古事記のあと720年に完成した日本書紀は天武天皇が自らの皇統の正当性を明確にするために正史として編纂を命じた。その意味においては古事記の編纂も同様であったろう。古事記が存在するにもかかわらず日本書紀を編纂させた目的は次の2点ではないか。
1点目は、壬申の乱など皇位継承の争いがあったとはいえ、天皇家は神武天皇から脈々と続く万世一系の正当な血筋であることを明確に示そうとしたこと。古事記においてもその目的は果たされているが、古事記は推古天皇までの記述であったので、その後の天武天皇自身を含む系譜が必要であった。加えて、古来、女性皇族は日本建国に中心的な役割を果たしており、天武の後、編纂事業を引き継いだ持統天皇も同様であることを世に知らしめようとした。
2点目は、上記のことを漢文で記して日本国の正史とし、それを中国向けに発信しようとしたこと。これにより、中国に対しては従来の朝貢外交ではなく由緒ある正当な国家として対等な付き合いをしようとしたことである。そして、日本書紀が正史として編纂された結果、古事記は天皇家の私的文書のような扱いとなり、天皇家あるいは国家にとってあまり重要視されなくなったであろう。
天武天皇は編纂途中で崩御したが持統天皇が編纂事業を受け継いだ。神代から持統天皇までの事象を対象として編年体で記述され、720年に完成した日本書紀は先に完成していた古事記をもとに編纂されたと考えて差し支えないだろう。そして編纂期に政権最大の実力者となっていた藤原不比等はこの機会を利用して蘇我氏を貶め、藤原氏の権威を高めることを作為した。加えて、天武朝成立に功績があったその他の氏族についても藤原氏よりも格下ながらもその功績を称えてバランスを取ろうとした。また、敗者となった氏族も決して歴史から抹殺したり粗末な扱いをしなかった。
日本書紀と古事記の最大の違いは、日本書紀が編年体、古事記が紀伝体であるということ以外に、日本書紀は「一書曰(あるふみにいわく)」という形で異伝、異説を併記していることである。各氏族の持つ帝紀・旧辞に書かれた内容に相違があったり、あるいは日本書紀よりも先に完成した古事記をみて「ここに書かれた内容は事実(自分たちが語り継いできた話)と少し違う」と言って陳情をしてきた氏族があったかもしれない。本編は天皇家や藤原氏に都合のいい話にしたものの、他の氏族の伝承などを無視できない場合にこの手法を用いたのではないだろうか。こういった手法も含めて、全ての氏族が天皇家を支える国家体制、天皇家を頂点とする中央集権体制の確立を国内外に向けて明確に示そうとしたのである。
以上を念頭に日本書紀を読み解けば真実が見えてくるとの考えに立ち、古事記を参考にしつつ日本書紀をベースに古代史の謎に臨みたい。また、神話として語られている神代巻においても全く根拠の無いデタラメが書かれているわけではなく、記紀編纂当時において過去より語り継がれてきた伝承や何らかの事象をもとに書かれたものと考え、その奥底にある事実を読み取ることが必要であろう。日本書紀を中心とする日本の史書、魏志倭人伝を中心とする中国史書、そしてこれまでに発掘された各地の遺跡や遺物などの考古学の知見、この3つの整合がはかられ、もっとも合理的に説明が可能となる「古代日本国成立の物語」を考えてみたい。
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1点目は、壬申の乱など皇位継承の争いがあったとはいえ、天皇家は神武天皇から脈々と続く万世一系の正当な血筋であることを明確に示そうとしたこと。古事記においてもその目的は果たされているが、古事記は推古天皇までの記述であったので、その後の天武天皇自身を含む系譜が必要であった。加えて、古来、女性皇族は日本建国に中心的な役割を果たしており、天武の後、編纂事業を引き継いだ持統天皇も同様であることを世に知らしめようとした。
2点目は、上記のことを漢文で記して日本国の正史とし、それを中国向けに発信しようとしたこと。これにより、中国に対しては従来の朝貢外交ではなく由緒ある正当な国家として対等な付き合いをしようとしたことである。そして、日本書紀が正史として編纂された結果、古事記は天皇家の私的文書のような扱いとなり、天皇家あるいは国家にとってあまり重要視されなくなったであろう。
天武天皇は編纂途中で崩御したが持統天皇が編纂事業を受け継いだ。神代から持統天皇までの事象を対象として編年体で記述され、720年に完成した日本書紀は先に完成していた古事記をもとに編纂されたと考えて差し支えないだろう。そして編纂期に政権最大の実力者となっていた藤原不比等はこの機会を利用して蘇我氏を貶め、藤原氏の権威を高めることを作為した。加えて、天武朝成立に功績があったその他の氏族についても藤原氏よりも格下ながらもその功績を称えてバランスを取ろうとした。また、敗者となった氏族も決して歴史から抹殺したり粗末な扱いをしなかった。
日本書紀と古事記の最大の違いは、日本書紀が編年体、古事記が紀伝体であるということ以外に、日本書紀は「一書曰(あるふみにいわく)」という形で異伝、異説を併記していることである。各氏族の持つ帝紀・旧辞に書かれた内容に相違があったり、あるいは日本書紀よりも先に完成した古事記をみて「ここに書かれた内容は事実(自分たちが語り継いできた話)と少し違う」と言って陳情をしてきた氏族があったかもしれない。本編は天皇家や藤原氏に都合のいい話にしたものの、他の氏族の伝承などを無視できない場合にこの手法を用いたのではないだろうか。こういった手法も含めて、全ての氏族が天皇家を支える国家体制、天皇家を頂点とする中央集権体制の確立を国内外に向けて明確に示そうとしたのである。
以上を念頭に日本書紀を読み解けば真実が見えてくるとの考えに立ち、古事記を参考にしつつ日本書紀をベースに古代史の謎に臨みたい。また、神話として語られている神代巻においても全く根拠の無いデタラメが書かれているわけではなく、記紀編纂当時において過去より語り継がれてきた伝承や何らかの事象をもとに書かれたものと考え、その奥底にある事実を読み取ることが必要であろう。日本書紀を中心とする日本の史書、魏志倭人伝を中心とする中国史書、そしてこれまでに発掘された各地の遺跡や遺物などの考古学の知見、この3つの整合がはかられ、もっとも合理的に説明が可能となる「古代日本国成立の物語」を考えてみたい。
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