本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

前上地勝

2015-03-14 18:09:03 | 十地経

前上地勝(ぜんじょうちしょう)

難しい言葉です。

仏教では「勝」という字は

勝ち負けの勝ではなくて、

「すぐれた」という意味で使います。

法勝寺とかいうお寺がありますが

法が勝れているという意味合いを

持っているのでしょう。

 

今読んでいる所では、

「方便智発起殊勝の行」

という言葉も出てきます。

 

前上地勝、

七地の所に出てくるのですが

前、というのは七地より前

初地から六地

上、というのは七地より後

八地から十地を指します。

 

普通に考えると、

七地の方が前の六地よりも

勝れているというのは分かります。

ところが、

八地~十地よりも勝れている

というのはどうも解せません。

 

先日、テレビの中での話、

中田喜子さんがいろいろ難しい役に

抜擢され、そのドラマが終わった後

プロデューサーの石井ふく子さんの

一言が、

「一つの作品が終わって、

それで終わりではなく、また

次の作品をやりましょう。

という心でなければだめですよ」

「終りが始まりなんですよ」

ということです。

 

願いが成就するということがあり、

普通の願いだったら、

その願いが叶えられたら、

それで終わってしまう。

ところが、仏さまの願いは

成就したら、さらに満足した願に

なっていくと、

願いということが展開していく

そういうことが書いてあります。

 

やはり一つのドラマ、

特に橋田壽賀子さんの脚本は

長台詞で有名ですが、

そのドラマが立派に出来た

ということは、

もう次のドラマをやれる素地が

できているということです。

 

ふと思いだすのは先日の

西京極幼稚園での保育発表会

年中さんは年少さんより勝れている

年長さんは年中さんより勝れている

当然なんですが、

年少さんが年少さんとして

充分にできているということは

それは年中さんより勝れているのです。

 

なんかわかったようで分からない話ですが

頭で考えると分からないのですが

事実として見ていくと

頷けると思います。

年少さんで出来ているということは

もう、年中さんを引き出してきている

年長さんはすぐに小学校です。

年長さんの演技は小学校より

立派なのです。

そうでなかったら、

小学校に上がることは出来ません。

 

一つの仕事をやり遂げていく、

そこには次の仕事ができる素地が

出来上がっている。

願いが成就した時には

その願いは展開していくといわれます。

 

一つにキーワードとして

「徹底する」

ということがあるとおもいます。

何でもいいのです。

人生は短い、

あれもこれもと言っていたら、

日が暮れてしまいます。

 

中田喜子さんにしても

幼稚園の園児さんにしても

徹底して演技された。

努力が満足する

ということがあります。

誰でも努力はするが、

しかし満足はしていない。

努力が満足するということが

超えて行ける道のようです。

 

十地経の第七地で出てくる

「前上地勝」

ということは何も理屈ではなく、

本当に実践から生み出されてきた

言葉なのです。

なんでもいい、

徹底してやってみる

ということが大事です。

 

一生懸命本読んで勉強しました。

一生懸命努力して仕事しました。

といいますが、

何もそれは勉強でもなんでもなく、

それは学問の下働きのようなものです。

そのことを仏教では「資糧位」といって、

学問や仕事の材料が出来たということ。

本を読むのでも

読み足らんというか

そこには徹底的に読んでいく、

仕事でも、やれば人の批評も

でてきます。

そんなことに眼もくれず

徹底的にやれば

一つの答えが出るように思います。

 

なんでも徹底してみなければ

わかりません。

徹底してみるとわかる世界が開けてきます。

 

「前上地勝」

なんとも面白い言葉に出会いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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