妻として母親として完璧な女性を良妻賢母といいます。私の母はこのタイプ。
小学生の時に観た映画「道」は、強烈でした。
夜中に仕事をしている母が可愛そうでポータブルのテレビで母のそばで観ていたマルマン深夜劇場。
古い名作を取り上げた番組でした。
「道」も「ビルマの竪琴」も「破壊」もこの深夜劇場で観たのだと思います。
小学生から深夜劇場を観るんですからませた子どもでした。
この時から私の映画好きは始まったのだと思います。
「道」に出てくるジェルソミーナという無垢な女性。
従順で白痴的な姿はまるで仔犬のようでした。いわゆる美人女優ではなかったけれど悲哀がありました。
今の若い女性は、彼に乱暴な言葉で命令します。母親が父親に接するその姿がそのまま映し出されています。
さて、自分は夫にとってどんな妻だったのか?と、彼が亡くなってからずっと自問自答しています。
彼を思う気持ちは誰にも負けなかったけど、おおよそ従順には程遠かった。私たちには子どもはいなかったから賢母はありえませんが、良妻のわけがない。
一番適した表現は、じゃじゃ馬。
だから夫はじゃじゃ馬ならしをせざるを得なかったのでしょう。
そんな私を大事にしてくれた夫の懐の深さに敬服します。
私がオトコならこんなオンナを妻には選ばない。
彼が起き上がれなくなったとき、救急車がくる間、私はずっと彼の頬を撫でていました。すると彼も同じように私の頬を撫でました。
これから何が起こるんだろう!という不安が2人に去来していたんでしょう。
何しろ一卵性夫婦でしたから…。
病床に伏してから痛切に思った彼の存在のありがたさ。
今度生まれ変わったら私たちはまた一緒になるでしょう。
多分、良妻にはなれないと思います。相変わらず意地悪して困らせるかもしれません。でも少なくとも、今生よりはもっともっと長く一緒にいたい。
2ヶ月半の療養生活の中で、最後まで弱音を言わず、しかも怖がらず、生き抜いてくれたのは、私と少しでも長く一緒にいたかったからだと思います。
分かるんです。
残される私と残していく夫の思いが一緒だということが。
だって一卵性夫婦なんですもの。
羽田空港に向かっています。今回は佐賀から鹿児島を回ります。台風の動向が気になりますが、でもこればかりはどうにもなりません。