また2人で伊勢に行きたい
映画にも行きたい
美味しいものを食べに行きたい
何十年も当たり前に楽しんできたことが阻止されると嫌悪が生まれます。
私たちは、世俗の幸せを、今日も明日も明後日も当たり前に来ると信じています。これが執着になるのですね。
経験をとおしてでないと分かり得ないことがたくさんあります。
無知をサンスクリットでアヴィディヤーと言います。アヴィディヤーは私たちが長いあいだ機械的に繰り返してきた行為の頂点です。
私はアヴィディヤーそのものでした。
過去形なのは、少しずつ気づきはじめているからです。
それは、ヨーガまんだら講座で、お渡ししたプリントを作っていてハッとしました。
アヴィディヤーはそれ自身を直接経験することはほとんどなく、アヴィディヤーから生まれる自我意識、愛着、憎悪、生命欲の現れで知る事ができます。
私は、私意識から心楽しいことに執着して、それを失い、嫌悪しました。そして、私は不安と恐れを感じました。私は生きていけるのかしら?と。
それが最後に生まれる生命欲です。
今日、帰宅したら一通のハガキがきていました。
豊島病院でお世話になった看護師さんからでした。
「秋冷の候、いかがお過ごしでしょうか。奥様もお忙しい中、いつも優しく博久様に接する姿、とても絆の深いお二人のご様子、今でも鮮明に心に残っております。
悲しみが癒される事は難しいと思います。何かお手伝いできる事があれば病棟にご連絡ください。
くれぐれもお身体ご自愛ください。」
とありました。
こんな温かな病院で過ごせたひと月。私たちは本当に幸せでした。
ねっ、博久さん。