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2005年に無敗の3冠馬に輝くなどG1を7勝した稀代の名馬・ディープインパクトが牧場で骨折、安楽死の措置が取られ還らぬ馬となってしまった。
デビューから引退まで、全てのレースを鮮明に覚えているほどに肩入れした馬だけに、残念でならない。
思い出を語ればキリがないし、またそんな単なる競馬好きのオッサンの自分語りなど誰も興味はないのはわかっているのだが、明けて3歳になったばかり、2005年1月の「若駒ステークス」のまさしく他馬が止まって見えるかのような圧勝ぶりを目撃した時点で、私は3冠を確信していた。
その3冠を達成した菊花賞の京都競馬場に私も居たのだが、その日の入場者数記録は未だに破られていない。
ライブでももちろん感動したが、帰宅後にビデオを見返して関西テレビ・馬場鉄志アナウンサーの
「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト!」
の名文句にも、さらに感動したものである。
翌2006年、古馬になってからも当然のようにG1勝利を積み重ね、秋の凱旋門賞には大きな注目が集まった。
3位入線も禁止薬物使用発覚で失格となったのは残念だが、まるでテニスを全く知らない人も大坂なおみを観たように、競馬を全く知らない人も凱旋門賞を観たものだ。
凱旋門賞という世界最高峰のレースがあるのだ、という事を知らしめただけでもディープの功績は大きかった。
その走りは主戦騎手・武豊をして「空を飛んでいるみたい」と評され、引退レースとなった有馬記念では、フジテレビ・三宅アナウンサーの
「間違いなく飛んだ!間違いなく飛んだ!」
の名文句が聞かれた。
引退し、種牡馬になってからもジェンティルドンナ、キズナ、マカヒキ、ワグネリアンなどあまたのG1馬を世に送り出して来たが、実は私はディープの早世を予感していた。
90年代後半から2000年代前半の中央競馬を席巻した種牡馬・サンデーサイレンスが亡くなった時、どこかの競馬評論家が
「サンデー産駒ばかりになってしまう事を、競馬の神様がよく思わなかったからではないか」
と語っていたが、私はこの意見に大いに共感する。
種牡馬にはディープをはじめフジキセキ、ダンスインザダーク、ステイゴールドなどサンデー系が依然として多いが、繁殖牝馬にもサンデー系が多いと近親交配ばかりになる。その意味で、ディープ産駒が増えすぎるのは競馬のためによくない、と神様がお考えになったと思うしかない。
そうでも思わないと、この哀しみのやり場がないのである…