先日ドブに落ちた麻雀も早い時期に復調することができた。これもひとえに異質の麻雀を打つメンバーのおかげである。心から感謝したい。
人生も得てしてそんなものだ。ドツボに嵌った時に抜け出そうともがけばもがくほど深みにはまったりするし、何の努力もせずにあっさりと抜け出せることもある。しかし、人生は有限だから偶然を待ち続けることはできない。だから毎日もがき続けるのだ。
テンションが上がらないので電話とメールを放っておいたら、そうとう暇だったらしく携帯の履歴を埋められた。このタイプは久しぶりだなぁ。
スロットはお上の規制がかかり遊びとしては激しさが失われた。ストックを一気に吐き出すようなシーンはもうない。
フィリピンパブも同様でお上の規制で人数、人材をグッと制限されてしまって昔の面影はない。
けれども、色恋沙汰についてのスタンスを変えるつもりはひとつもない。苦労や難儀があるから楽しいし、安易な妥協をするつもりはない。
そういうことだから今日は同伴だ!
先日ヘルプについた娘、見るからに田舎者、見るからにネイティブフィリピーナであった。聞けば10人兄弟、カラバウ2匹、バカ2匹、バボイ4匹、カンビン4匹、アソ4匹、プサ1匹、マノック・・マラミン、水田で米を作っているそうだ。水田の向こうは山、裏は川、さぞかしのどかな所なんだろう。私には農業をすることも、田舎で暮らすこともできないが、すこし憧れて話を聞いていた。
人生はままならないものだ。人はないものを欲しがり続ける。フィリピンパブは「愛」を渇望する者にとって餓鬼道みたいなものだから満たされることはない。観音様に巡り会うまでは修羅と化して突き進まねばならない。
自分に優しくしてくれると愛されていると勘違いする。実に愚かなことである。人に優しくすることには普通理由がなければならない。理由もなしにすべての人にやさしくできる人はノーベル賞に値する人である。いや、それすらノーベル賞を狙うという目的があるのかもしれない。
フィリピンパブでは、優しくすることと優しいふりをすることはほぼ同義語である。いつでもどこでも、どんなに時代が変化しても彼女たちがお金を稼ぐ目的で働いていることは不変である。だからあの限られた時間と場所で繰り広げられる恋愛はお互いに夢であって現実とはかけ離れているものだ。肝心なのは夢はいつか覚めるということだ。それが心地よいからといってもそう寝てばかりもいられない。