ほとけさま ぼくたちまもる ひかりだよ
熊本市立本荘小学校4年生の俳句です。
そういえば、毎年本荘小学校の子ども達の俳句を、年賀状の言葉につかわさせて頂いてお
ります。
私にとりましては驚きです。この俳句を詠む、という感受性は持ち合わせておりませ
ん。この子ども達が、お寺にインタビューに来て、『 一句詠みます 』 といって
即興にすぐ詠んででくれたのです。
でもこの感覚には恐れ入ります。ほとけさまの働きを見事に言い表しているのです。
事実、仏さまといえば 『 光 』 ということで象徴的に表すのです。
仏さまの働きに 『 智慧と慈悲と精進努力 』 とこの三つが上げられますが、
おろうそくの光が智慧ということを表している、し
お花が慈悲、線香が灰になるまで燃え尽きるということで精進努力を表します。
その中で、中心が 『 智慧 』 です。つまり 『 ひかり 』 なんです。
この小学校4年生の子どもが、『 ほとけさまをひかり 』 と表現する、この直観力
には、本当に驚きます。
仏像を見てみると、必ず仏さまの背中に 『 光背 』 ( こうはい ) といって
円形だったり、舟形だったり、形は少しづつ違いますが、背負っておられます。
仏像が作られる前の時代は、ほとけさまを光という形で表していたのです。
お寺のマークに使う 『 卍 』 まんじも 光を表し、それは仏さまを表しいるので
す。
仏さまの光に包まれている、という感覚は智慧なんです。だから、いろんな生きとし生
けるすべてのものにたいして、慈しむという慈悲の心が出てくるのです。
そして物事を見通す智慧があるから、無限の精進努力に耐えていくことができる、という
智慧と慈悲と精進努力は別々のものではなく、非常に緊密な関係で結ばれています。
ほとけさま ぼくたちまもる ひかりだよ
この俳句は一面悟りを開いた人の言葉のようでもあります。
こういう言葉が小学校4年生の子どもから出てくる、本当に不思議です。
子どもとて、侮るべからず!!
熊本市立本荘小学校4年生の俳句です。
そういえば、毎年本荘小学校の子ども達の俳句を、年賀状の言葉につかわさせて頂いてお
ります。
私にとりましては驚きです。この俳句を詠む、という感受性は持ち合わせておりませ
ん。この子ども達が、お寺にインタビューに来て、『 一句詠みます 』 といって
即興にすぐ詠んででくれたのです。
でもこの感覚には恐れ入ります。ほとけさまの働きを見事に言い表しているのです。
事実、仏さまといえば 『 光 』 ということで象徴的に表すのです。
仏さまの働きに 『 智慧と慈悲と精進努力 』 とこの三つが上げられますが、
おろうそくの光が智慧ということを表している、し
お花が慈悲、線香が灰になるまで燃え尽きるということで精進努力を表します。
その中で、中心が 『 智慧 』 です。つまり 『 ひかり 』 なんです。
この小学校4年生の子どもが、『 ほとけさまをひかり 』 と表現する、この直観力
には、本当に驚きます。
仏像を見てみると、必ず仏さまの背中に 『 光背 』 ( こうはい ) といって
円形だったり、舟形だったり、形は少しづつ違いますが、背負っておられます。
仏像が作られる前の時代は、ほとけさまを光という形で表していたのです。
お寺のマークに使う 『 卍 』 まんじも 光を表し、それは仏さまを表しいるので
す。
仏さまの光に包まれている、という感覚は智慧なんです。だから、いろんな生きとし生
けるすべてのものにたいして、慈しむという慈悲の心が出てくるのです。
そして物事を見通す智慧があるから、無限の精進努力に耐えていくことができる、という
智慧と慈悲と精進努力は別々のものではなく、非常に緊密な関係で結ばれています。
ほとけさま ぼくたちまもる ひかりだよ
この俳句は一面悟りを開いた人の言葉のようでもあります。
こういう言葉が小学校4年生の子どもから出てくる、本当に不思議です。
子どもとて、侮るべからず!!