古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆狗奴国の繁栄と領土拡大

2016年08月25日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 ここまでで九州中南部と大陸江南地方との間につながりがあることがわかった。そして、大陸江南地方から東シナ海を渡ってきた民は九州中南部に定住し、土着の縄文人と融合して弥生人となり、魏志倭人伝に記される狗奴国を建設したと考え、さらにはその狗奴国は日本書紀に記された熊襲であり隼人であった、と発想した。狗奴国(熊襲・隼人)は江南地方同様に稲作技術、農具を含む各種道具類の製作技術、建築技術、紡織技術、高温焼成技術、造船技術、製鉄技術など高度な技術を持つ先進地域であったと考えられる。次にこの狗奴国の繁栄について考えてみる。

 大陸を脱出した江南地方の人々が最初に流れ着いた南九州という地方は北東から南西に細長く延びた日本列島の一方のドン詰まりであり、北側には阿蘇や霧島を含む九州山地、東西および南の三方には東シナ海や太平洋、と四方を山と海に囲まれた狭隘な地域であり、平野部が少なくしかも火山灰が積もったシラス台地が広がり、稲作など農耕に不向きな痩せた土地である。その地域に大陸からどんどん人が押し寄せてくる。彼らは高度な製鉄技術や農耕技術を持っているため、痩せた土地ながらも農耕の生産性は飛躍的に高まり食料供給力が大幅にアップしていった。しかし、結果としてそのことがさらに人口を増加させ、ついには新たな土地が必要となった。そこで彼らは九州南部から中部を経て北九州方面への領土拡大を画策したということが想像される。
 静岡県立大学学長の鬼頭宏氏による古代の地域別推定人口によると、紀元前900年の時点で北九州3000人、南九州3300人とほぼ同数であった人口が紀元200年になると、北九州が13.5倍の40500人、南九州が19.6倍の64600人に増加しており、特に南九州において人口増加が顕著であった。
 
 領土拡大のもうひとつの理由として南九州における製鉄原料の不足が考えられる。農耕の生産性をあげるためには大量の鉄製農具が欠かせない。彼らは製鉄の原料となる褐鉄鉱や砂鉄を採取し続け、ついにはそれらが枯渇する状況に至ったのではないか。その結果、鉄資源を求めて北上せざるを得なくなった。現在で言うと、鹿児島県および熊本・宮崎両県の南部を起点として北上を開始した。九州の西側では球磨地方から球磨川沿いに八代へ出て熊本平野を北上、東側では曽於地方から宮崎へ出て宮崎平野を北上、九州山地を避ける形で東西2つのルートを経由して阿蘇山あたりまで領土拡大を進めたのではないかと想像する。
 阿蘇山周辺は阿蘇黄土と呼ばれる良質の褐鉄鉱が産出される地域であり、太平洋戦争のときには鉄鉱石の代替として八幡製鉄所(現・新日鉄住金株式会社八幡製鉄所)に運ばれた。現在でも阿蘇に本社工場を置く株式会社日本リモナイトはここで採取される褐鉄鉱を様々な製品に加工して出荷している(「リモナイト」は褐鉄鉱の別名である)。このあたりで良質な褐鉄鉱が産出される理由は阿蘇山の噴火と関係がある。阿蘇山は、30万年前、15万年前、9万年前と大噴火があり、これらの噴火により阿蘇山と外輪山との間に大きな火口湖ができたといわれている。水中に含まれる豊富な鉄分は次第に湖底に沈殿し、また火口湖もやがて干上がって大きなカルデラとなったが、沈殿した鉄成分はそのまま地層となって残ることとなった。これが現在でも産出される阿蘇黄土、すなわちリモナイトである。(株式会社日本リモナイトのホームページを参照した。)

 南から北上してきた狗奴国は肥沃な熊本平野や宮崎平野を手に入れ、さらには阿蘇で良質な褐鉄鉱も手に入れることができた。狗奴国の領土拡大作戦はここで一段落を迎えることになるはずだった。



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