのではなく、貼りかえるというわけでもなく、新しい紙を上から張り付けていく。(中略)これからの未来を考えていくうえで、張り付けられた自分と自分が信じてきたものは邪魔になっていくはずだ。それらをうまいこと組み合わせて張り合わせたら、何かが変わるかもしれない。

 


 

私にはたくさんのあるあるレンジャーや生きづらさ妖怪がいて、家ではあまり好きではない自分が出てきて、なんで自分はいつもこうなのだろうと自分を責めてしまうことが多かった。でも、学校にいる時のレンジャーを24 時間登場させることは難しいので、家で出てくる自分を責めるのではなく、全部自分なのだから嫌いな自分も認めたうえで、今の自分の状態を改善するにはどうしたらよいのか考えていきたいと思った。

私は部活などで自分と同じことをやっている子が私よりたくさん褒められているのを見ると、自分で勝手に「自分はあの子より下手で劣っている」と反応して、またレッテルを貼ってしまったりすることが多かった。でも、今日の講話を聞いて自分にとって必要なレッテルだけ残して、自分に必要ないレッテルを取り除くことが大事だとわかった。
人に自分のことを言われると過剰に受け止めてしまうのも自分の癖だったので、自分に不必要なレッテルを除くには必要以上に重く受け止めすぎないことも大切だと思った。これからも自分が嫌いな自分は出てくるけれど、今日の講話で教えてくださったことを意識して、どうしたら改善できるのか考えてきたい。また、自分にとって必要なレッテルは残して必要ないレッテルを取り除くようにして人の言葉に気持ちを左右されすぎないようにしていきたいと思った。今日、教わったことを忘れずに新しいことも怖がらずに挑戦していきたいと思った。


 

私は今回の講話を聞いて「言葉」や「おもい」の大切さを改めて感じました。小さいときに親などから言われたこと、言われてきたことはそのことが本当の自分だと信じてしまい、自己イメージになってしまうと聞いて確かにそうかもしれないと思いました。
私はずっとお父さんに「お前はバカだ」と言われてきて、何かできないときなどに「私はバカだから」と言ってしまっていたと思います。
自分の中にあるたくさんの自分の中にどうしても好きになれない自分がいたり、イヤな自分がいたりするが、この自分は良い、この自分は悪いはないという先生の言葉を聞いて、イヤな自分を重くとらえるのはやめようと思いました。
自分は○○な人間と自分に自分でレッテルを貼ると脳がレッテルの人間になろうとする、そのような行動をとるようになってしまうので、自分にレッテルを貼らないように気をつけようと思いました。人に言った言葉も自分に言った言葉だととらえてしまうので、他の人にレッテルを貼ってしまわないようにすることも気をつけたいと思いました。

 

 



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