古事記は天武天皇の命で稗田阿礼が誦習していた「帝皇日継」(天皇の系譜)と「先代旧辞」(古い伝承)を太安万侶が書き記して編纂し、712年に元明天皇に献上された。その序文に「天武天皇が『朕聞く、諸家の持てる帝紀と本辞は既に正実に違ひ、多に虚偽を加ふ』と言った」と書かれていることから、「帝紀・本辞(旧辞のことと思われる)」は多くの氏族が持っていて、それぞれに虚偽が加えられて既に正しいものではなかったことがわかる。すなわち、各氏族が自分たちに都合のいいように書き換えていた。あるいは「帝紀・本辞」には真実が書かれていたとしても、それが皇室にとって都合のよくない事実であった場合は「正実に違い」とか「虚偽を加ふ」と決めつけたケースもあったと考えられる。
さらに序文には「帝紀を撰録し旧辞を討覈(とうかく)して偽りを削り実を定めて後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ」「稗田阿礼が誦める勅語の旧辞を撰録して献上せよ」とあり、帝紀・旧辞に対して「撰」という表現が使われている。すなわち、各氏族の持つ帝紀・旧辞から正しいもの(=皇室にとって都合のいいもの)を選べ、と言っている。このことは、古事記の元ネタは各氏族が都合よく書き換えた、あるいは皇室にとって都合の悪い事実が書かれた帝紀・旧辞であったことがわかる。その元ネタから天皇家にとって都合のいい部分を選び、都合の悪い部分を削除し、また都合よく書き換えたものが古事記である。その古事記は神代から推古天皇(628年没)までの事象が紀伝体で記述されていることから、元ネタである帝紀・旧辞も推古天皇までの事象が書かれていたと思われる。
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さらに序文には「帝紀を撰録し旧辞を討覈(とうかく)して偽りを削り実を定めて後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ」「稗田阿礼が誦める勅語の旧辞を撰録して献上せよ」とあり、帝紀・旧辞に対して「撰」という表現が使われている。すなわち、各氏族の持つ帝紀・旧辞から正しいもの(=皇室にとって都合のいいもの)を選べ、と言っている。このことは、古事記の元ネタは各氏族が都合よく書き換えた、あるいは皇室にとって都合の悪い事実が書かれた帝紀・旧辞であったことがわかる。その元ネタから天皇家にとって都合のいい部分を選び、都合の悪い部分を削除し、また都合よく書き換えたものが古事記である。その古事記は神代から推古天皇(628年没)までの事象が紀伝体で記述されていることから、元ネタである帝紀・旧辞も推古天皇までの事象が書かれていたと思われる。
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