本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

禅譲と禅定と禅杖そして三昧

2021-05-28 18:59:38 | 漢字

どの漢字も読み方は

「ゼンジョウ」で同じです。

気になったのは、

禅という言葉は「座禅」という

言葉もあるようにもっぱら

仏教用語かと思いきや

 

歴史の中の解説で

「禅譲」ということが出てきて

この意味は

天子が皇位を譲るということです

ということで

調べてみると「禅」ということは

音は「ゼン」訓は「ゆずる」

本来は「位とかを譲る」という

ことが最初の意味です。

単・タンは

祭事を行うにあたって祭場を清め

平旦にするというところから

きています。

そこで山川の神を祭った。

その祭事は天子のみに許された

特権であったことから

「禅譲」という言葉も生まれて

きたということです。

 

ところが、

仏教で使う「禅」はインドの

Dhyanaドヒャーナを禅那と音写した

それを禅定ともたんに禅とも

言ったのです。

その禅という言葉が

たぶん鈴木大拙という方によって

英語化されZENとも漢字で禅

ということが国際的に認められ

一般化していったようです。

 

そして、座禅をするときに

眠気がさしてきた時、

肩を叩かれる棒が「禅杖」です。

 

禅というのは少し幅が狭く

もっと広くいえば「定」という

ことがあります

戒・定・慧の三学というように

智慧を生み出すには

まず心を一点に集中して

散心にならない「定」という

ものが必要です

では定を得るためには

規則正しい生活が必要で

それが戒律ということです

戒が成り立ち

心に定が生まれると

智慧が生まれてくるという

それが三学といわれるものです。

 

その「定」ということは

サマーディSamadhiという

インド語で三昧とも音写されます

この三昧も普通には

何々三昧ザンマイとか使います

この「定」の中の一つに

「禅」ということがあります。

 

「定」ということは

七つの意味があると言われ

1.サマーヒタ、等引と訳され

 人間のうきうきする心と

 落ち込む心を離れて平等である

 そこから「等」という字を使います

2.サマ-ディ、三昧

 これは等持と訳されます

 等持院というお寺もあります

3.サマパッティ、

 これは等至と訳され

 心身の平等に至るという意味

4.ドヒャーナ、禅那・禅です

 静慮と訳されます

5.チッターイカーグラター

 長い名前ですけど

 この言葉も十地経でよく

 使われる言葉です。

 心一境性と訳されます。

6.シャマタ、止と訳され

 止観という言葉で使われます

7.ドリシュタ・ダルマ・スカ・

 ビハーラ と何とも長い名前

 現法楽住と訳されます。

 

難しい名前が出てきますが

4番目に「禅」ということが

出てきます

それほど、定・三昧・禅という

言葉は幅の広い内容をもった

言葉です。

ということは

心を静め集中するといっても

色々な心の段階もあるし

それぞれの方法もある

ということでしょう。

 

やはり、インドの人は

厳密な頭の構造を持っている

ようですね。

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人間は持てば持つほど貧しくなる | トップ | 薔薇の花のように »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

漢字」カテゴリの最新記事