彼女の相談を聞く。問題を解決することは不可能なのだから、後はとにかく彼女が納得すればいいわけで、ボキャブラリーが尽きるまで話させてやれば終わる。「そうだね。君の言うとおりだ」「僕もそう思うよ」なんて合いの手を入れてやればさらに完璧だ。日本人でもよほどの人でなければ1時間粘られることはない。(・・ある人だけは例外)結果、「この人は私のことをわかってくれる・・大事にしてくれる」=良い人の出来上がりだ。もちろん「俄か」であり「似非」である。
電話で相談を受ける。どうやら娘が学校でいじめにあっているらしい。それってピーナの相談事じゃないよなぁ。ある意味「オカネ」の問題のほうがわかりやすいし、受け入れやすい。それにしても日本人ってやつは・・・
「お店に行く前に会えないか?」と言われてのこのこ仕事の帰りに待ち合わせる。デニーズで隣同士でなく、向かい合わせでカルボナーラを食べると、「お金がもったいないからお店には来てはいけない」と言うので了承してそこで帰る。(心の中で「それじゃ他の店に行こうっと」とも思ったが本当に帰った)それにしても最近メールと電話が急増している。「若い頃よりも今のほうがジェラシーが大きくなった」と彼女は言っていた。若い頃のことは知らないが現在は確かにそのようだ。
私は自分で言うのもなんだが渋ちんである。もちろん無駄使い野郎でもあるが・・そんなわけで自分で価値を認めたものしかプレゼントしない。曰く、電化製品は認める。時計とバッグは少し認める。リング・ネックレス等アクセサリーは認めない。現金は絶対に認めない!こんな基準が自分にはある。そこで今回の「オネガイ」だが、当然認めるわけはないのだが、今回は一歩踏み出してみようかと思っている。セブでも踏み出しそうな事態だったが何故か(渋ちん故)回避してしまった。そのことを後悔してはいないが、釈然としない気持ちも残っている。けじめをつけるためには場代が必要なようだ。これは意地でもある。
何故、戦い始めたのだろう?そもそも誰と戦っているのだろう?自分でよくわからなくなってきている。それが年によるものなのか、人恋しさゆえなのかはわからないが、最近、何か心境が変わってきているようだ。妙に人に優しかったり、我慢をしてみたり、あれだけ自由を渇望し、そのために多くを失いながらやっと得た自由を手放すとでもいうのか?「ばかな・・・」シンもきっとそう言っている!
たった6日間の滞在だったがあの旅のおかげで、フィリピーナ(特に日本にいる)に対する見方や態度が変わってしまっていたようだ。フィリピン化してしまったようだ。(=要するにぬるくなったということだ)が、ここ数日の寒さで自分が日本人である事を思い出した。我々はこの厳しい季節を乗り越えるため、季節の変化をよみ、備えてきたのだ。そのために物だけでなく知恵を蓄えてきたのだ。我々にとっては、いい加減な約束やできない約束は致命的であるはずなのだ。セブで私が彼女に対して怒ったことは日本人のルーツがそうさせたのに違いない。
前回、危険な状況を命からがら回避したのは1月2日だった。それから1ヶ月が経ち、昨日は個人的に大きな問題があったが、思いのほか早く終わったので彼女と食事をすることにする。久しぶりに同伴するつもりだったが「もったいないから・・」ということで時間差攻撃で店に行く。(その時間スロットは打たずに、かたく喫茶店で鬼平を読みながら時間をつぶす。)店に行くと部屋の鍵を奪われる。掃除と洗濯をしてくれるらしいが、よく考えると非常に危険なことであることに気が付くがもう遅い!不覚!3月2日には何があるんだろう?4月2日にはマニラにいそうだし・・・
我慢をすることがストレスをためることと同じ意味ならば我慢などしないほうがよい。特にフィリピーナと付き合うことにおいて、「くだらない嘘をつく」ことや「時間に遅れる」ことなどがストレスになるならば「全く向いてない」ということで、結婚など望むべくもない。私が「めんどうくさいことが嫌い」なのは単に「ストレスをためたくない」だけなのだ。ためた結果がどうなったかは過去の経験として持っていて、それはもう2度と繰り返したくないものだ。
帰国後、電話が3回ほど・・全部がAちゃんじゃないかもしれないが、いずれにせよ出ないことにする。とどのつまり「私は彼女(だと思っていた人)を失くし、彼女はお客さんを一人失くした」ということになる。余談だが、先日の写真ができてきた。見てみると、どの写真もみんな楽しそうだ。よい旅であったことがはっきりとわかる。皮肉なものだ。