京都以外の人々には全く関心を持たれないだろうが、お土産として名高い「八ツ橋」の老舗ライバル同士が法廷で論争の末、原告側の損害賠償請求が棄却されたという話だ。
要約すると、八ツ橋を製造する4社のうち1805年創業の「井筒八ツ橋」が1689年創業を謳う「聖護院八ツ橋」に対して
「京都で店を開くもんにとっては、創業何年かが大事どすねん。客観的証拠もないのにウチより100年以上古い創業や云われたら、ウチのが見劣りしますやんかいさ」
と因縁をつけたのだが、判決はそれが消費者にとって商品の優劣を判断する基準になっているとは言い難い、というもので、この判決は至極当然だろう。
業界内だけのコップの中の嵐というか、コンタクトレンズ保存ケースの中の嵐なみだ(笑)。
この判決を受けて、ベストセラー「京都ぎらい」などの著書で知られる作家・井上章一氏がコメントしているのだが、コレがまた実に興味深い。
論調は穏やかだが、井上氏は洛中の人間に対する恨み骨髄なだけに行間から
「そんなん(年数)にこだわってるのは、アンタらだけや」
「地元に愛されてないからこうなる」
という辛辣なメッセージが、伝わって来るのだ。
銘菓というのはえてしてそういうものかもしれないが、こと八ツ橋の「地元民からの愛されなさ」は特筆モノで、私などかれこれもう40年ほどは余裕で食べていない(笑)。
食べる側にとってどうでもよい情報である古さしか寄って立つものがなく、かつ観光客ばかりを相手にして地元民にさほど愛されていない八ツ橋に、果たして未来はあるのだろうか…?
食べる側にとってどうでもよい情報である古さしか寄って立つものがなく、かつ観光客ばかりを相手にして地元民にさほど愛されていない八ツ橋に、果たして未来はあるのだろうか…?
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