日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

親から子へ

2019年10月20日 21時25分04秒 | 思うがままに

私が昔から、唯一一人で入れたところはカフェです。

一人でぼんやりしたり、本を読んだり、テキストをまとめたり、何時間でもいられるのです。

だから一人はそんなに嫌いじゃありません。寂しいというのは一人だからではないのです。ほんの数か月前まで一緒に感動し、笑いあった人がこの世にいないことが寂しいのです。

それにこの秋という季節も私は大の苦手なんです。

最近は結婚離れが盛んに言われるようになりました。面倒だとか経済的な問題も絡んでいるようです。

だからお一人様のなんと多いことか…。

さて、私は完全にテレビ離れになりました。

それでも、たまには良い番組や、見逃した映画なども放映されているようですから情報は教えてください。

私は、時間があるときは、もっぱら読書かDVDで映画をみるかYouTubeをみています。

大分前ですが、ばってん荒川という役者さんと島津亜矢さんという歌手が「帰らんちゃよか」という歌を歌っているのをYouTubeでみたことがあります。

主人は出身が九州でしたから、ひとり暮らしの母親を案じ毎日電話をしていたようです。

それもあって、ひときわ感動したのです。

田舎で暮らす親から子どもへのメッセージを語りかけるように歌います。九州弁だから味わいもあります。

夫と義母を思いながら聞きなおし、また涙しました。今頃あちらの世界で楽しくやっているのでしょう。

私、このごろ涙もろくて困っています。(笑)

 

【帰らんちゃよか】 ばってん荒川/島津亜矢

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気持ちを整理する方法

2019年10月20日 18時50分09秒 | 思うがままに

「結婚=幸せ、なんて思うから離婚が増えるのよ」

と、言ったのは美輪明宏さんです。

 

昔は、女性が結婚すると言うことは、相当な覚悟だったそうです。

子育て、夫の両親の世話、つまり家を守るという大きな責任があったようです。

甘い生活なんてなかった。

 

そう言えば、私の母は、ひとりの女性として生きてはいませんでした。母として、妻として、父の兄弟まで同居して大変な生活をしていたように思います。

 

威張っていた父は幸せだったでしょう。でも、そう思うのは私たち子供たちだけだったかもしれません。

 

人はそんなに単純ではありませんから、父は父で何かを感じ、何かを背負って生きていたのかもしれません。でも少なくとも好き勝手に生きていたように見えました。

 

私たちは、結婚にそんな覚悟をもって臨みませんでした。

 

ひたすら、心安らぐ生活、楽しい生活、つまり甘い生活を求めての出発でした。

 

しかし、現実は子離れできない私の両親で苦労したのです。でもその分2人の絆が強くなりましたが

 

私の父は60代で脳梗塞になりました。お散歩をしていたとき、足が少しもつれた父を見て、母が病院に連れて行ったのです。

 

即入院になった父は、夜中に自分で点滴を外し脱走しました。

 

驚いたのは私たち家族です。興奮した父が夜中に帰ってきたのですから

 

でも、結局は、ただ事ではない身体の不調を感じ自ら病院に戻ったのです。

 

母はよく父の世話をしました。

 

「世話をすることに生き甲斐を感じるの。パパがいなくなったら、私は抜け殻のようになる」と、言っていました。

 

その母が、父が亡くなる2年ほど前からそれまで押さえ込んでいた感情が吹き出すように父に冷たくなりました。認知症の発症とともに。

 

だから私の母は父が亡くなったことによる喪失感は感じていなかったと思います。

 

父が亡くなってから母が亡くなるまで母の口から一度も父の名前を聞きませんでした。よく解釈すれば母には執着がなくなったのかもしれません。

 

本当は仲が良かったのか悪かったのか、いまだによくわかりません。

 

ヨーガまんだらのプリントを作成しながら思いました。

 

それはまた明日にでもアップします。

 

美輪明宏さんは、子ども時代から大人の恥部を見て育ったそうです。だから酸いも甘いも嗅ぎ分けています。

 

気持ちを整理する方法は、自由になることだと言っておられました。

 

ということは、私はまだ自由になっていないのですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする