タガログな日々2

フィリピンパブから続く道を求めて放浪中・・
昨日はマニラ、今日は北京、明日は・・

無責任な好意

2009-11-27 09:30:30 | フィリピン
フィリピンに住む11才の娘(自分の実子ではない)と電話で話した。

彼女の父親はロクデナシのフィリピン人で彼女がもの心つかないうちに他に女を作って出て行った。
母親はやむを得ず日本に出稼ぎに、そこで日本人の亭主を見つけてコミュニケーションがとれない弟がいるがめったに会うこともない。
クリスマスも誕生日も自分の親はいない・・

そんな話を聞いているうちに私は無責任に彼女の面倒をみたいと思ったのが去年の話である。
それから事あるごとにわずかばかりのお金と物を贈ってきた。

彼女もあと数年かたてば一人前のロクデナシになってしまうのだろうが、今はただの貧乏な娘である。

「元気?」
「はい。」
「何しているの?」
「宿題しています。」

すでに嘘だけはつけるようだ。

チョーお得?

2009-11-26 12:06:26 | フィリピン
来年の1月5日以降3月いっぱいまで早めに2名で予約するとフィリピン航空でマニラまでのチケットが1人39000円!
12月のクリスマスシーズンまでの安い期間でも59000円だから本当に安い。
なんでも「日本就航60周年記念キャンペーン!」なのだそうだ。
彼女をただで連れて行けます。って感じでしょうか。
もちろん他の費用がバカにならないでしょうけど・・・

無痛症

2009-11-25 09:22:04 | フィリピン
夕方先輩から電話があった。その時のやり取り・・・
「麻雀やりたいんだけど、Mちゃんがばかだからフィリピーナとデートだとかぬかしやがって・・寒い中2時間も待たしときゃ死んじゃうからほっとけって言ったんだけどね」
「相変わらず無茶苦茶言いますね。K君でいいじゃないですか・・」
「最近負け続けているから誘いにくくってよ」
「そんなこと言ったって、昨日ひどい目にあわせたの先輩じゃないですか・・」
「オレじゃないって!」
「でも、誘わないとできないでしょ。もう少しすれば痛みなんか感じなくなりますから!」
「無痛症?」
「そうそう、ロボトミーともいいますよね。こめかみのあたりからちょこっと前頭葉をかき回しちゃえば・・」
「お前も酷いこと言うね!」
「じゃ先輩まかせましたよ。そうじゃないとオレも南方に行っちゃいますよ!」
「お前とMちゃんはすでに無痛症!しかも大バカ!」

でも、昨日はK君の勝ち。私も勝ち。先輩が負け。

菊次郎とさき

2009-11-24 11:32:10 | フィリピン
週末は体調がすぐれなかったので日がな一日中テレビを見てすごした。

「菊次郎とさき」を一挙放送していて笑いながら泣いた。ケーブルテレビはえらい!

見たことのあるなつかしい風景の中でそのドラマは展開されていた。
テーマソングは久保田の「Club Happiness」という曲。
これは下町のイメージよりむしろ原宿や青山のイメージだが自分にとってはそれも懐かしい。

もうあの懐かしい時代に戻ることはないが、時々あのころを懐かしく思い出す。
それは我々が得たものと失ったものを秤にかけたら、得たものの方がはるかに多いということだろう。

秋葉原

2009-11-20 10:30:26 | フィリピン
NHKでタモリが秋葉原の街を案内していた。
私が初めて秋葉原に出かけたのは小学校の時だったと思う。
両親が交通博物館に連れて行ってくれたことをかすかに覚えている。
秋葉原は鉄道の街だった。

次に秋葉原を訪れたのは中1の時だから1972年である。
ステレオが欲しかったのだが今のようにネットがなかったので何度も足を運び店員さんの説明を聞いたものだった。
回路が熱を持つと発するあの独特なにおいがあの街のにおいだった。
秋葉原はラジオと電気の街だった。

それからしばらく秋葉原に足を運ぶことはなかった。
15年くらい後、世の中にパソコンが登場しはじめたころにそのパソコンを買いに足を運ぶ自分がいた。
オウム真理教が経営していたパソコンショップを覗いた覚えがある。
秋葉原はパソコンの街になっていた。

さらに15年ほどの時が流れて仕事で時々秋葉原に出かける。
コスプレ、フィギイア、メイド・・・
秋葉原はオタクの聖地だという・・・

タモリが番組の中で「秋葉原は後戻りしない街」と表現していたが、これだけ変わっていく街もめずらしい。
でもその根底にはいつもディープなマニアがいて、上っ面だけが変わっているだけである。

急に寒くなった

2009-11-19 12:10:49 | フィリピン
おぼろげに日本で何とかやっていこうと考えている矢先の真冬並みの寒さである。
体調を崩してしまったので薬を飲みビタミン剤を飲み暖かい家で静養している。
忘れていたが冬がつらいこととその後にくる花粉が日本で生活する上での別の大きな問題であった。
中国の黄砂や冬の寒さ、フィリピンの台風や洪水といった災害を知らないから、安易に海外で生活をしようと思っていたふしはある。
気候でいえばカルフォルニアやハワイは天国だが生活したいとは思わない。

薬が効いてきたようだから温まるチゲでも食べてゆっくりと休もう。

リノベーションマンション

2009-11-18 12:36:33 | フィリピン
定年になった後に年金だけではとても暮らしていけない。
日本ではとくに家賃を含め様々なものが高いから、それらが安い海外に移住しようと思っていた。

まず第一に中国を考えていたのだが最近は物価も高くなり目論見通りにはいきそうもない。
次にフィリピンだが日本にいるフィリピン人と付き合っているうちにいろいろな面でウンザリしてきた。

結局、日本で暮らしていかなければならないのだろう。

そうなるとまずは定年した後に住む家が必要である。
最近はやりのリノベーションマンションを当ってみると結構いけそうだ。
都心でも今住んでいる家の規模でも買えそうな物件がある。
65才までの15年間に支払う家賃が10万*12月*15年=1800万だから、それ以下で買えれば良いわけである。



無理は無理

2009-11-17 10:39:00 | フィリピン
先輩はどうしても麻雀をやりたかったらしい。
久しぶりに地元の「殿」と呼ばれる人物まで担ぎ出してきた。
「殿」は「殿」だから空気を読まないことにかけては所沢でも1,2である。
昔、立川の水着パブでえらい目にあった覚えがある。
しかも麻雀を打つ速度がお正月に相手をした80歳のおばあちゃんより遅いからどうにもならないが「殿」だから文句も言えない・・

「今日中には帰れるんでしょうね・・」
というかすかな期待もむなしく時間が過ぎていく。
リーチをかければ「現物がない。」と腕組みなんかして考え出すから、恐ろしくてリーチもかけられない。
楽勝の麻雀を時間も忍耐もないおかげでグダグダにしてしまった。
負けの500円をおいて走るように家に帰った。
体力的にも精神的にもダメージが大きく後遺症に悩まされそうだ。

余談だが、愛すべき土建屋のだんなが6-9ソウ、1マン、9ソウか1マンつもなら四暗刻のリーチ。
1パツ安目の6ソウをつも上がったのだが気がつかず、「あれっ?」と気がついた2順後に高めの9ソウをつも上がった。しかも裏3!
倍マン5枚オールを役満9枚オールにしやがった。
ちなみに1マンは2枚切れ、9ソウも1枚切れのラス牌・・・
そんなことは彼にしかできない・・

ピアノのレッスン

2009-11-16 09:51:42 | フィリピン
おもちゃのようなヤマハのキーボードを買った。
http://www.yamaha.co.jp/product/piano-keyboard/np-30/index.html

息子の暇つぶしにと買ったのだが本当は自分が弾いてみたかったのだ。
家にあったグランドピアノは敷居が高すぎて触ろうという気さえ起きなかった。

私にとってはこの程度で充分だ。

「イエスタデイ」の弾き語り用の伴奏を弾いてみることにした。
たどたどしく和音をなぞっていると息子が横で「一般的に5度の音は弱く、一番高い音を少し強く弾くときれいに聞こえるよ」と口をはさむ。
「まだ音を追いかけるだけで精一杯なんですけど・・」
・・でも、少し練習してみよう・・

「ところで医学書を買いたいからお金ちょうだい。」
・・ずいぶん高いレッスン料だなぁ・・

ルソン壺

2009-11-12 09:58:51 | フィリピン
かつて呂宋助左衛門がフィリピンからガラクタの壺を持ち帰りバカ高い値段で時の権力者に売りつけたのは文禄2年(1593)のことである。
それからおよそ400年後、現代のルソン壺がフィリピーナであることに気がついた奴がいた。

ある場所(時間)ではまったく価値がないものをそれを移動することで巨額の富を得ることができる。
それが商売の原則であり真骨頂でもある。

絹や胡椒、規模は小さいが杜仲茶や(グルコサミンやキトサンの原料になる)カニの甲羅なども同様である。
ちょっと見方を変えればリサイクルショップが流行っているのも頷ける話だ。

しょせんは・・サル

2009-11-11 09:06:25 | フィリピン
「○○の△△です。覚えてますか?」というショートメールが入って来た。
覚えているも何も、つい半年前に人を「ストーカー」呼ばわりしたアマである。
ずうずうしいにもほどがある!すかさず電話番号を着信拒否リストに登録した。

そういえば狭山のオンナが最近いたずらショートメールが来たと言って怒っていた。
「ひまですか?」から始まる一連の文章を見せられたが、全文ひらがなであることやあまりに簡単な文章であることから明らかにフィリピーナ相手にメールをしていることがわかった。
要するに忘れてしまった客の誰かということで、どっちにしろにカッコ悪い話である。

かつて、フィリピンパブのタレントさん達に日本の飲み屋のオンナにはない何かを求めていたがあれはいったい何だったのだろう・・・

いつの間にか飲み屋のオンナにどっぷりつかって私の嫌いな日本の飲み屋のオンナと変わりない。

もはやそんなサルに興味はない。



イントロ

2009-11-10 09:07:16 | フィリピン
ちょうど帰る時間に西武池袋線が事故遅延しているとの情報が入った。
(docomoのアイコンシェルに登録しておくと本当に便利である。)
そういう場合は迷わず高田馬場経由で帰ることに決めている。
ちょうど狭山からお誘いもあったので、狭山までの特急券を買って高田馬場で少し時間をつぶすことになった。
さて、どこに行こう?映画を見るほどの時間でもないし、パチンコやスロットは愚かだし・・
「そうだ、昔よく行ったジャズ喫茶に行ってみよう!」と思った。

30年ぶりに階段をおりると「イントロ」・・むかしのままであった。
かつて、ここにわかったような顔をしてジャズを聴いたいた自分がいた。

「昔、見かけたような顔だね。どのウエイトレスが目当てで通っていたんだい?」
「おぼえてないなぁ・・ウエイトレスなんかいたっけ?」
「うれしいねぇ。君はただジャズを聴きに来てくれていたんだ!」
たまには寄り道もしてみるものだ。



ルームシェア

2009-11-09 08:53:07 | フィリピン
そもそも、ルームシェアとか寮生活は、単にお金を節約するためだけではなく、故郷を離れる寂しさや都会の孤独を紛らわすためにある。
中国のように広い国ならなおさらで、地方から北京や上海に出てくる人達の多くがそういった共同生活をしている。

私が学生の頃の日本でもそんな光景はしばしば見かけたものだ。
昔は今より移動するのに時間とお金がかったから故郷がなおさら遠く感じられたからだと思う。
携帯やネットが普及したおかげでいつでも故郷と連絡が取れ、しかも帰ろうと思えばすぐに帰れる現代社会では金銭面を除いて不要になってしまったのかもしれない。

故郷や親兄弟が遠いわけでもないし、金銭的に困窮しているわけでもない。
幸い友人もたくさんいる。
他人と一緒に暮らす理由が見当たらない。

解剖

2009-11-06 10:02:39 | フィリピン
息子が解剖の実験があるから遅くなると言っていたのに早く帰って来た。
「どうしたんだ?ブラックジャックのように早く終わったのか?」
「切ってはいけないものを切ってしまったからそれ以上できなくなった。」
「・・・」
「ウシガエルの目ってけっこうかわいいんだよ。なんだか可哀そうになってね。」

私の学生時代は勉強:遊び:バイト=1:7:2ぐらいであった。
本来は6:2:2ぐらいであるべきだと思う。勉強しなったツケは大きい。

国士無双

2009-11-05 08:51:03 | フィリピン
久しぶりに役満を上がった。5順目にテンパって9順目にオヤリーが入った瞬間にリーチ者の現物であった白が打ち出された。
初回タナボタの2着、次局何もできないままドべをまっしぐらの嫌な展開であったから上がれるとも思わなかったが・・本当にラッキーであった。
余勢をかって三局目は親マン親ッパネと続けてつもり楽勝であった。

それにしてもツキとは何と気まぐれなものなんだろう。
紙一重の所をさまよっているがつかみたい時にはつかめない。
それでいて不意にやってきたりもする。
女も気まぐれだがツキってやつはそれを超えて男を翻弄する。
思いのままにならない・・だから楽しいのかもしれない。

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